第24話 美人が■■■とか言っちゃダメだ!

 カウンター席へともどり、パスタの到着をまつ。程なくしてマスターが、ワタシたち四人の前にスパゲッティの皿をサーブしてくれた。

 あれ? 四皿? 一皿たりない……そう思ってテーブルを見まわす。

「季理さんのパスタは?」

 彼女にだけサーブされていない。ワタシの問いに、季理さんが答える。

「いいの、いいの。マスターに別のやつ頼んでるから、お先にどうぞ」

「え、でも……」

「どうせダイエットで糖質制限でもしてるんだろ。いいから食おうぜ」

 言いすてる萱代さんに向かって、季理さんがあかんべえをしている。

「べぇ、だっ! 当たってるけど違いますぅ~」

 美人は何をやってもサマになるからずるい。

 いや、そんなことよりも……と言っては季理さんに怒られそうだが、できたてを熱いうちに食べなくては! 磯の香りを凝縮したかのようなアサリの香りに、食欲を刺激されっぱなしなのだ。これ以上、待ちきれる訳がない。

 よーし、食べるぞ!

「いただきます!」

 限界までフォークに巻き付けたスパゲッティを、口いっぱいに頬ばる。

 濃い! 凝縮された香りと味が、口の中で解き放たれる。すごい、口の中が海の香りでいっぱいだ!

 スパゲッティを、ひと噛み、ふた噛み。アサリの味がしみ出てくる……なんて言えば大げさだけど、パスタとソースが本当に一体になっているみたいに感じる。表面にトロリとからんだソースはもとより、スパゲッティがスープを吸って味の一体感が増しているように思う。きっとアサリのスープの中で仕上げたからだろう。

 磯の香りをしっかりと支えているのは、ニンニクとオリーブオイルだ。どんな食材でも受け止める黄金タッグ……アサリといえども例外ではないらしい。このタッグなくしては、もはやパスタを語ることなどできない。そして仕上げのイタリアンパセリもいい仕事をしている。清涼感のあるほのかな苦みが、アサリの風味をさらに引き立てている。

 パスタの間にからまったアサリの身を噛みしめると、プリッとした噛みごたえの後にアサリのスープがほとばしる。噛むほどに味わい深いアサリの身は、ともすれば単調になりがちなスパゲッティの食感に程よいアクセントを与えてくれる。

「え、ちょ、うまっ!」

 玻璃乃もむさぼるようにして食べている。無理もない、これは美味しすぎる!

「ごちそうさまでした」

 手をあわせるワタシを、萱代さんが驚きの表情で見つめている。

「もう食べちまったの?」

「美味しすぎました!」

「いつもながら、いい食べっぷりで……」

「おかわり、ないんですかね」

「アサリはまだあるけど、あっちも試してみたら?」

 萱代さんが指さす方を見ると、マスターが季理さんの席になにやら細長い料理が乗った皿をサーブするところだった。

「お待たせしました」

「やった! 一年間まちわびました!」

 嬉しそうに手を打ちならすと、季理さんは箸を手にとり料理を口へと運ぶ。噛みしめるようにして味わうと、身をふるわせて喜びをあらわにしている。

「おいしぃ~! やっぱ春はコレよねぇ~」

「季理さん、なに食べてるんですか?」

 皿の上をみやれば、なにやら見なれない細長い管状のモノが並んでいた。一〇センチほどの細長い管のように見えるけど、表面の模様がなんだか貝殻みたいだ。

「マテ貝よ。網焼きにしてもらったの」

「へー。そんな筒みたいな貝があるんですね!」

「筒じゃないよ。こう見えても二枚貝。ほら」

 そう言って、貝殻を見せてくれる。

「カミソリみたいでしょ。カミソリ貝って別名もあるのよ」

 細長い貝殻が二枚合わさって、筒のような形になる……まるで豆のサヤみたいだ。豆と違うのは、サヤの上下が開いたままってところか。砂に縦にもぐって、上側から水管をだして、下側から足を出しているのだと、季理さんが教えてくれた。

「お! それ、塩かけてひこ抜いたやつやな?」

 マテ貝を指さして、玻璃乃が言う。

「塩かけて?」

「せや。その貝がおる穴を見つけて塩いれたらな、ヒョコッと顔だしよるんや。そこをつかんで、引っこぬく……ちゅう訳や」

「へぇ。なんで塩かけたら出てくるの?」

「知らん」

 お、おう。そんな自信たっぷりに知らないアピールされても……。

「マテ貝ってね、潮が引いているときは砂の中でじっとしてるけど、満ちれば水管を出してブランクトンなんかを吸いこんで食べるのね」

「それじゃ、塩をかけると潮が満ちたって勘違いする……ってことです?」

「そうかもしれないけど、実のところはビックリして飛びだしてる……って感じじゃないかな。塩分の急激な変化は、命にかかわる訳だしさ」

 なるほど。人で例えるなら、のんびり昼寝してたら急に熱湯ブッかけられて、あわてて飛びおきた……みたいな感じか。

「マスター。皆にもマテ貝焼いてあげて~」

 厨房にむかって、季理さんが声をかける。厨房からはすでに、貝の焼ける芳ばしい匂いが漂い始めていた。

「まもなく焼きあがりますよ」

 さすがはマスター、先手をうってすでに調理中だ。

 貝の焼ける香りってのもまた、胃袋をわしづかみにする。マテ貝ってどんな味がするのだろうと、興味はかきたてられるばかりだ。

 しかし、今日は貸し切りにしてもらってよかった。こんなに芳ばしい海の匂いが充満していては、珈琲の香りを楽しむどころではないだろう。

「おまたせいたしました」

 サーブされた大皿には、熱々に焼き上がったマテ貝が整然とならんでいた。早速、手元の小皿に取って貝殻をはずす。貝殻が細長いから身も細長いのかと思っていたらまさにその通りで、意外と見た目がグロテスクだ。

「ねぇ、玻璃乃。これってさ、どう見てもチ……」

「アカンで! それ以上はアカン!」

 いや、だって完全にアレだろう。どっからどう見たって、アレに見えてしまう。いや逆に、アレに見えない人なんているのだろうか。ワタシを止めたってことは、玻璃乃だってアレに見えてるはずだ。

 細長い一〇センチほどの身の端は、足だと言っていただろうか。足の先がプックリと膨れていて、くびれのあたりには黒ずんだヒダが取り巻いている。

「だってこの形、完全にチン……」

「アカン言うとるやろ!」

 不意に後頭部をはたかれた。玻璃乃、ツッコミが激しすぎる……。

「ちょっとグロくてムリかも……」

「ゴチャゴチャ言うとらんと、はよ食べ」

 そう言いながら、玻璃乃がチン……いやマテ貝を頬ばる。

「お! こら旨いな!」

 玻璃乃が二つ目のマテ貝に手を伸ばす。

 そんなに美味しいんだ! やばい、見た目にひるんでる場合じゃない。早く食べないと、玻璃乃に食べ尽くされてしまいそうだ。目をつぶってマテ貝を口にほおりこむ。

「え、美味しい……」

 もしかすると、アサリより味が濃いんじゃないだろうか。鮮烈な磯の香りと、ほんのりとした甘み……。貝の身が大きいから、食べごたえがある。コリコリ、シコシコとした食感が、癖になってしまいそうだ。季理さんが待ちこがれていたのにも、納得の美味しさだ!

「桜馬くん、桜馬くん」

 いたずらっぽく笑いながら、季理さんが萱代さんを呼んでいる。

「なんだよ……」

 めんどくさそうに顔をむけた萱代さんに、箸でマテ貝の身をつまんで差しだす。

「見て見てぇ~」

 いぶかしげに萱代さんが眉をひそめた次の瞬間、その言葉ははなたれた。

「チ・ン・コ?」

 ファ!?

 なに言ってるんだ季理さん! 思わずマテ貝を噴き出しそうになってしまった。ワタシが言う分にはいい。玻璃乃が言ったとしても、キャラ的にセーフだろう。だけど季理さん、あんたはダメだ! 美人がチンコとか言っちゃダメだ!

 萱代さんはあきれ顔で天をあおぎ、季理さんはケタケタと笑い転げている。あ、左京寺くんがドン引きしてる。

「まったく、悪い酒だなぁ……」

 肩をおとして、萱代さんが大きなため息をつく。

「え、季理さん飲んでるんですか?」

「季理の足もと、見てみろよ」

 言われてカウンターの下を見やると、そこには緑色の一升瓶が鎮座ちんざしていた。ラベルに『純米』の文字が見える。ミネラルウォーターでも飲んでるのかと思ってたら、季理さんコップ酒キメてたのか!

「いいなぁ~。ワタシも飲みたい!」

「お! 百合ちゃんもいっとく?」

 隣にすわってマスターからグラスを受けとると、季理さんが差し出したグラスに日本酒をついでくれた。

「じゃ、季理さん。飲みましょ!」

 乾杯しようとした瞬間、背後から伸びた手がグラスを奪いとってしまう。

「え、なに、なに!?」

 振りかえってみれば、ワタシのグラスを持った萱代さんが、迷惑そうな表情を浮かべて仁王立ちしていた。

「君はダメだ。昨日みたいなことになったら、たまらないからな」

 昨日みたいなこと……ヴィン・ブリュレを飲んだときのことを言っているのだろうか。酔って萱代さんにしなだれかかったことは憶えている。やはりあの後、なにかあったのか!?

「昨日みたいなこと……って、なにかありました?」

 恐る恐る訊いてみる。

「まさか、憶えてないの!?」

「え、えぇ。まぁ……」

 萱代さんが頭をかかえてうなだれている。まって、そんなにひどい事があったの!?

「とにかく、今日は酒をひかえてくれ」

「そんなぁ~」

 ダメだと言われると、ますます飲みたくなってしまうのが人のさがだ。

「えぇ~。チンコ美人と乾杯したいのにぃ~」

 ワタシの言葉に、萱代さんがまたもや頭をかかえてうなだれてる。

「おまえ、飲む前から酔っ払ってんのか!?」

「いや、だって季理さんが……」

 季理さんがチンコとか言ったことが衝撃的すぎて、思わずへんなあだ名で呼んでしまった。失敗、失敗……。

「いいもの作ってやるから、それで手を打ってくれ。酒はやめとけ……」

「もう、仕方ないですねぇ……。なんです? いいものって」

「できてからのお楽しみだ。これはもらっていくぞ」

 そう言ってお酒の入ったグラスを持ったまま、カウンターの中へと入っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る