第五幕:花冷えのヴォンゴレ・ビアンコ
第21話 どうせ腹だして寝とったんやろ
今日みたいな天気のことを、
窓から射しこむ日差しに心がやすらぐ。カーテンを揺らす春風が、心地よく頬をなでていく。今日は土曜で会社もお休みだし、引きこもりがちなワタシでもこんな日は絶好のおでかけ日和だと感じる。
そう、お出かけに最高の日なのだ。
風邪ひいて寝込んでさえいなければ……。
暖かい気候に気が緩んで、窓を開けっ放しで寝たのが失敗だった。明け方にかなり冷え込んだらしく、目が醒めると体が冷えきっていた。頭が重くボーっとするものだから、熱を測ってみると三八度をこえていた。発熱していることがわかるとさらに気分が悪くなった気がして、もう一度ベッドに潜りこんだのだった。
まぁ、でも、花冷えの夜に窓を開け放っていたことばかりが、発熱の原因ではないのかもしれない。今までにも季節の変わり目に体調をくずすことがあったし、日ごろの疲れやストレスがたまっていたのかもしれない。ワタシの失敗ではなくて、きっと不可抗力なのだろう……そう信じたい。
不可抗力ということにしたいのには理由があって、今日は潮干狩りに行く約束をしていたからだ。ワタシの不注意で行けなくなってしまったのだとは思いたくない。
萱代さん、季里さん、玻璃乃、左京寺くん、そしてワタシの五人で、木更津までドライブがてら、潮干狩りに出かける予定だった。木更津はアクアラインで東京湾を横断すればすぐらしく、渋滞さえなければ一時間ちょっとで着くらしい。千葉って意外と近いみたいだ。
このマンションの一階にある純喫茶スターヒルで待ち合わせだったのだけれど、時間になっても姿を見せず電話にも出ないワタシを心配して、玻璃乃が部屋までむかえに来てくれた。
そのときまさに体調が絶不調で、
こんな体調でドライブやら潮干狩りなんぞ出かける訳にもいかず、ワタシぬきで楽しんできてもらうことにした。「おとなしく寝とくんやで!」と言い残して、玻璃乃はわたしの部屋を後にした……ような気がする。「帰ったら様子見に来るから」と手をふる玻璃乃を、笑顔をつくって見送った……はずだ。
その後、倒れ込むようにしてベッドで横になった。にぎやかな友人が去ったあとの静寂。不意に不安な気持ちが沸きあがる。独り暮らしは、こういうときに心ぼそくて困る。
おとなしく寝ていれば本当に良くなるのだろうか。起きあがれないくらい具合が悪くなってしまったら、どうすればいいのだろうか。熱にうなされながら、助けを呼ぶことができるのだろうか。そんなことばかり考えて、どんどん不安になってしまう。こんなとき、誰かが側にいてくれれば安心なのに……。
本当は玻璃乃の腕をつかんで、「心ぼそいから一緒にいて」って言いたかった。でも、そんな子供みたいなこと、言えるはずがない。帰ってきたら様子をみに来てくれると言っていた。夜には帰ってくるだろう。それまでの辛抱だ……。自分に言い聞かせながら眠りについた。
三時間ほど眠っただろうか。
喉の乾きをおぼえて目がさめた。朝と比べると、少しは良くなってきているんじゃないかと思う。とはいえ、熱も下がっていないし気分もわるい。
水を飲みにいこうと体を起こしたとき、キッチンに人の気配があることに気がついた。扉のむこうで、なにやらゴソゴソと引き出しをあさる音がきこえる。
まさか泥棒!?
血の気がひく。こんな体調で、泥棒を撃退できるだろうか。いや、こんな体調でなくとも、撃退する自信なんてないのだけれど。
そ、そうだ。警察に通報……。
そう思って枕元にスマートフォンを探したけど見つからない。きっとバッグの中だ。たしか隣のリビングに置いたはずだ。
そうこうしているうちに、キッチンにあった気配がうごきだす。かすかな足音がリビングを通り過ぎ、この部屋の前で止まった。
もしかして、入ってくる?
ヤバい! どうしよう!?
泥棒と鉢あわせだなんて、シャレにもならない。武器になるようなものがないかと周囲をさぐる。手近にあった棒状のものをつかんで振りかぶる。部屋に入ってきたところを、こいつで殴りつけてやる!
ゆっくりとドアが開く。
大きな人影が、部屋の中を覗きこもうとしている。
「えいっ!」
かけ声とともに、渾身の力で殴りつける。
みごと泥棒の頭に命中した!
殴られた泥棒は、気絶してその場に崩れおちる……ような事はなく、驚いた表情でワタシを見おろしていた。
ダメか!
やっぱり抱き枕じゃ、ダメなのか!
「痛いなぁ。なにするんだよ、いきなり……」
泥棒がとぼけた声をあげる。
驚いたことに、聞きおぼえのある声だった。
「もしかして……師匠!?」
ドアを開け、萱代さんが寝室をのぞきこんでいた。
「もぉ~。師匠ぉ~。なにしてるんですかぁ」
ホッとしたらヒザの力が抜けてしまい、くずれるようにしてその場にへたり込んでしまった。床に倒れそうになったところを、萱代さんがあわてて支える。
「寝てなきゃダメだろ」
「だって、泥棒かと思ってぇ……」
安心したら、なんだか泣きそうになってしまう。
「なんで俺が泥棒なんだよ……。立てる?」
背中を支えながら、萱代さんがあきれ顔で天をあおいでいる。
「ムリ。立てません……」
なんだかもう全身の力が抜けてしまって、立つどころか支えてもらって座っているのがやっとだ。ほんの数歩先にあるベッドなのに、たどり着ける気がしない。
「仕方ないなぁ。ちょっと失礼」
そう言うと萱代さんは腕を胸の前で組ませ、肩を抱いたまま膝の裏に反対の腕を滑り込ませると、そのままワタシの体を抱き上げてしまった。
きゃ! お姫様抱っこ!
不意のできごとに喜んだのだけれど、ベッド脇の姿見にうつる姿を見て現実に引きもどされる。そこに映っていたのはお姫様ではなく、どう見ても単なる要介護者だった。情けないやら、恥ずかしいやら……。
「ごめんなさい。重いでしょ……」
申し訳なくなってしまい、萱代さんにわびる。
「あぁ、重いね」
相変わらず、にくたらしいことを言う。嘘でもいいから「そんなことはない」って言ってくれ。もてないぞ、そんなことじゃ。
ベッドにワタシを寝かせると、萱代さんは床に放りだされた抱き枕をひろいあげる。
「それはダメ! やめて!」
制止するも間にあわず、抱きまくらは師匠の手に……。
なにを慌ててるんだと、不思議顔で抱き枕を拾いあげた萱代さんの表情が凍りつく。
「お、おまえ、スゲーの使ってるな……」
見られた……。
萱代さんに見られてしまった……。
アニメの推しキャラが、等身大でプリントされた抱き枕。表面には乱れた着衣で横たわる推しくんがプリントされてる。そして裏面には……その、なんと言うか……つまりは、そういう事だ。
殺してくれ……。
ひと思いに殺してくれ……。
あまりの恥ずかしさに声もださずに泣くワタシを哀れと思ったのか、萱代さんはそれ以上なにも言わずベッドの上にそっと抱き枕をおいた。
「す、少しは元気になったようで良かったよ」
そう言いながら、萱代さんがベッドの横に腰をおろす。
泥棒を撃退しようと思うくらいの元気は戻ったけど、さっき全部つかいきってしまった。さらにトドメが抱き枕だ。これ、再起不能のダメージではないだろうか。
「どうして師匠がうちにいるんですかぁ?」
涙声で訊く。
「君がいてくれって言ったんだろ」
「ワタシが!?」
そんな事を言った憶えなんてない。
「腕をつかんで、心細いから一緒に居てくれって……」
聞けば部屋まで迎えにきたのは、玻璃乃だけではなかったらしい。萱代さんと左京寺くんも一緒で、去りぎわにワタシが師匠の腕をつかんだのだそうだ。
「まるで憶えてないんですけど……」
「左京寺くんが、僕が残るって言ってたのも憶えてないの?」
もちろん憶えてなんかいない。萱代さんの代わりに自分が残ると言いだした左京寺くんだったけど、玻璃乃に引きずられるようにして連れていかれたそうだ。
「え、怖い。本当にワタシ、そんなこと言ったんです? 師匠の腕をつかんで?」
「言ってたよ。しかも泣きながら……」
記憶にないってことが、こんなに怖いことだとは思わなかった。酔っ払って記憶がない人って、毎回こんな恐怖を味わっているんだろうか……。
「なんか迷惑かけちゃったみたいで、ごめんなさい」
「べつにいいよ。迷惑はいまに始まったことじゃないしな」
珍しく素直に謝ってるのに、また憎たらしい切り返しを……。
でも、ワタシのせいで潮干狩りに行けなかったのだから申し訳ない。
「お出かけには絶好の小春日和なのに、潮干狩り行けなかったですね……」
「おいおい。小春日和は秋の気候だぞ」
「なんでですか。小春でしょ? 春じゃないですか」
「あのな、小春ってのは旧暦十月のことだぞ」
「……え?」
旧暦の十月ってのはいまで言えば十一月くらいで、その頃の暖かくて穏やかな日のことを、小春日和って言うらしい。
「むぅ、だまされた気分ですぅ……」
「誰もだましちゃいないけどな」
春なのに秋とか、意味わかんない……。
「でも、天然アサリ大量ゲットのチャンスだったのに……残念でしたね」
「おいおい。潮干狩り場のアサリは、大半が養殖だぞ」
「は!? 砂浜から掘りだすんだから、天然物じゃないですか」
なんなんだ。
ワタシの常識が次々と否定されていく……。
「養殖のアサリを、浜にまいてるんだよ。たくさんの人が潮干狩りに来るんだ。そうでもしないと、あっというまに採りつくしてしまうだろ」
「人がまいたアサリを、わざわざ掘り返してるんですか!?」
それだったら直接、養殖アサリを買った方がいいじゃないか……アウトドアに興味がないワタシは、そんな風に思ってしまう。
「アトラクションみたいなもんだな。有料の潮干狩り場は、だいたいそんな感じだよ」
「むぅ、またもやだまされた気分ですぅ……」
「誰もだましちゃいないけどな」
知りたくなかった。そんな潮干狩りの真実……。
「でも今日は季里が一緒だから、もしかしたら天然物を採ってくるかもな」
皆を潮干狩りにさそったのは、そう言えば季里さんだった。季里さんはアサリが……と言うか貝類が大好きで、春先にはよく潮干狩りに出かけるのだそうだ。
なんでも無料で潮干狩りできる浜もあるそうで、無料なだけあって貝がまかれるようなこともなく、天然物が採れるらしい。有料の潮干狩り場でも、掘る場所を選べば天然物に行き当たることだってあるのだそうだ。
「採れたてアサリ、食べたかったなぁ……」
「明日、皆で集まって食べることになってるけど?」
「ホントですか!?」
潮干狩りに行けなかったことよりも、アサリを食いっぱぐれたことの方が残念だったのだ。食べられるのならば、なにも問題はない。久しぶりのプランツォ・デラ・ドメニカだ。
「だから、明日までによくなってくれ」
問題はそこだ。
明日までになんとか、アサリを食べられるくらいには回復しなくては。
「……師匠、お腹すきました」
突然の空腹宣言に、萱代さんが失笑している。
アサリ料理のことを考えてたら、お腹がすいてしまったのだから仕方がない。
「食欲でてきたのならよかった。なんか作ってやるよ」
「やった!」
「なに食べたい?」
「まだ気分わるいから、こってりは無理かも……」
「お粥とか?」
「うーん。良いんですけど、ちょっと物足りないって言うか……」
「贅沢な病人だな。お気に召す料理、作ってみましょう……」
そう言って立ち上がると、萱代さんはドアの前へとすすむ。
「あの……」
「ん。なに?」
部屋をでようとしていた萱代さんがふり返る。
「あ、ありがとう……ございます」
消え入りそうな言葉に、萱代さんが驚きの表情をうかべる。
「どうしたの。めずらしく素直じゃない」
「だって、わざわざ残ってくれたり、ご飯つくってくれたり……その……」
言いよどむワタシをみて、萱代さんが苦笑する。
「今夜は雪でも降るんじゃないの?」
そう言い残して部屋をでていった。
相変わらず憎たらしいことを言う……。
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