第02話 決して料理ができない訳じゃないと思うのよね
会社のお昼休み、給湯器でインスタント麺にお湯をそそいだ。こぼさないように気をつけながら、休憩室の隅のテーブルを目ざす。席が決まっている訳ではないのだけれど、なんとなくこの席がワタシや玻璃乃たちの指定席のようになっている。休憩室には、全部で五十席くらいあるだろうか。お昼どきには軽食の提供もあり、社員食堂のような雰囲気だ。
そろそろ三分かと思いフタをはがそうとしたとき、コンビニ弁当をぶらさげた玻璃乃が目の前の椅子をひいた。向かいの席にすわるやいなや、グイッと顔をちかづけてくる。
「聞かせてもらおうか。料理上手のイケメンとやらの話を」
きつい関西のイントネーションで、唐突に週末のことを問いただしてくる。
「な、何で知ってるの!?」
「アンタがメッセ送ってきたんやろが。しかも返事しても反応ないどころか、既読すらつけへんし。どないなっとんねん、まったく……」
言われてみれば、萱代さんの部屋から戻って眠りに落ちる前、スマホを握りしめていた気がする。そうか、夢かと思っていたけど、玻璃乃にメッセージを送信してたのか。律儀にも返信してくれた玻璃乃のメッセージには気づかず、爆睡していたという訳だ。
今さらのようにスマホを確認してみると、たしかにメッセージアプリに、十件ほどの未読マークがついていた。あまりメッセージのやり取りをしないものだから、未読のチェックもおこたりがちだ。
「ごめんね。ちょっとドタバタしちゃって……」
「はいはい。推しを愛でるのに忙しかったんやな」
ぐぬぬ。返す言葉もない……。
玻璃乃は同期入社で、同じ営業部に配属されて以来のくされ縁だ。営業の彼女と営業事務のワタシ。同じ部署とはいえ業務が違うから接点は少ないのだけれど、それでも仲良くなったのは同じ趣味をもっていたからだ。同じ趣味ってのは、アニメや漫画好きだってことと……いや、まぁ、これ以上は深く語らないでおこう。とにかく同好の士だと知って以来、仲良くしてもらっている。
性格は正反対だけど、なぜか玻璃乃が相手だとストレスを感じない。玻璃乃いわく「陰キャの友人が多いから、百合子みたいな奴の付き合い方は心得ている」ということらしい。さすがは営業成績ナンバーワン。人づきあいは得意科目のようだ。
インスタント麺をすすりながら、土曜日のできごとを玻璃乃に話した。食べ終わる頃には話おわり、玻璃乃が深くうなずきながらつぶやいた。
「そうか。百合子好みのイケメンやったか……」
今の話を、どう聞いたらそうなるのだろうか。
「そんなんじゃなくて、具も入ってない素パスタが……」
「ペペロンチーノな」
すかさず玻璃乃からツッコミがはいる。さすがは関西人、ツッコミが早い。
「そう、そのペペロンチーノが、大した具も入ってないのに、あんなに美味しくできるのに驚いたっていうか……」
パスタが驚くほどに美味しいだなんて、ワタシにとっては大事件なのだ。何か特別なことをしているようには見えなかった。普通に作ってあんなに美味しくできるのなら、ワタシだって作ってみたい。
「でもまぁ、料理上手の男はポイント高いわな」
「わかるぅ~」
お料理を作ってもらうのって、とっても嬉しい。それが男の人だったりしたらなおさらだ。嬉しさが極まって、うっかり惚れてしまうかもしれない。
「
「うーん、でもあの人はないかな。何か面倒くさそうだし」
「顔で選んで、すでに失敗しとるしな」
いたずらっぽく玻璃乃が笑う。ワタシの恋愛失敗談は、すぐに彼女の笑いのネタにされてしまうのだ。
「薀蓄とか聞かされるし、面倒だよ……」
いかに料理が
「そんなんフンフン言うて、聞き流しとったらエエやん」
「でも、すっごくムカつくんだよ! ろくなもの食べてないんでしょ、とか言われるし」
「事実やん」
食べ終わったばかりのインスタント麺の容器を、玻璃乃が指さして笑った。
ぐぬぬ。返す言葉がない。
「で、どないすんの? 手料理ふるまうんやろ。お隣のイケメンさんに」
「どうするって……やるよ?」
「そうやなくて、アンタ料理でけへんやん」
「あぁ、そっちの話ね……」
「何で料理もでけへんのに、料理ふるまう話になるんかな」
「それは売り言葉に買い言葉っていうか……」
「そんなんで料理できるようになるんやったら、世話ないわ」
あきれたように玻璃乃が天をあおぐ。
「でもワタシって、料理をやらないだけで料理が下手な訳じゃないと思うのよね」
「ほぉ、そんで?」
「だから作ってみれば、ちゃんと美味しくできるんじゃないかなって……」
「よぉ言うたな。包丁もろくに使われへんのに」
またもや返す言葉がなくなってしまった。
決して料理ができない訳ではないのだけれど、料理なんて二度とするもんかって思ってる。でも、あんなに美味しい料理が作れるのなら、もう一度だけ挑戦してみたい……そう思わせるだけの何かが、あのパスタにはあったのだ。
「でもまぁ、パスタのお礼なんやから、パスタ作ったらエエんとちがう? 包丁使わんとできるヤツもあるやろ」
「うん!」
何だかんだと言いながら、最後には励ましてくれる。いつだって背中を押してくれる。すこし口の悪い同僚の応援には、感謝しているのだ。
「僕、パスタ好きっすよ」
不意に頭の上から、男の人の声がふってきた。声の主を見やると、営業部の
「誰もアンタに訊いてへんわ。割り込んでくんなや」
鬱陶しそうに玻璃乃が声をあげる。左京寺くんは、玻璃乃の直属の部下だ。彼が入社してから三年、ずっと玻璃乃が面倒をみている。
「冷たいなぁ、玻璃乃さん。もっと優しくしてくれませんかね」
「馴れ馴れしんじゃ! 下の名前で呼ぶな言うとるやろ」
「はぁい。解りました、玻璃乃さん」
「おまっ!」
いまにも掴みかかりそうな玻璃乃の気勢をそぐかのように、左京寺くんがにっこりと微笑む。出た、左京寺スマイル。この微笑みに、黄色い声をあげる女性社員はおおい。若手のみならずお局様たちからの人気も高く、だれにでも可愛がられるお得な存在なのだ。
左京寺くんはコンビニの袋をテーブルに置くと、玻璃乃の隣にすわった。
「相変わらず仲いいのね」
そう言ったワタシに、左京寺くんが微笑みをかえす。その隣では、玻璃乃が険しい目つきでワタシをにらんでいた。
天然ともとれる左京寺くんのボケに、切れ味するどい玻璃乃のツッコミ……何だか
「で、何の話っすか? 百合ちゃんが何か作るとか……」
左京寺くんにかかれば、ワタシなんて下の名前どころかちゃん付けだ。いや、ちゃんが付いているだけ、まだマシだと考えるべきだろうか。
玻璃乃に聞かせた話を、かいつまんで左京寺くんに聞かせる。
「どうしてその流れで、手料理を振るまう話になるんっすか」
「ウチも疑問やわ、そこ」
玻璃乃が深くうなずく。
「だって、言われっぱなしじゃ悔しいじゃない」
「怪しいお隣さんに作るより、僕に作ってくださいよ」
「何でやねん!」
ワタシに代わって、すかさず玻璃乃がツッコミを入れる。
早い! さすがは関西人!
「彼女に作ってもらえば? ワタシなんかに頼むよりもさ」
「僕、彼女なんて居ないですよ」
「はいはい。一人しか居ないとか、二人しか居ないとか、そういう意味でしょ?」
「ひどいなぁ。一人も居ませんって」
「本当? 怪しいなぁ……」
いぶかしげに見つめるワタシの視線を、軽く微笑みでかわしてしまう。
「だから百合ちゃん、僕と付きあってくださいよ」
「こら! 左京寺! なに会社でバツイチ口説いとんねん!」
玻璃乃の怒声が、休憩室中に響きわたる。
周囲のみんなが何事かと、ワタシたちの様子をうかがう。
「ちょ、ちょっと玻璃乃。それ、ワタシにダメージ……」
「あ、すまん。つい……」
申し訳なさそうに、玻璃乃が手をあわせる。
かくしている訳でもないし、社内のみんなが知っている事ではあるのだけれど、改めて言われると心がいたい。結婚してわずか一年で破局だなんて、恥ずかしいやら情けないやら。盛大に祝ってくれた我が部署のみんなには、いまでも申し訳なく思っている。
「僕、バツイチとか気にしないですよ」
「まだ言う? ワタシが気にするよ」
「とりあえず今度、飯でも行きません?」
「いやぁ、左京寺くんはないかな。二股かけられて泣くのいやだし」
「ひどいなぁ。こう見えても一途なのに」
「はいはい。アラサーのおばちゃんをからかわないでね。本気にしちゃうから」
人たらし……。左京寺くんを一言で評するなら、その言葉が一番しっくりくると玻璃乃が言っていた。クライアントとすぐに距離をちぢめられるし、先方からもすぐに気にいられる。気づかいもできるし、段どりもいい。営業が天職のような奴だと言っていた。
彼が入社して営業部に配属さるとすぐに、異例のはやさで新規営業に
そろそろ彼も、独り立ちして良い頃だと玻璃乃は言う。たしかに仕事はそつなくこなす。けれども、どこか危うい……。その危うさゆえ、独り立ちさせることができないのだとも言っていた。
気の強い上司と人懐っこい部下……外から見れば微笑ましい関係に見えても、内側にはさまざまな問題が横たわっているらしい。
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