第20話 プランツォ・デラ・ドメニカ

 集合時間のちょうど十分前にドアホンを鳴らしたのは、玻璃乃と左京寺くんだった。おそらく早くから近くまで来ていて、時間を調整していたのだろう。二人そろって現れたのは、出むかえの手間を減らす意図だろうか。玻璃乃の気づかいには、いつも感心させられる。

 反対に十分おくれて登場したのが季里さんだ。萱代さんの「どうせ十分おくれで来るから、先に始めてようぜ」との言葉どおりに登場し、皆の笑いをかっていた。到着早々笑いのネタになった季里さんは不思議顔で席につくと、駆けつけ三杯とばかりにつがれたワインを「せぬ……」とつぶやいて飲みほしていた。

 テーブルには萱代さんお手製の前菜アンティパストが並び、皆が思い思いに手をのばしている。生ハムやサラミそしてチーズが盛られたプレートは圧巻で、迫力ある盛り付けが皆の目まで楽しませている。他の料理に使うと言っていたセロリの葉は、タコのサラダに混ぜこまれていた。湯どおししたのだろうか、青臭さなどまるでなく清涼感あふれる香りがサラダに華をそえている。

 数ある料理の中でワタシが気に入ったのは、萱代さんがたわむれにカブのカルパッチョと呼んでいたサラダだ。塩もみした薄切りのカブに、黒コショウとオリーブオイル、そしてすり下ろしたパルミジャーノをかけただけのシンプルなサラダ。でもこれが、抜群に美味しいのだ。

 そんな素敵な料理の数々を、料理をだす合間にキッチンでいただいた。料理をサーブする側の萱代さんとワタシは、作りながら、食べながら、飲みながら……忙しくはあるのだけれど、皆が喜んで食べてくれるものだから楽しくなってしまって、キッチン側ってのも悪くないものだな……なんて思った。いや、作ってるのは萱代さんで、ワタシはお手伝いしているだけなんだけど……。

「みんな美味しそうに食べてくれて、なんだか嬉しいですね」

 そう伝えると、ニヤけた表情が萱代さんからかえってきた。「やっとオマエにも理解できたか」とでも言わんばかりの表情だ。

 前菜アンティパストをだし終われば、残るはメインの二品だ。一品はワタシがソースを仕込んだボロネーゼ、もう一品は萱代さんがアクアパッツァを作るらしい。コース料理であれば、第一のプリモ・ピアットとしてボロネーゼを、第二の皿セコンド・ピアットとしてアクアパッツァを出すのが定石だ。

「先にアクアパッツァいくか」

 萱代さんが冷蔵庫から立派な真鯛を取りだすと、皆から歓声があがった。

「え、パスタが先じゃないんですか?」

「今日のメインは宇久田さんのパスタだよ。俺のは全部その前座」

「そんなの、聞いてませんよ!」

「だろうね。言ってないし」

 下処理をすませた真鯛を、一尾まるごとフライパンに乗せて焼き目をつける。そして、アサリ、ドライトマト、オリーブを加え、白ワインと水で一気に炊き上げる……いつも通りの見事な手際に、思わず見惚れてしまう。

 大皿に盛りつけて、刻んだイタリアンパセリをちらす。テーブルに運ぶのは、ワタシの役目だ。美味しそうな湯気をたてる桜色の真鯛をサーブすると、またもや皆から歓声があがった。

 メイン料理の登場に、会話もさらに盛り上がる。母なんか昨日が初対面の人ばかりなのに、以前からの知りあいであるかのように会話を楽しんでいる。皆の共通の知りあいといえばワタシなのだから、おのずとワタシの話題……つまり、なんと言うか、ワタシの負の武勇伝のような話が飛びかうことになり、流れ弾が胸を撃ちぬいていって心が痛いのだけれど……ワタシのくだらない武勇伝でも酒の肴になるのであれば、この痛みも甘んじて受け入れようかと思う。

「みんな最高ね! 息子や娘が一気に増えた気分だわ」

 こんなに楽しげに笑う母を見るのは、久しぶりのことかもしれない。

「実の娘のことも、忘れないでね」

「あら、百合ちゃん。いたのね」

「皆様のために、頑張ってお料理しております」

 単なる軽口ではない。さっきまではお手伝いばかりだったけど、今はもうワタシの作ったラグーソースのパスタを食べてもらうために準備中なのだ。パスタをゆでるために鍋を火にかけ、仕込んでおいたソースの準備もおこたりない。

 萱代さんが用意していたのは、幅広のきしめんみたいに平らなパスタだった。しかも乾燥じゃなくて生パスタだ。

「タリアテッレといって、ボロネーゼにはこいつを合わせるのが定番なんだ。軟質小麦と卵で作ったパスタだよ。軟質小麦ってのは、日本で言えば中力粉が近いかな」

 粗挽きのセモリナ粉……つまりデュラム・セモリナだけでパスタを打つのは、南イタリアの文化らしい。ボローニャあたりの北イタリアでは、軟質小麦と卵のパスタが主流なのだそうだ。今日も萱代さんの蘊蓄うんちくは絶好調だ、

「生麺みたいですけど……どうしたんですか、これ」

「どうしたって、手打ちしたんだよ」

「え? いつのまに!?」

「今朝だよ。宇久田さんが来る前」

 そう言うと萱代さんは、調理の指示を言いのこしてしてキッチンを出ていってしまった。生麺は乾燥パスタと違い二分くらいで茹であがり、湯の中で浮きあがれば茹であがりのサインらしい。まずは一皿を仕上げ、その後に三皿を仕上げろとのおおせだ。

 キッチンを出た萱代さんがテーブルの向こうに立ち、皆の注目を集める。

「料理は次のパスタが最後になります。今さらではあるけれど、今日の趣向を説明させてもらいましょうか」

 一同、何が始まるのかと興味津々きょうみしんしんだ。

 ワタシも興味津々ではあるのだけれど、パスタを作る使命がある。話が始まると同時に、タリアテッレを茹ではじめる。

「お気づきかとは思いますが、今日の料理はイタリア料理です。なぜイタリアンを選んだのか、これにはちょっとした理由がありまして……」

 そう言いながら、テーブルの四人をゆっくりと見回す。

 なんだか萱代さん、レストランで料理の説明をするシェフみたいだ。

「イタリアには『プランツォ・デラ・ドメニカ』といって、日曜の昼食は家族そろって食べる風習があるんですね。離れて暮らしている家族も、日曜にはあつまって一緒にテーブルを囲むんです。プランツォ・デラ・ドメニカってのは直訳すれば『日曜の昼食』っていう意味なんですが、イタリア人にとっては『家族全員でとる大切な食事』という意味もあるんですね」

 萱代さんのご高説に聞きいりたいところではあるのだけれど、手をとめる訳にはいかない。師匠がキッチンを出るとき、「話をしている間に一皿仕上げてくれ」と言いのこしていったのだから……。

「今日はしくも日曜日。俺たちは家族ではないけれど、縁あってこうして同じテーブルを囲んでいる。これって、ちょっとした奇跡だと思いませんか? この奇跡を大切にしたくて、イタリアの風習にならった昼食会をもよおしました」

 パスタの様子をうかがう。そろそろ茹で上がりだろうか。

「この出会いの中心にいるのが、宇久田さんです。彼女がこの六人を引き合わせたと言っても、過言ではないでしょう。その彼女が、プランツォ・デラ・ドメニカの定番料理を作っています」

 作ってます、作ってますよぉ……。

 フライパンで温めたソースの中に茹であがったばかりのタリアテッレをうつす。フライパンをあおって、パスタとソースをからめていく。

「プランツォ・デラ・ドメニカの定番料理といえば、ラグーソースのパスタなんですね。今日は数あるラグーの中でも、肉の旨みを存分に楽しんでいただける料理を用意しています」

 そう言いながら、萱代さんがゆっくりとカウンターへ近づいてくる。

「タリアテッレ・アル・ラグー・アッラ・ボロネーゼ……つまり、ボローニャ風煮込みのタリアテッレ……」

 タイミングはジャスト。今まさに盛りつけが終わり、パルミジャーノを削りかけたところだ。できあがったばかりの一皿を、カウンターに乗せる。パスタの熱でパルミジャーノが溶けだして、とっても美味しそうだ。我ながら巧くできたのではないかと思う。

 仕上がりを見て萱代さんは満足げにうなずくと、皿を手にして母の席へとサーブした。

「まずはお母さん。娘さんの手料理を、どうぞうご賞味あれ……」

 目の前にサーブされたパスタを、母は驚きの表情で見つめている。

 美味しいって言ってくれるだろうか……。喜んでくれるだろうか……。

 料理を食べてもらうのって、こんなに緊張するようなことだっただろうか。思わず調理の手がとまってしまう。

 やがて母はフォークを手に取り、巻き付けたパスタを口元へとはこぶ。

 そして目を閉じ、ゆっくりと味わう……。

「……美味しい」

 つぶやくように母が言った。

「ほんと!?」

 思わずガッツポーズをキメる。

「これ、本当に百合ちゃんが作ったの?」

「作るところ、見てたでしょうに」

「すごいわ。本当に美味しい……期待以上よ!」

 母の笑顔に、思わず涙がにじむ。

「百合ちゃん、早く皆さんにも食べさせてあげて」

 三人分のタリアテッレを茹であげて、ソースとからめる。萱代さんがサーブすると、みんな待ちかねたとばかりに慌ただしくフォークにパスタを巻いた。称賛の声を受けながらこそばゆい思いであと二皿、萱代さんと自分のパスタを仕上げた。

「皆のところで食べてきな」

 そう言って、萱代さんがキッチンを交代してくれる。

 折りたたみ椅子でワタシの席が用意され、パスタ片手に席につく。ソースの味見はしたけれども、タリアテッレと合わせたボロネーゼを食べるのは初めてだ。期待に胸を膨らませながら、フォークを口に運ぶ。

「え、ちょ! なにこれ、美味しい!!」

 玻璃乃から自画自賛だと笑われたけれど、本当に美味しいのだから仕方ない。これを自分が作っただなんて、何だか信じられない。

 ソース自体の味わいもさることながら、タリアテッレとの相性が抜群にいい。生麺特有のクニュクニュとした食感が、肉の噛みごたえと絶妙なハーモニーをかなでている。なるほどこれは、乾燥パスタでは味わうことのできない美味しさなのかもしれない。

 冷凍庫から勝手に持ち帰ったソースよりも、こっちの方が美味しい気がする。風味の違いだろうか。肉のコクをふくらませるトマトの酸味、そして味を支えるじっくりと炒められた香味野菜……それと何だろう、もう一つ感じる甘やかな香りというかコクというか……。正解がわからず、萱代さんに訊いてみる。

「ソフリットをバターで仕立てたから、その甘みじゃないかな」

 冷凍していたソースは、ラードで仕立てたソフリットを使っていたらしい。勝手にソースを持っていったワタシを驚かそうと、今日は少しレシピを変えたのだそうだ。

 風味がいいのは、作りたてだからなのだそうだ。冷凍するとやはり、少し風味がおちるし食感も変わるものらしい。

「美味しいパスタ、作れただろ?」

 萱代さんの言葉に、半年前の会話を思いだす。師匠にとんでもないカルボナーラを食べさせてしまい、どうして美味しく作れると勘違いしてしまったのかと落ちこむワタシに、萱代さんはワタシにも美味しく作れると言ってくれた。その言葉を信じて、今日まで頑張ってきたのだ。

 皆の称賛にふれて、はじめて自分でも美味しいパスタが作れるのだと思うことができた。そりゃ、萱代さんに言われたとおり作っただけだし、麺に至っては師匠の作だ。それでもやっぱり嬉しい。ワタシの料理で皆が喜んでくれたことが、嬉しくてたまらないのだ。

 パスタの後にはドルチェが振る舞われ、会はお開きとなった。

 電車の時間がある母が、最初に部屋を後にする。身支度を整えて帰りぎわ、母がバッグから桐箱を取りだしてワタシに手わたす。

「小さい頃お祖母ばあちゃんにねだって、いつも困らせてたでしょ」

 細長い桐箱の中には、漆塗りのトップが付いたペンダントが収められていた。この桜の蒔絵には見憶えがある。たしか祖母が大切にしていたものだ。

「そうだっけ。勝手につけて怒られたの、憶えてるかも」

「百合ちゃんにあげるわ」

「いいの?」

「お祖母ちゃんの形見なんだから大切にね。お祖父じいちゃんからの贈り物だったそうよ」

 どうりでいくらねだっても、譲ってくれなかったはずだ。今さらのように、申し訳ない気持ちになってしまう。

「お見合いは断っておくけど、来月には帰ってらっしゃいね」

「え? お見合いしなくていいの??」

「その代わり百合ちゃんのパスタ、お父さんにも食べさせてあげて」

「いいけど……どうしたの?」

 あれほど実家へ連れ帰ろうとしていた母が、手のひらを返したようにお見合いしなくていいだなんて……逆に不安になってしまう。

「こっちでちゃんと頑張ってるんだって判ったしね。それに……」

「それに?」

 言葉を切った母は、萱代さんの前へとすすむ。

「百合子のこと、どうぞよろしくお願いします」

 突然のように頭をさげられ、萱代さんがうろたえている。

「みなさんも、百合子のことよろしくお願いしますね」

 母がもう一度、皆に向かって頭をさげる。

「お母さん! やめてよね、子供じゃないんだから……」

 あわてふためくワタシの姿は、皆の失笑をかってしまった。

「楽しかったわ! みんな今度うちに遊びにきてね。歓迎する!」

 そう言い残して母は部屋を後にした。

 程なくして玻璃乃と左京寺くん、そして季里さんも帰ってしまい、部屋には萱代さんとワタシだけが残された。

「……いいパーティーでしたね」

「パスタが無事に仕上がるか、気が気じゃなかったけどね」

「美味しくできてたじゃないですかぁ」

「ギリギリ合格点ってトコだな」

 相変わらず採点がきびしい。

「さぁ、お片付けしましょうか……」

「少し休んだら? 疲れただろ」

 そう言って萱代さんは、キャンティーをワイングラスについでくれた。向かい合ってテーブルについてグラスを合わせる。

「酒のんでる暇もなかっただろ?」

「そりゃ、ねぇ……。酔っ払って料理できなくなっても困りますし」

 お酒を我慢してたこと、どうやら見透かされていたらしい。でもそれは、萱代さんだって同じことだ。お酒を楽しむ暇もなく、皆をもてなしていた。

 美味しいワインのせいなのか、それとも役目をはたして気が抜けたせいなのか……少し休憩するだけのはずが、いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていた。

 夢の中でもワタシはパスタを作っていて、萱代さんの部屋におし寄せる何百、何千という人たちのために必死でパスタを茹でつづけ、フライパンを振りつづけていた。

 全員がワタシのパスタを称賛してくれて、それは日本人だけではなくてイタリア人とおぼしき外国人までもが「コンナ美味シイパスタ、ハジメテデース」と片言の日本語で絶賛してくれた。

 かたわらで見守っている萱代さんまでもがワタシのパスタを褒めちぎるものだから、この辺りでどうやら夢を見ているらしいと気づいたのだけれど、心地の良い夢だったからこのまま醒めなければいいな……なんて思いながら、フライパンを振りつづけていた。

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