第23話 はいはい。解説させていただきましょう
翌日の日曜日、お昼前に一階のスターヒルへ集合。
メンバーは、萱代さん、季里さん、玻璃乃、左京寺くん……そしてワタシ。昨日採ったアサリを、みんなでいただこうって訳だ。
昨日の潮干狩りは大漁で、天然物のアサリがどっさり採れたらしい。こんな上物が採れる穴場がどこにあるのかと萱代さんが驚いてたけど、季里さんは得意げに秘密だと言って笑っていたそうだ。
集合時間の少し前にスターヒルへ行くと、玻璃乃がすでにテーブル席で珈琲を飲んでいた。向かいの席に座り、ワタシも珈琲をたのむ。
間もなくしてサーブされた珈琲の香りを楽しんでいると、玻璃乃がそっと耳打ちする。
「で、萱代さんとは、ホンマにヤっとらへんのんか?」
また、下世話な話を蒸しかえす……。
「何もなかったって言ってるじゃん」
「何やっとんのや、一気に距離つめるチャンスやったのに。調子悪い言うて甘えんのなんか、女の常套手段やないか」
詫びろ、世の女性たちに詫びろ。
そんな打算的な女性ばかりじゃない……はずだ。きっと。
「師匠とは、そんなんじゃないってば」
「弱りきった女が無防備に寝とんのに、なんもせぇへんとか失礼な
「弱りきった女に手をだす方が、どうかしてると思うけど?」
「……ん? まぁ、それもそうか」
萱代さんのことより、ワタシがやらかしたかもしれないってことの方が問題だ。うっすらと残っている記憶……酔っぱらって抱っこをせがみ、しなだれかかっていたような気がする。あの後、いったいどうなったのだろうか……気にならないと言えば嘘になる。
「ねぇ、玻璃乃。昨日帰ってきたとき、ワタシどんな感じだった?」
昨日の朝、玻璃乃に合鍵をわたしていた。潮干狩りから帰ってきた玻璃乃は、ワタシを起こさないようにそっと部屋の様子をうかがったのだそうだ。
「昨日も言うたやん。ぐっすり寝とったよ」
「萱代さんは?」
「ベッドにもたれ掛かって寝とったな。足元の方で。ウチに気づいて目ぇさましたけど」
先に目をさました萱代さんと玻璃乃の話し声で、ワタシも目をさました。玻璃乃が勘ぐるようなことなんて何も起きてないはずだ……多分。
釈然としない思いをかかえて悶々としていると、勢いよく入口のドアが開いてドアベルがけたましく鳴った。大きなボウルをかかえた萱代さんが、背中でドアを押し開けながらお店の中へと入ってきた。
「お、もう大丈夫なの?」
ワタシの姿を見て、萱代さんが言った。
「おかげさまで。すっかり良くなりましたよ」
「そりゃ良かった。君が風邪ひくとか、まるで鬼の
ぐぬぬ。いつもと変わらない、憎たらしい萱代さんだ。
しかし、昨日はいったいどうしてしまったのだろう。萱代さんのことが異様にカッコよく見えてしまった。今日会ったら恥ずかしくて目を合わせられないんじゃないかと思っていたけれど、まるでそんなこともなくいつもの調子だ。すべては熱とお酒のせい……そう思って納得することにする。
「砂ぬきは終わってるから。後はよろしくね」
そう言って萱代さんは、アサリの入ったボウルをマスターへ手わたした。
「あれ? 萱代さんが作るんじゃないんですか?」
「ん? マスターが作ったほうが旨いからな」
左肩をまわしながら、萱代さんが答える。
料理のことで、師匠が他人の腕を認めるだなんて意外だ。
「元々、でかいリストランテでパスタイオやってた人だからねぇ。俺もパスタに関しちゃ、マスターに教わったようなものだし」
え、そうなの!?
それじゃマスターは、萱代さんのパスタの師匠ってことになるじゃないか。
「萱代さま、その辺で……」
すかさずマスターから制止がはいる。
「おっと、しゃべりすぎだな。すまない、マスター」
「萱代さまがお作りになった方が、ずっと美味しいですよ。最初から何でも上手におできになった……お父さまとそっくりです」
昔をなつかしむように、マスターが目を細める。
「マスター、その辺で……」
二人は目を見合わせてると、お互いに肩をすくめて苦笑した。
なにげに二人の過去を紐とく重要ワードが飛び交った気がするけれど、この雰囲気ではいくら訊いたところで教えてはくれないだろう。きっとサラリとはぐらかされて終わる……もう付き合いも一年近いのだ。それくらいのことは解るようになった。
やがて集合時間となり、季里さんと左京寺くんもスターヒルに集まり全員がそろう。
萱代さんが立ち上がり、皆の前にたって訊いた。
「スパゲッティでいいかな?」
「ヴォンゴレってヤツやな?」
「そうだ。スパゲッティ・アレ・ヴォンゴレ。アサリのスパゲッティだな」
「やった! 間違いなく美味しいやつ!」
皆が盛りあがる中、萱代さんがマスターに向かってうなずく。心得ましたとばかりにうなずきかえすと、マスターは奥の厨房へと姿をけした。
「いやぁ、できるのを待つだけってのは楽でいいねぇ」
カウンター席に腰かけると、珈琲をすすりながら萱代さんが言った。いつも作る側の萱代さんらしい感想だ。
「師匠、マスターが作ってるところ、見学しちゃだめですかね」
「いいんじゃないの。奥にいって見てこいよ」
「師匠も一緒に来てください!」
萱代さんの腕をつかんでカウンターの内側へはいり、厨房を覗きこむ。
「おいおい。なんで俺まで……」
「作り方の解説してくださいよ」
「マスターに訊きゃいいじゃないか」
厨房ではマスターが、スパゲッティを茹で始めるところだった。何ごとかと振りかえったマスターだったけど、状況を察してふたたび調理にもどる。
「料理してもらってるのに、解説までたのめませんよ。師匠が解説してください」
「喜んで教えてくれると思うけどね」
「そんな厚かましいこと、できませんって」
左手を首にやり、萱代さんがため息をもらす。
「はいはい、わかりました。解説させていただきましょう……」
「やった! わかりやすくお願いしますね」
「厚かましいわ! 俺に対して厚かましいわ」
マスターはアルミパンを手前にかたむけてガスレンジに置くと、フライパンの角にオリーブオイルの溜まりを作った。そして刻んだニンニクと唐辛子を泳がせて火をつける。
隣のガスレンジにもフライパンをセットして、同じようにニンニクを温め始める。どうやら人数分、一気に作るつもりらしい。
「ベースは、アーリオ・オーリオだな。潰して刻んだニンニクとちぎった唐辛子を、オリーブオイルで色づく直前まで加熱する。オイルはエクストラ・バージンじゃなくてもいいってのは、もう言うまでもないかな」
「火を入れると香りが飛んでしまうから、等級の低いオイルで充分ってヤツですよね。ちゃんと憶えてますよ」
最高級のエクストラ・バージンと他のオリーブオイルでは、香りの良さが決定的に違うんじゃないかと思う。
香りってのは揮発性でどんどんなくなってしまうから、できるだけ食べる直前に加熱が最小ですむタイミングで香りづけする……っていうのは、いつも師匠から口すっぱく言われていることだ。これはなにもオリーブオイルに限ったことではなくて、香りづけを目的につかうスパイスやハーブにも言えることなのだそうだ。
「茹で方だって、もはや説明はいらないだろ? アサリに塩分があるからって、塩を減らす必要はないぞ。いつも通り一.五パーセントくらいの塩で大丈夫だ」
塩気の多い食材をあつかうとき、いつも萱代さんがする説明だ。ただ、茹で汁をソースに加えるのなら、量に気をつけるように言われている。
「あかん。ニンニクの匂いって、なんでこう食欲をソソるんやろな」
突然の声にふり返ると、玻璃乃と左京寺くんまで厨房をのぞきこんでいた。
「ふたりとも、どうしたの!?」
「いや、待ちきれんちゅうか、なんちゅうか……」
厨房に全員集合かと思いきや、振りかえって見れば季里さんはカウンターで独りグラスをかたむけていた。内側から見ると、カウンターにたたずむ美人ってのは絵になるものだな……などと感心してしまう。
次の瞬間、厨房から油が爆ぜる大きな音がひびく。あわてて視線をもどすと、マスターがフライパンにフタをするところだった。
くーっ! 何があった!
マスター、手ぎわが良すぎる……見のがしてしまった。
「師匠! 師匠! なにが起こったんです?」
「よそ見してるから……」
呆れたように天をあおぐ。仕方ないじゃないか。美人に見とれていたのだ。
「フライパンに水を入れて、アサリを蒸し焼きにしているところだよ」
さっきの油が爆ぜる音は、フライパンに水を入れた音だったらしい。
「え、水なんですか? 白ワインとかじゃなくて?」
「鮮度の悪いアサリだと白ワイン使ったりもするけど、そうでなけりゃワインの酸味はかえって邪魔だね。水の方がアサリの旨みをストレートに味わうことができる」
「へぇ、そうなんですね!」
「ここで大事なのは、アサリを入れたフライパンをあおらないことだな」
「あおっちゃダメなんですか?」
勢いよくあおって宙を舞うアサリが、カチャカチャと音をたてながらフライパンに帰っていく様を想像してみる。けっこうカッコいいんじゃないかと思うんだけど……。
「乱暴にあつかうと、貝殻が欠けるからね。身の肥えたアサリほど貝殻が薄いしな」
「なるほど。パスタにまぎれこんで、噛んだら嫌ですもんね……」
「まぁ、蒸し焼きするのに、あおる必要もないしな」
数分の後、マスターがフライパンのフタを開けると、磯の香りが厨房に満ちた。盛大に立ちのぼる湯気の中から、口を開けたアサリが姿をあらわす。ふつふつと沸くスープの中で、身をおどらせている。
「美味しそう!」
「プリップリやなっ!」
火を弱めるとマスターは、菜箸でアサリをつまみ上げて殻をはずしはじめる。
「貝殻、はずすんですね」
「飾り用にいくつか取りわけて、後はぜんぶ殻をはずすんだ。火がとおったアサリは、殻をつまんで少し振ってやれば身がおちるからね。こうすることで、だんぜん食べやすくなる」
「あ、確かに。フォークで身をほじるの、けっこう大変ですもんね」
「食べやすさを考えれば、あらかじめ貝殻をはずしてしまった方がいい」
すべての殻をはずし終わるのと時を同じくして、キッチンタイマーがスパゲッティの茹で上がりを知らせる。茹で加減を確かめたマスターが満足げにうなずき、スパゲッティをフライパンへとうつす。
「いつもはスパゲッティは芯がなくなるまで茹できれって言ってるけど、今回はアルデンテだ。わずかに芯が残った状態であげて、アサリのスープを吸わせながら仕上げていく」
アサリのスープの中で、ときおり優しくスパゲッティを混ぜながら火をとおしていく。
スープの量がほどよく減ってきたことを確かめると、マスターは菜箸とフライパンを交差する円をえがくように動かして混ぜあわせる。そして二度、三度とフライパンをあおって、スパゲッティとソースをまとめあげていく。
「スープが乳化してパスタに絡んできたら、イタリアンパセリとオリーブオイルで仕上げだな。アサリの味に負けないよう、風味の強いスパイシーなオリーブオイルがいいね」
火を止めて刻んだイタリアンパセリとオリーブオイルをたっぷりと入れて、マスターが大きく一度フライパンをあおる。そして、温めておいた皿に盛りつけていく。
「さぁ、もういいだろ? 席につこうぜ」
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