第25話 酒蒸にしてスパゲッティと合わせよう

「マスター、表のガスレンジ借りるね。あと、スパゲッティ茹でもらえるかな。みんなお腹ふくれてるだろうし、二〇〇グラムもあれば足りるでしょ」

 言いながら、カウンターの向こう側で、ニンニクを潰しはじめる。ときおり調子を確かめるかのように左肩を回しながら、あっという間に潰したニンニクをみじん切りにしてしまった。

「師匠、肩どうかしたんですか? 調子悪そう……」

「あ? 本当に憶えてないの?」

 え、もしかしてワタシのせい……なの!?

「ねぇ、ねぇ。百合ちゃん。百合ちゃん」

 萱代さんとの会話をさえぎる声に季理さんを見やれば、お箸でマテ貝をつまみあげようとしているところだった。このパターンは、アレだろ……アレ。

「見てぇ~。チンコ?」

 そう言ってまた、一人ゲラゲラと爆笑している。

 なんだろう。こういう酔い方をする季理さんは、珍しい気がする。飲んでるお酒が違うせいだろうか。いつもワインばかり飲んでるのに、今日はめずらしく日本酒だし。

「季理さん、今日はワインじゃないんですね」

 言った途端に笑い声がやみ、季理さんの表情がくもる。

「そうなの。ワインって、貝や魚に合わないのよね……」

「そうなんですか!?」

 魚介といえば、白ワインを合わせるのが定番じゃないの?

「パスタにしちゃえば問題なんだけどさ。焼貝もダメだし、お刺身にも合わない……」

 季理さんの話をきいて、フライパンを火にかけながら萱代さんが会話に加わる。フライパンを覗きこめば、中にはたっぷりのオリーブオイルとニンニク、そして唐辛子が入っていた。基本のアーリオ・オーリオだ。

「俺も魚介とワインは合わないと思うな。生魚もそうだし、魚卵系は全滅だな」

「魚卵って……イクラとかキャビアとかです?」

「そうだな。あと、海藻あたりもキツイな。ワインと合わせると、どうしても生ぐさく感じてしまう……まぁ、感じ方には人それぞれだし、好みの問題もあるんだろうけどな」

 正直言ってあまり気にしたことがなかった。と言うか、お刺身や魚卵にワインを合わせたことがなかったのかもしれない。

「赤ワインだとタンニンの渋味で魚介の風味がだいなしになるし、ワインの鉄分が魚の不飽和脂肪酸と合わさると生臭さを感じる。白ワインは渋味が少ないけど、やはり鉄分が生臭さを強調してしまうんだ」

「へぇ……。じゃ、日本酒なら合うんですか?」

「日本酒以上に魚介と相性のいい食中酒を、俺は知らないね。日本酒はアミノ酸を多く含んでいるし、魚介の味を邪魔しないだけでなく味わいを膨らませてくれる」

 萱代さんが、日本酒の入ったグラスを手にする。

「それはなにも、食中酒としてばかりの話じゃない」

 そう言うと、グラスの中身をすべてフライパンへとそそいでしまった。油の爆ぜる音がひびき、ニンニクと日本酒の混ざりあった芳ばしい匂いが立ちこめる。そして十本ほどのマテ貝を入れると、萱代さんはフライパンにフタをした。

「料理酒としても魚介によく合う。酒蒸さかむしにして、スパゲッティと合わせよう」

 さすが師匠! いつもワタシの予想を超えてくる。まさかアーリオ・オーリオのベースに、日本酒をあわせるとは!

「師匠、新鮮な貝ならお酒はいらないって言ってませんでした?」

「日本酒だったら話はべつだ。貝の旨さを膨らませてくれるからね」

 フライパンの中から、フツフツとお酒のわく音がきこえる。お酒で蒸し焼きにしたマテ貝って、どんな味に仕上がるんだろう……楽しみで仕方がない。

 程なくして萱代さんがフタを開けると、プックリと瑞々しく蒸しあがったマテ貝が姿をあらわす。貝殻を取りのぞいてスパゲッティにスープを吸わせると、ヴォンゴレと同様にイタリアンパセリとオリーブオイルで仕上げた。

「スパゲッティ・アイ・カンノリッキ、おまたせ!」

 大皿に盛られたスパゲッティの中から、マテ貝が見え隠れしている。立ち上る湯気からはニンニクやオリーブオイルと絡みあった磯の香りが……その陰からは日本酒のやわらかい香りがほんのりと鼻腔をくすぐる。なんだこれ、湯気まで美味しいぞ!

「取り分けて食べな」

 言われる前からすでに、小皿にパスタとマテ貝を取り始めている。こんなの、絶対に美味しいに決まっている!

 スパゲッティを巻くことすらもどかしく、小皿から直接フォークでかっ込む。優しい磯の香り……網焼きのような鮮烈な香りではないけれど、風味の豊かさならこちらの方が上だ。ニンニクやオイルが加わった分だけ広がりが生まれたという意味ではなく、マテ貝の味自体が広がったように感じる。これが萱代さんの言っていた、味を膨らませる……ってことなのだろうか。マテ貝自体もふっくら柔らかに仕上がっていて、噛むほどに貝の甘みが染みだしてくる。

「師匠、これ、やべぇっす!」

 語彙力、ワタシの語彙力どこにいった! もとから豊富なわけじゃないけれど、語彙も消滅する美味しさだ!

 そのとき、ふと気づく。もしかして……。

「これって、アサリで作っても美味しいです?」

「あぁ、旨いな。アサリの酒蒸しにパスタを合わせるようなものだからな」

 それを聞いてしまうと、試してみたくてしょうがない。

「師匠、あまり食べてないでしょ。パスタ作ってあげますよ!」

「え、いいよ。自分で作った方が旨いし」

「弟子の成長の機会なんだから、おとなしく試食してください!」

 渋々といった様子で、カウンターの調理台をゆずってくれた。奥の厨房で、マスターが苦笑している。

「季理さん、お酒わけてください」

 グラスを差しだすと、季理さんは一升瓶をかかえてイヤイヤをする。

「やだ。私が飲むのが、なくなっちゃう……」

 なんだ、なんだ。今日の季理さんは、間がぬけていてなんだか可愛いぞ。

「そんなこと言わずに。季理さんにも、パスタ作ってあげますから」

「えー、ダメだよ。糖質制限中だし……」

「日本酒のみまくって、なにが糖質制限ですか。手遅れですから、あきらめて美味しいパスタ食べてください!」

 こうして日本酒を手に入れたワタシは、師匠に一皿、そして季理さんに一皿『アサリの酒蒸しスパゲッティ』を作りあげた。萱代さんからは、手ぎわが悪い、アサリに火が通りすぎて硬くなっているとダメ出しを食らったけど、おおむね美味しくできていると合格点をもらった。いつも思うことだけど、なんとか褒めて伸ばす感じに方向転換してくれないものだろうか。

 貝好きが故か、糖質制限の反動か、季理さんの食べっぷりは見事なもので、すごく美味しそうに食べてくれるものだから、作ったワタシもなんだか嬉しくなってしまう。萱代さんも、季理さんくらい美味しそうに食べてくれればいいのに……。

 さて、萱代さんといえば、左肩をいためている件がまだ解決していない。その後の会話の中で、寝ちがえてしまったってあたりまで聞き出すことはできたのだけれど、それ以上は教えてくれなかった。しつこく食いさがる必要もないのだろうけど、ワタシとしては気になって仕方がないのだ。

 夕方になって皆が帰り、萱代さんの部屋へお邪魔して改めて訊いてみる。

「左肩の寝ちがい、ワタシのせいなんですか?」

 ソファーに寝転んでスマホをながめていた萱代さんが、ため息をひとつついておもむろに口をひらく。

「昨日酔っぱらって、寝ちまっただろ?」

「そ、そうでしたっけ?」

 やっぱりソコか! その時のことなのか!

「よだれ垂らして寝てたよ」

「よ、よだれ!? ワタシ、そんなものたらしてませんよ……たぶん」

「たらしてたよ、俺のシャツの袖に。それは良いんだけど……放さねぇのな、俺の腕をつかんだまま」

 おっと、そうきたかワタシ!

「しかも腕をぬこうとすると、駄々っ子みたいに泣くんだ……」

「ワタシがですか!?」

「他に誰が泣くんだよ。起きてるのかと思ったら寝てるしな。仕方なく放すまで待ってるうちに、俺もベッドにもたれて寝ちまってな……目がさめたら肩を痛めてたって訳」

 そんなの、完全にワタシのせいじゃないか。看病してくれたのに、そんな迷惑をかけていただなんて……。

 ソファー脇の床にすわり、萱代さんの顔を見上げる。スマホを見つめていた視線が向けられ、不意に目があってしまった。

「なんか、ワタシ……その、いろいろとごめんなさい」

 思い返してみれば、体調が悪かったとは言え傍若無人ぼうじゃくぶじんのかぎりを尽くしていたような気がする。抱きまくらでぶん殴ったような気も……。

 それなのに、ごはんを作ってくれたり、ホットワインを飲ましてくれたり……萱代さんが居てくれなければきっと、不安に押しつぶされていたと思う。ご飯だってまともに食べられなかっただろうし、今日こうやって元気になっているのはきっと、萱代さんのおかげなのだ。

「その、ありがとうございます。昨日のこと、本当に感謝してるんですよ」

 萱代さんはワタシを見つめ、ずっと黙ったままだ。無言でそんなに見つめられたらワタシ……。

 不意に昨日の萱代さんを思いだす。ワタシの好きなカブを食べさせてくれたり、体を気づかってショウガを使ってくれたり……あのとき、萱代さんがすごくカッコよく見えた。その時の感覚がよみがえってくる。

 なんだろう、この胸の高鳴りは。もしかしたらワタシ、萱代さんに恋しちゃってるんじゃないだろうか!?

 いやいや、まてまて。そんなことはないはずだ。そもそも萱代さんなんてワタシの好みじゃないし、いつも憎たらしいことばっかり言うし。

 でも、それならば、この胸の高鳴りはいったい……。

「あ、さっきの嘘だから」

 そう言って萱代さんは、視線をスマホにもどす。

「嘘……ってなにが?」

「さっきの話、ぜんぶ」

「腕つかんで離さなかったとか……その話?」

「そう。肩痛めたのも、昨日の夜に寝ちがえただけだから」

 ワタシは無言で、萱代さんの肩に右ストレートをブチ込む。

「痛っ! なにするんだよ」

 さらに二発、三発と、肩をなぐる。

 たまらずソファーから逃げだすまで、萱代さんの肩を殴りつづけた。

「最低です! 師匠」

「そんなに怒るなよ……」

「師匠なんて、ヴォンゴレ食べるたびアサリに砂が入ってる呪いにかかってしまえ!」

「なんだそれ、怖いわ!」

 ちくしょう……。

 ドキドキしてしまったワタシが、なんだかバカみたいじゃないか。

「師匠なんて、口の中ジャリジャリになっちゃえ!」

 言いすてて、萱代さんの部屋を後にした。

 日が落ちて薄闇が忍び寄る自室の前で、ポケットの中の鍵をさぐる。指先が鍵を探し当てたとき、不意に思いいたる。

 嘘ってのは、萱代さんの照れかくしではないだろうか……。

 ワタシだって素直じゃないけど、萱代さんなんてそれに輪をかけて素直じゃない。ワタシが素直に感謝の言葉なんてかけたものだから……。

 だとしても、だ。

 乙女の純情をもてあそんだ罪はおもい。乙女でもなければ、もてあそばれた訳でもないけれど、それでも萱代さんの罪はおもいのだ!

 まぁ、でも……。

 次に会ったときには、ちょっとだけ優しくしてあげようかな……そう思いながら、自分の部屋のドアを開けた。

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