第02話 決して料理ができない訳じゃないと思うのよね
会社のお昼休み、給湯室でカップラーメンにお湯をそそぎ、休憩室の隅っこのテーブルに陣どる。席が決まっている訳ではないのだけれど、なんとなくこの席がワタシや玻璃乃の指定席になっている。
そろそろ三分かと思ってフタをはがそうとしたとき、コンビニ弁当をぶら下げた玻璃乃が目の前の椅子をひいた。向かいの席に座るやいなや、眉根を寄せてグイッと顔を近づけてくる。
「で、聞かせてもらおうか。料理上手のイケメンとやらの話を」
きつい関西のイントネーションで、唐突に週末のことを問いただしてくる。
「なんでそれ知ってるの!?」
「なんでって、アンタがメッセ送ってきたんやろが。しかも返事しても反応ないどころか、既読すらつけへんし……」
言われてみれば、萱代さんの部屋から戻って眠りに落ちる前、スマホを握りしめていた気がする。そうか、夢かと思っていたけど、玻璃乃にメッセージを送信してたのか。そして律儀にも返信してくれた玻璃乃のメッセージには気づかず、爆睡していたという訳だ。
今さらのようにスマホを確認してみると、たしかにメッセージアプリの未読が、十件以上ついていた。あまりメッセージのやり取りをしないものだから、未読のチェックもおこたりがちだ。
「ごめん。ちょっとドタバタしちゃって……」
「はいはい。推しを愛でるのに忙しかったんやな」
ぐぬぬ。返す言葉もない……。
玻璃乃は同期入社で、珍しく同じ趣味をもっている。同じ趣味ってのは、アニメや漫画好きだってことと……いや、まぁ、これ以上は深く語らないでおくけれど、とにかく同好の士だと知って以来、仲良くしてもらっている。
性格的に正反対だけど、なぜか玻璃乃が相手だとストレスを感じない。玻璃乃いわく「陰キャの友達が多いから、百合子みたいな奴との付き合い方は心得ている」ということらしい。さすがは営業成績ナンバーワン。人付き合いは得意科目のようだ。
カップラーメンをすすりながら、土曜日のできごとを玻璃乃に話して聞かせた。お互いがお昼を食べ終わる頃には話が終わり、玻璃乃が深く頷きながらつぶやいた。
「そうか。百合子好みのイケメンやったか……」
今の話を、どう聞いたらそうなるのだろうか。
「そんなんじゃなくて、具も入ってない素パスタが……」
「ペペロンチーノな」
すかさず玻璃乃がツッコミを入れる。さすがは関西人。
「そう、それ。その何とかチーノが、大した具も入ってないのにあんなに美味しくできるのに驚いたっていうか、何というか……」
パスタがあんなに美味しいだなんて、ワタシにとっては大事件なのだ。何か特別なことをしている様には見えなかった。普通に作ってあんなに美味しくなるのなら、ワタシだって作ってみたい。
「でもまぁ、料理上手の男はポイント高いわな」
「わかるぅ~」
お料理を作ってもらうのって、とっても嬉しい。それが男の人だったりしたらなおさらだ。嬉しさが極まりすぎて、うっかり惚れてしまったりするかもしれない。
「狙ろたらエエやん。彼氏おらへんのやろ?」
「うーん、でもあの人はないかな。なんか性格がめんどくさそうだし」
「顔で選んで、すでに失敗しとるしな」
いたずらっぽい笑顔で玻璃乃が笑う。ワタシの恋愛失敗談は、すぐに彼女の笑いのネタにされてしまうのだ。
「薀蓄とか聞かされるし、面倒だよ……」
いかに料理が上手だろうとイケメンだろうと、性格は無視できるものではない。
「そんなんフンフン頷いて、聞き流しとったらエエやん」
「でも、すっごくムカつくんだよ! ろくなもの食べてないんでしょ、とか言われるし!」
「事実やん」
食べ終わったばかりのカップラーメンの容器を、玻璃乃が指さして笑った。
ぐぬぬ。返す言葉がない。
「で、どないすんの? 手料理ふるまうんやろ。お隣のイケメンさんに」
「どうするって……やるわよ」
「そうやなくて、アンタ料理でけへんやん」
「あぁ、そっちの話ね……」
「なんで料理もでけへんのに、料理ふるまう話になるんかな」
「それは売り言葉に買い言葉っていうか、何というか……」
「そんなんで料理できるようになるんやったら、世話ないわ」
呆れたように玻璃乃が天をあおぐ。
「でもね、ワタシって料理をやらないだけで、決して料理ができない訳じゃないと思うのよね」
「ほぉ、そんで?」
「だから作ってみれば、ちゃんと美味しくできるんじゃないかって……」
「大きく出たなぁ。包丁もろくに使われへんのに」
そう言われては、またもや返す言葉がなくなってしまう。
決して料理ができない訳ではないのだけれど、料理なんて二度とするもんかって思ってる。でも、あんなに美味しい料理が作れるのなら、もう一度だけ挑戦してみたい……そう思わせるだけの何かが、あのパスタにはあったのだ。
「でもまぁ、パスタのお礼なんやから、パスタ作ったらエエんとちがう? 包丁使わんとできるヤツもあるやろ」
「うん!」
何だかんだと言いながら、最後には励ましてくれる。いつだって背中を押してくれる。すこし口の悪い同僚の応援には、感謝しているのだ。
「僕、パスタ好きっすよ」
不意に頭上から、男の人の声がした。声の主を見やると、営業部の
「誰もアンタになんか訊いてへんわ。割り込んでくんなや」
鬱陶しそうに玻璃乃が彼を見上げる。左京寺くんは、玻璃乃の直属の部下だ。彼が入社してから三年、ずっと玻璃乃が面倒をみている。
「冷たいなぁ、玻璃乃さん。邪険にしないでくださいよ」
「馴れ馴れしんじゃ! 下の名前で呼ぶな言うとるやろ」
「はぁい。解りました、玻璃乃さん」
「おまっ!」
今にも掴みかかりそうな玻璃乃の気勢をそぐかのように、左京寺くんがにっこりと微笑む。出た、左京寺スマイル。この微笑みに、黄色い声をあげる女性社員は多い。若い娘たちのみならずお局様たちからの人気も高く、誰にでも可愛がられているお得な存在なのだ。
左京寺くんはコンビニの袋をテーブルに置くと、玻璃乃の隣の席に座った。
「相変わらず、仲いいのね」
そう言ったワタシに、左京寺くんが微笑みを返す。その隣では、玻璃乃が険しい目つきでワタシを睨んでいた。こわ……。
天然ともとれる左京寺くんのボケに、切れ味鋭い玻璃乃のツッコミ……なんだか夫婦漫才のようにも見えて微笑ましいのだけれど、玻璃乃に言わせれば彼の態度は腹立たしくて仕方がないのだそうだ。
「で、何の話っすか? 百合ちゃんがなんか作るとか何とか……」
左京寺くんにかかれば、ワタシなんて名前呼びどころかちゃん付けだ。いや、ちゃんが付いているだけ、マシだと考えるべきだろうか。
玻璃乃に聞かせた話を、かいつまんで左京寺くんに聞かせる。
「鼻血って。百合ちゃん、何やってるんですか……。でも、何でその流れで、手料理を振る舞う話になるかな」
「ウチも疑問いやわ、そこ」
玻璃乃が深くうなずく。
「なんでよぉ。言われっぱなしじゃ悔しいじゃん」
「そんな怪しいお隣さんに作るより、僕に作ってくださいよ」
「なんでやねん!」
ワタシに代わって、すかさず玻璃乃がツッコミを入れる。早い! さすがは関西人!
「彼女に作ってもらえば? ワタシなんかに頼むよりもさ……」
「僕、彼女なんて居ないっすよ」
「またぁ。一人しか居ないとか、二人しか居ないとか、そういう意味の居ないでしょ?」
「ひどいなぁ。一人も居ませんよ」
「本当? 怪しいなぁ……」
いぶかしげに見つめるワタシの視線を、軽く微笑みでかわしてしまう。
「だから百合ちゃん、僕と付き合ってくださいよ」
「こら! 左京寺! なに会社でバツイチ口説いとんねん!」
玻璃乃の怒声が、休憩室中に響きわたる。周囲の皆が何事かと、ワタシたちの様子をうかがう。
「ちょ、ちょっと玻璃乃。それ、ワタシにダメージ……」
「あ、すまん。つい……」
申し訳なさそうに、玻璃乃が両手を合わせる。
べつに隠している訳でもないし、社内の皆が知っている事ではあるのだけれど、改めて言われると心が痛い。結婚してわずか一年で破局だなんて、情けないやら恥ずかしいやら……。当時、盛大に結婚を祝ってくれた会社の皆には、いまだに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「僕、バツイチとか気にしないですよ」
「まだ言う? ワタシが気にするよ」
「とりあえず今度、飯でも行きません?」
「いやぁ、左京寺くんはないかな。二股かかけられて、泣かされそうだし」
「ひどいなぁ。こう見えても一途なのに」
「一途って意味、解って言ってる?」
「この場合、百合ちゃんだけを見つめてる……って意味ですよね」
「はいはい。アラサーのおばちゃんをからかわないでね。本気にしちゃうから」
人たらし……。左京寺くんを一言で評するなら、その言葉が一番しっくりくると玻璃乃が言っていた。クライアントとすぐに距離を縮められるし、先方からもすぐに気に入られる。気づかいもできるし、段取りも良い。営業が天職のような奴だと言っていた。
彼が入社して営業部に配属されるとすぐに、異例の早さで新規営業に抜擢された。それ以来ずっと営業成績トップを独走する玻璃乃の下についている。三年もの間トップの成績を維持しているのも、少なからず左京寺くんの功績があるのだそうだ。
そろそろ彼も、独り立ちして良い頃だと玻璃乃は言う。確かに仕事はそつなくこなす。けれども、どこか危うい……。だからいまだに、独り立ちさせることができないのだとも言っていた。
気の強い上司と人懐っこい部下……外から見れば微笑ましい関係に見えても、内側には色々と問題が横たわっているらしい。
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