第22話 米とカブそしてイタリアンパセリ
いったん自分の部屋へ向かった萱代さんだったけど、すぐに戻ってきて調理を始めた。小気味よい包丁の音や、クツクツと鍋が煮える音を聞いていると、心やすらいでまどろみへと引きこまれていた。
一時間ほどが過ぎただろうか。ドアをノックする音で目がさめる。
「どう? 食べられそう?」
気分はわるくとも、お腹は減っているのだ。もちろん食べますとも!
トレイにのせたお料理を、寝室まで運んでくれた。体を起こして、ベッドの上でいただくことにする。
「お粥?」
スープボウルに注がれ美味しそうな湯気をたてているお料理。一見するとお粥に見える。けれども、どうやらただのお粥ではなさそうだ。
ご飯の粒にかくれて何やら白くて半透明の具材が入っている。たっぷりと散らされた細切れの葉は、イタリアンパセリだろうか。胸のすくような爽やかな香りに、気分のわるさが和らいでいくようだ。
チーズが削りかけられているようで、スープの表面でとろりと溶けだしていて美味しそう……思わずゴクリと、生唾を飲みこんでしまう。
「さぁ、熱いうちに」
萱代さんにうながされて、スプーンを手にとる。、
ご飯とスープをすくって一口……優しい味。滋養がつまった優しい甘みが、口いっぱいに広がる。なんの甘みだろうか……まるでポトフのような優しい味わい。そして白い具材を噛みしめると、じわりとスープがあふれだし清々しい香りがひろがる。
「カブ……ですか?」
「正解」
カブの淡い味わいに、イタリアンパセリのほのかな苦みがいいアクセントだ。
少しだけオリーブオイルの香りがする。それとあと一つ……馴染みがあるスパイシーな香りが、全体を引き締めている。なんだろう、この香り……。
全体的に優しい味わいなのに食べごたえがあるのは、きっとチーズのおかげだ。ミルキーなコクが加わりマッタリとしているのに、それでいてしつこくない。
「師匠、チーズ! このチーズ!」
「きたないな。食べながらしゃべるなよ……」
そんなことを言われたって、美味しいのだから仕方ない。食べる手を止めたくないのだ。スプーンが止まらなくなっている。
「なんです? このチーズ」
「グラナ・パダーノだよ。パルミジャーノと似てるけど、熟成期間が短い分こっちの方が淡白だ。あっさりしたこの料理に、よく合うだろ」
返事をするのももどかしく、ガクガクとうなずきながら食べ続ける。
熱々のお粥のような料理を、かき込むようにして頬ばった。口の中をやけどしながら、あっという間に一皿を食べつくしてしまった。
「ごちそうさまでした」
「気分わるいくせに、いい食べっぷりだね。まったく……」
そんなに呆れないでほしい。萱代さんのお料理が、美味しすぎるから悪いのだ。温かい料理を食べて、体の内側からポカポカだ。冷えてしまわないように布団の中へと潜りこむ。
「美味しかったぁ~。なんていうお料理なんです?」
「リズ・ラーベ・エ・エルブリン。北イタリアはロンバルディア地方の家庭料理だな」
「リズ……え、なんです?」
いつものことながらイタリアの料理名は、なにを言ってるのかわからない。これが世に言う、呪文料理というやつか。
「ロンバルド語で米、カブ、パセリって意味。使ってる材料が、そのまま料理の名前だな」
「あれ、イタリア語じゃないんですね」
「ロンバルディア周辺で、もともと使われていた言葉だね。イタリア語で言いかえるなら、ミネストラ・ディ・リゾ・ラーパ・エ・プレッツェモロ……つまり『米とカブそしてイタリアンパセリのミネストラ』になるかな」
「ミネスト……ラ?」
「具沢山のスープのことだよ」
「スープだったんですね。お米の料理だし、リゾットの一種かと……」
「たっぷりのブロードで具材を煮る料理は、ミネストラだね。リゾットは米を炒めてから、ブロードを少しづつ加えながら火を通していく」
「あの、ブロード……って、なんです?」
「あれ? 教えてなかったっけ?」
「記憶にございません……」
いや、ほんと、パスタ以外のことは、なにも教わっていないような気がする。
「わかりやすく言えばダシかな。フランス語で言えばブイヨンだし、英語で言えばスープ・ストックだな。今回は、タマネギ、ニンジン、セロリでとったブロードを使ってる。あー、イタリアンパセリの茎とローリエも使ったな」
「あー、それで野菜の甘みが……」
「野菜のブロードでカブと米を炊いて、火がとおればグラナ・パダーノとイタリアンパセリを加えて完成……シンプルだけど、味わい深い料理だ。あっさりしていて旨いだろ?」
「優しさを詰めこんだような味でした。でも、他にも入っているものありますよね?」
「お、気づいたんだ? いい舌してるよ、まったく……」
「オリーブオイルと、あともう一つ。ピリッとしたスパイシーな……知ってる味なんですよね。コショウじゃないし、唐辛子でもないし……うーん、なんだろう」
すごくなじみのある風味なのに、なんの食材なのかわからない。
「ショウガだよ」
「それだ!」
イタリアンではあまり味わう機会がないものだから、知っている味なのに考えが至らなかった。そうだ、ショウガだ。
「仕上げに、おろしショウガを少しだけ。淡白な食材ばかりで味がボヤけ気味だから、ひきしめる意味でね。本来のレシピにはないけど、これくらいのアレンジは許されるんじゃないかな。カブとの相性もいいし、それにショウガは、体を温めるからね。風邪には良いんじゃないかと思ってさ」
え。もしかしてワタシの体を気づかって!?
ヤバい! ちょっとキュンときた!
「ねぇ、ねぇ、師匠。師匠ってばぁ」
「なんだよ、へんな声だして」
へ、へんな声……だと!?
これでもワタシの中の女子を総動員したというのに!
「どうしてカブの料理つくってくれたんです?」
「カブ好きだろ?」
「え!? カブが好きだなんて、言ったことありましたっけ」
ヤバい! もう一回キュンときた!
「お母さんが来たとき、かぶのサラダばかり食べてたじゃないか」
「よく憶えてますね……そんなこと」
萱代さんがふざけて、カブのカルパッチョとか呼んでたサラダのことだ。塩をした薄切りのカブに、黒コショウとオリーブオイル、そしてすり下ろしたパルミジャーノ・レッジャーノをかけただけのシンプルなサラダ。美味しくて何度もおかわりした気がする。
なんなの? 熱のせいなの!?
なんだか萱代さんのことがカッコよく見えてしまう。そりゃ、もとから顔の作りは良いんだけど、愛想はないわ、憎たらしい言動ばかりふりまくわで、普段はこんな風に思うことなんてないのに……。
「顔が真っ赤だぞ。熱あがってるんじゃないの?」
言い終わらないうちに、萱代さんの手がおでこにふれる。
え、なに? なにが起こっているの!?
訳がわからず、思わず身をかたくする。
「ほら、熱あがってる。はしゃぐから……」
はしゃいだせいじゃない。この熱、きっと萱代さんのせいですから!
冷たい萱代さんの手。ほてったおでこに、ひんやりと心地いい。
不意に萱代さんの腕にすがりつきたい衝動にかられる。
思わず伸ばしてしまった両手が腕をつかんだと思った瞬間、萱代さんは突如として立ち上がった。
「ちょっと待ってな。いいもの作ってやるから」
そう言い残して、萱代さんはキッチンへと姿を消す。
後には宙をつかむワタシの両手が残された。
……あの野郎、ぜってー許さねぇ!
十分ほどでトレイにマグカップを乗せ、萱代さんが寝室に戻ってきた。
「おまたせ」
返事もせずふくれっ面のワタシを見て、萱代さんがため息をつく。
「えっと……なんか怒ってる?」
「怒ってません」
「怒ってるじゃん」
「怒ってませんってば」
もう一度ため息をついて、萱代さんが眼前にマグカップを差しだす。
「飲まないの?」
差しだされたマグカップには
「ど、どうしてもって言うのなら、飲んであげてもいいですけど?」
萱代さんが帰ってきてからずっと、甘酸っぱい香りに興味をひかれっぱなしなのだ。飲まないなんていう選択肢があろうはずがない。
さぁ、萱代さん、もっとワタシのご機嫌をとってその飲み物をすすめるのです!
「いや。飲みたくないなら、俺が飲むからいいけど……」
「だ、だめです! 飲みますぅ!」
引ったくるようにして、萱代さんからマグカップを受けとった。
温かなカップを両手で包みこむと、じんわりと手のひらに熱が伝わり……って、熱ちっ! 温かいとかいうレベルではない! 熱すぎる! 火傷しちゃう!
「あ、そうだ。熱いから気をつけてね」
そういうことは、先に言ってほしい……。
カップの中に息をふきかけ、冷ましながらそろりと一口。ワインだ、熱々の赤ワイン。でも、それだけじゃない。柑橘系の爽やか香りに胸がすく。甘酸っぱい味わいが、口いっぱいにひろがっていく。
「美味しい! なんです、これ?」
あまりの衝撃に、さっきまでのイライラとした気持ちが吹きとんでいく。
「ヴィン・ブリュレ。直訳すれば焦がしワイン。北イタリアのホットワインだな」
ワインを温めて飲むなんて知らなかった……。
萱代さんによると、ヨーロッパのあちこちで温かいワインを飲む風習があって、クリスマスシーズンの風物詩でもあるそうだ。
「オレンジとレモンが入ってますけど、ワインで煮るんですか?」
「好みのフルーツやスパイスを加えて、十分ほど煮るのが本来のレシピだな。今回はあらかじめ材料をワインに漬けこんでおいて、さっき温めてきたんだ。あまり加熱すると、せっかくの香りが飛んじゃうしね。ビタミンCだって熱に弱い」
そっか。だからこんなに香りがいいんだ……。
「今回使ったフルーツは、オレンジ、レモン、洋ナシ。スパイスは、クローブ、ショウガ、カルダモン、シナモン。あとは、仕上げにハチミツだな」
「へぇ、なんだかワインとは別の飲み物みたい……」
「いろんな風味が絡み合って味に深みが出るし、それにやっぱりフルーツのビタミンやスパイスで滋養も期待できる」
「体にもいいんですね!」
「イタリアでは、風邪ひいたときにも飲むね。イタリア版たまご酒……ってとこかな」
マグカップ半分くらい飲んだあたりで、なんだか酔いが回ってきた。
「師匠、これ、酔っ払いますよ……」
「そりゃそうだろ。ワインだもん」
煮きった訳じゃないから、アルコールはあまり飛んでいないらしい。
「もぅ、師匠。ワタシを酔わせて、どうしようって言うんですかぁ?」
「どうもしないから。飲んだらとっとと寝てくれよ」
さすがに、つれなすぎやしないだろうか……。
「そんなこと言って、ワタシが寝ちゃったら寂しいくせにぃ」
「酒癖わるいなぁ……」
「えぇ~、なに言ってるんですかぁ~。酔っ払ってませんよぉ~」
そう言いながら、温かいワインを飲み干した。程よく冷めたヴィン・ブリュレは、甘くてフルーティーで呑み口がよくて……いくらでも飲めてしまいそうだ。
そう思ったあたりまでだろうか……記憶が残っているのは。
お酒のせいなのか熱のせいなのか、そこから先の記憶がぷっつりととぎれている。潮干狩りから帰ってきた玻璃乃が、わたしの部屋に様子を見に来るまで、グッスリと眠っていたようだ。
よく眠ったおかげか、ミネストラのおかげか、はたまたヴィン・ブリュレのおかげなのか……熱はすっかり下がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます