第六幕:対決! クチーナ・ポーヴェラ

第26話 料理勝負で決めようじゃないか

 部屋を出た瞬間、真夏の太陽に焼かれそうになった。

 いや、UVケアもせずに部屋を出たものだから、実際に日焼けしているかもしれない。

 あわてて何度も隣室のドアホンをならす。はやく部屋にいれてほしい!

「いま開けるから!」

 スピーカーから、いらだった声がひびく。

「はやく、はやく! 焦げちゃう!」

「はいはい……」

 ため息とともに吐きすてられた返事。程なくして開けはなたれるドア。

 鈍い音とともに、おでこに激痛がはしった。

「痛いっ! 何するんですか!!」

 開けはなたれたドアに、頭をぶつけていた。

「どうしてドアの開く方に立ってるかな……」

 仕方ないじゃないか。少しでも早く冷房のきいた部屋に入りたくて、前のめりになっていたのだ。むかえに出てくれた萱代さんの脇をすり抜け、いそいで部屋へとはいる。

「極楽ですね、この部屋……」

 冷房の吹き出し口の前にたち、涼風を一身にうける。

「約束って、夕方じゃなかったっけ?」

「あんまり暑いから、師匠の部屋で涼もうかと思って」

 あきれた表情のまま、萱代さんが肩をおとす。

「君の部屋にも、クーラーくらいあるだろ」

「ありますけど節約です!」

「人の部屋に涼みにくるの、やめてもらっていいですかね……」

 忌々しげに言いすてる。

「違いますよ。パスタを習いに来たついでに、涼んでるだけですから!」

 今日は日曜だけどあまりの暑さに出かける気も失せ、パスタを習いに来ることにした。夕方からという約束だったのだけれど、早めにお邪魔させてもらったという訳だ。

 日曜だと言うのに、萱代さんは仕事のようだ。ワタシの相手なんかしてられないだろうから、ちゃんと夕方まで一人で過ごせるようバッグに雑誌やタブレットやゲーム機を詰め込んできた。独り遊びの準備は万全だ。

「季里が四時くらいに来るってさ。新しい案件の話とか言ってたな」

 PCに向かいながら、思い出したように萱代さんがつぶやいた。

「そうなんですね。日曜に仕事だなんて、季里さんも大変ですね」

「土日関係ないクライアントも多いし、どうしてもね」

 みんなと同じタイミングで休めないってのも良し悪しだなって思う。みんなが休んでいるときに働くのは、損した気分にならないのだろうか。

「ところで大丈夫なの?」

 問われて萱代さんを見やると、おでこのあたりを指さしていた。さっきドアにぶつけたおでこのことだろう。指先でふれてみたけど、痛みもなく問題なさそうだ。

「大丈夫……だと思います」

 ふと既視感にとらわれる。似たことがあった気がする。

 そうだ、最初にこの部屋にお邪魔したときのことだ。萱代さんが開けはなったドアに激突したワタシは、鼻血を出してこの部屋で休ませてもらった。そして感動の素パスタを食べさせたもらったのだ。

 あれからもう、一年が経とうとしている……。


 ソファーでくつろいで雑誌をながめていると、まどろみに引きこまれそうになる。

 日は傾いてきたけれど、窓の外には抜けるような青空が広がり入道雲が湧きたっている。こんな天気の良い日に冷房のきいた部屋でダラダラするだなんて、すごく贅沢な時間の使い方ではないだろうか。最高の休日とは、こういう日のことを言うのだろう。

 贅沢を満喫していると、ドアホンがなって来客をつげた。時計をみれば、四時を回ったところだ。きっと季里さんが、打ち合わせにやってきたのだろう。

「わるい、出てくれない?」

 萱代さんに請われてドアホンのモニタを覗きこめば、エントランスに立つ季里さんの姿が映しだされていた。

 エントランスのロックを解除すると、モニタが建物の中に入る季里さんの姿を映した。そして連れだって入る男性の姿も……。

「師匠。季里さん、お客さん連れてますよ?」

「おかしいな。来客があるなんて言ってなかったけど……」

 お客様が来られるのならばと、散らかし放題のソファー周りをあわてて片付ける。

 やがて玄関のドアホンが、季里さんたちの到着をつげる。玄関まで迎えにでてみれば、そこには季里さんともう一人、意外な人物が立っていた。


 ら、雷火らいかさま!?


 予想をこえたできごとに遭遇したとき、人はどんな行動をとるのだろうか。

 たとえば、不意にとんでもなく嬉しいできごとに遭ったとして、すぐに喜びをあらわにできる人は少ないと思う。同じように不意にとんでもなく悲しいできごとに遭ったとしても、すぐに悲しみをあらわにできる人も少ないだろう。

 予想をこえるできごとに遭遇したとき、多くの人は思考が停止してしまい、立ちつくすことしかできないのではないだろうか。

 そう、いまのワタシのように。

 何を言っているのか解らないと思うけど、ワタシだって何が起きているのか解らない。

 とにかく目の前に、ワタシの推しであるところの雷火さまがいらっしゃるのである。世代を問わず世の女性たちを魅了しつづけ、テレビで見かけない日はないという、あの稀代の天才イタリアンシェフであらせられるところの萬有ばんゆう・ザ・雷火さまが!

桜馬おうまがOKしないから、説得のためにクライアント連れてきちゃった」

 部屋の中へ招かれた季里さんは、そう言っていたずらっぽく笑った。

 思いかえしてみれば半年ほど前、二人は雷火さまのウェブサイト制作を請ける請けないでもめていた。絶対に請けてとねじ込む季里さんに、絶対に請けないと突っぱねる萱代さん……。話は平行線のままで、一旦は季里さんが引いていたはずだ。

 なるほど、あきらめてなかったという訳だ。引いたと見せかけて、こうやって一発逆転の大技をねじ込んでくるのだから……さすがは季里さん、戦略家だ。

 萱代さんからしてみれば、だまし討ちにあったようなものか。打ち合わせにきた季里さんを迎えてみれば、雷火さままでついて来ているのだから。

 師匠の機嫌が悪いのはきっと、そういう理由なのだろう。お客さまの……しかも雷火さまの前だというのに、ソファーに身を投げだす態度は失礼きわまりない。

「久しぶりだな、桜馬」

 雷火さまが、萱代さんに声をかける。

 え? ちょっと待って!

 いま何て言った!?

 たしか「久しぶりだな」と言ったはずだ。しかも「桜馬」と下の名前で呼びかけた。

 待て待て、二人は知り合いなの? 下の名前で呼ぶくらいだから、けっこう親しい関係だったりするの!?

「何しに来たんだ。帰れよ」

 やばい、ツッコミが追いつかない! こんなことではまた、玻璃乃に怒られてしまう……いや、そうではなくて、ツッコミが追いつかないどころの騒ぎじゃない。久しぶりという挨拶に対して、帰れだなんて!

 何なの? 二人は知り合いなの? しかも仲が悪いの!?

「顔を見にきてやったというのに……相変わらずだな」

 雷火さまがあきれて肩をすくめている。

 季里さんを見やれば彼女もこの展開におどろいている様子で、なすすべもなく笑顔を引きつらせていた。二人が知り合いで仲が悪いこと、季里さんも知らなかったようだ。

「何の用だ」

 ぶっきらぼうに、萱代さんが言いはなつ。

「デザイナーとして貴様の名前があがるものでな。評判が良いそうだな、お前の仕事は」

「用件は何だと聞いている!」

「私の仕事を請けたくないと、ゴネているそうじゃないか」

「仕事を選ぶ権利くらい、俺にだってあるだろ」

 機嫌の悪さを隠そうともしない萱代さんに対して、余裕の表情でうっすらと笑みすら浮かべる雷火さま。師匠には悪いけど、まるで役者がちがう……なんてことを思ったのだけれど、口をはさめるような雰囲気ではない。ここは余計な茶々などいれず、黙って見まもるべきだろう。ワタシだって、空気くらい読めるのだ。

「この雷火の仕事を請けたくない……そう言うのだな?」

「そうだ。誰がお前の仕事なんか請けるものか」

「そんな風に言われては、こちらも引きさがれなくなる」

 ニヤリと口元をゆがめた雷火さまが、さらに続ける。

「どうだ。久しぶりに料理勝負で決めようじゃないか」

「料理勝負……だと!?」

「昔よくやっただろう」

 料理勝負と聞けば、思い当たる話がある。萱代さんのお父さんの話だ。親子仲が悪くて、喧嘩のかわりに、料理勝負をしてたとか……ということは、もしかして萱代さんのお父さんって雷火さまなの!?

 ことの成り行きを見まもっていた季里さんも、驚きに目をしばたたかせている。ワタシと目があうとあわてて駆けより、耳元で声をひそめる。

「百合ちゃん。もしかして萱代さんのお父さんって……」

「どうやら、そうみたいですね」

 萱代さんがお父さんと不仲だと教えてくれたのは季里さんだった。けれども、そのお父さんがまさか雷火さまだとは、さすがの季里さんも知らなかったようだ。

「馬鹿じゃないのか。どこぞの料理漫画でもあるまいに」

「そんな馬鹿な勝負をいどみ続けてきたのは誰だったか」

「ぐっ……」

 言葉を失う師匠というのも、なかなか珍しい。依然として会話のペースは雷火さまがにぎったままで、萱代さんは防戦一方だ。

「私が勝てば仕事を請ける。貴様が勝ったら請けない。勝てば嫌な仕事から逃げられるし、負けても金が入る。どちらにしても貴様に損がない勝負だ。当然やるだろ?」

「……いいだろう。乗ってやる。ただしこちらにも条件がある」

「何だ。言ってみろ」

「お前が負けたら、二度と俺の前に姿をあらわすな!」

「構わんが、貴様が負けたときはどうする。店に戻ってくるのか?」

「そ、それは……」

 ソファーから雷火さまをにらみつつ、萱代さんが唇をかむ。

「どうした。勝てば良いだけのことだ。怖気おじけづいたか」

「い、いいだろう。その条件、受けてたとうじゃないか」

 勝負が成立してしまった。しかも話が大きくなってしまっている……。

 こんな風に言っては不謹慎かもしれないけど、まさかの展開にあわててしまう反面、期待に胸をふくらませているワタシもいる。季里さんだって例外ではなく、目を輝かせて二人のやり取りを見まもっていた。

「勝負のテーマは何だ」

「クチーナ・ポーヴェラは解るな?」

「当然だ」

「では、クチーナ・ポーヴェラを表現したパスタでどうだ。オマエが料理の本質を理解しているかどうか、私が直々に見てやろう」

「望むところだ!」

 萱代さんが応えると、雷火さまは満足げにうなずいた。

「あとは、審査をどうするかだが……」

 雷火さまの視線が、ワタシと季里さんで止まる。

「百合子くん……だったかな?」

 不意に名を呼ばれ、驚きに目をまるくする。

「ど、どうしてワタシの名前を!?」

「季里くんに聞いていただけのこと。審査を頼めるかな?」

「はい! 雷火さまの頼みなら喜んで!」

 ここで受けなくては女がすたる! と言うか、雷火さまの料理を食べることができるチャンスなのだ。これを見逃す手はない。

「あの、ファンです! 握手してください!」

 空気を読んでいない行動だってことは百も承知だ。いままで推しを目の前におあずけを食らっていたのだ。握手してサインくらいはもらっておかないと、悔やんでも悔やみきれるものではない。

「かまわんよ。サインも必要かな?」

「はい! お願いします!!」

 握手を交わして、バッグから手帳を取りだす。

「そのチャームは、漆塗うるしぬりかな?」

 手帳にサインを書きながら、雷火さまがバッグの持ち手にぶら下げたチャームを指さす。一目で漆塗りだと気づくとは、さすがは雷火さまだ。

 桜の蒔絵で彩られたチャームは、元はペンダントトップだったものだ。半年ほど前、母から祖母の形見をゆずりうけた。そう、母が上京したときの、日曜の昼食会プランツォ・デラ・ドメニカでの話だ。

 ペンダントを身につける習慣はないのだけれど、大好きだった祖母を身近に感じていたくてチャームとして使っている。

「祖母の形見なんです。実家のあたりは、漆塗りがさかんで……」

「ほぉ、なかなか趣味がいい」

 良かったね、お祖母ばあちゃん! 雷火さまがほめてくれたよ!!

 テレビで見る舌鋒ぜっぽうするどく毒舌をふりまく姿からは、想像もできないほど気さくで紳士的だ。ワタシの雷火さま大好きゲージが、さらに爆あがりなのだ。

 名残りおしいことではあるのだけれど、勝負の時間と場所を決めると雷火さまは帰ってしまわれた。季里さんがあわてて、雷火さまの後をおって駆けだしていく。

 部屋には、萱代さんとワタシがのこされた。萱代さんの機嫌は相変わらず最悪で、何だかいたたまれない気持ちになってしまう。

「萱代さんのお父さんって、雷火さまだったんですね……」

「あんなヤツ、父親でも何でもないね」

 忌々しげに、萱代さんが言いすてる。

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