第04話 もしかして美味しくなかったです?

 会社がえり、夕立にあってしまった。

 折りたたみ傘を持っているはずがバッグを探っても見つからず、駅からマンションまでずぶ濡れになりながら駆けぬけた。四十度近い猛暑日が続いているせいだろうか。ここのところ毎日のように夕立にあう。

 どうせすぐに止むのだから、どこかで時間を潰してやり過ごせば良いのだろうけど、今日に限ってはそうはいかない。萱代さんに夕食を作る約束をしているのだから。

 昨夜、夕食を作る約束をとりつけるため萱代さんにメッセージを送ろうとして、彼の連絡先を知らないことに気がついた。隣室なのだから直接たずねて約束をとりつければ良いのだろうけど、何となく顔を合わせる勇気がわかず書きおきをドアに貼り付けることにした。

 朝になって出がけにメモを貼りつけて行こうと部屋を出たとき、ゴミ袋をたずさえた萱代さんと出くわした。不意のできごとにあわてたワタシは、挨拶もそこそこにメモを差し出し「読んでください!」と伝えるのが精一杯で、そのまま彼の脇をすり抜けて走り去っていくという挙動不審っぷりを発揮してしまった。ラブレターを渡す女子中学生かよ……。

 お昼休み、玻璃乃に夕食を作りに行くことを話すと、「夕食のついでに、アンタも食ってもらったら?」と下品な冗談を言っていた。「ついでじゃ嫌だ」と返すと、「ツッコミ所、ソコやないやろ」と呆れていた。いまだに、ツッコミの何たるかを理解できずにいる。

 今日もまたワタシたちの会話に割り込んできた左京寺くんは、「僕にも飯、作ってください」とスマイルを振りまき「今度、百合ちゃんの部屋に招待してくださいよ」とねだってワタシを困らせた。ワタシの部屋に左京寺くんを招くことなんて絶対にないだろう。いや、彼だからダメだという訳ではなく、あの散らかり放題の部屋には誰だって招くことはできないのだ。

 夕立にあいずぶ濡れになってマンションへと駆けこみ、水を滴らせながら部屋へとかえった。洗濯物の山の中からタオルを引っ張りだしていると、窓の外が明るくなっていることに気づいた。カーテンを開けて外を見やれば、雨はやんで西の空が夕焼けに明るく輝いている。ちなみに行方不明の折りたたみ傘は、バッグの奥底から発見された。

 ……いかん。気を取り直そう。

 夕立なんかに気勢を削がれている場合ではない。今から夕食を作りに行くのだから。

 濡れたスーツを脱ぎ捨て、熱いシャワーを浴びた。風呂上がりに髪を乾かしていると、いつもの部屋着……つまりキャラTとジャージが目に入る。さすがにあの格好はないかと思って着るものを探す。たしかどこかに、リネンの部屋着をしまい込んだはずだ。クローゼットや押入れを引っかき回した挙げ句、ベッド下の収納から新品の部屋着を見つけた。生成りのリネンのルームウェア。これだったらお隣にお邪魔しても恥ずかしくないだろう。

 部屋着を捜して、だいぶ時間をロスしてしまった。このままでは、約束の時間に間に合わない。まだメイクもしていないというのに……。でも考えてみれば先日、徹夜明けのひどいスッピンを見られているのだ。いまさら気取っても仕方がない気がしてメイクはあきらめて口紅だけ引いた。

 レジ袋を溜めこんでいるキッチンのカゴから一枚を取り出し、食材を詰めて部屋をでる。隣室のインターフォンを押すと、しばらくして萱代さんがドアを開けて迎えてくれた。

「やぁ、本当に来たんだね」

「当然です。ご馳走するって言いましたよね」

「はは、そうだったね。まぁ、入って……」

 相変わらずきちんと片付けられた室内は、ワタシの部屋と対称の間取りであるにも関わらずはるかに広い印象を受ける。ワタシの部屋も片付ければ、こんなに広くなるのだろうか……。

「キッチン、お借りしますね」

「ご自由に。要るものがあったら言ってね」

 レジ袋から食材を取り出し、鍋を火にかけていると、カウンターの向こう側から萱代さんがじっと見つめていた。

「観られてるとやりにくいので、普段どおりくつろいでてください」

 彼は肩をすくめると、部屋の奥のデスクへと退散していった。

「何を作ってくれるのかな……」

 PCのモニタを見つめながら、萱代さんが尋ねる。

「パスタですよ! カルボナーラってやつ」

 張り切って答えてみたのだけれど、萱代さんからの返答えはなかった。でも、そんなことを気にしている余裕はない。パスタが茹で上がる前に、ソースを仕上げなければならないのだから。

 オリーブオイルでハムを炒め、牛乳とコンソメを加える。茹で上がったパスタと卵を加えて弱火でかき混ぜ、火が通ったら皿に盛る。そして仕上げに粉チーズと黒コショウを振りかける。

 萱代さんの分とワタシの分、二皿のカルボナーラを仕上げた。簡単な料理だ。初めてにしては、手際よくできたんじゃないかと思う。きちんとレシピ通りにできたはずだ。たくさんのレシピの中から良いとこ取りしたのだ。これで美味しくない訳がない。

「できましたよ!」

 すでにダイニングテーブルには、萱代さんの手によってランチョンマットが敷かれていた。熱々の皿をテーブルへと運び、席についた萱代さんの前へとサーブする。もうひと皿を向かいの席にサーブし、ワタシも席につく。

 目の前では萱代さんが、ワタシの作ったカルボナーラをしげしげと見つめ、そして香りを確かめている。

「いただきます」

 やがて彼はそう言って手を合わせると、パスタをフォークに巻きつけて口に運んだ。美味しいって言ってくれるだろうか……思わず期待に固唾をのむ。

 しかし一瞬顔をしかめたかと思うと、彼はそのままテーブルにフォークを置いてしまった。

「どうか……しました?」

 その問いに、萱代さんは答えようとはしなかった。

「もしかして……美味しくなかったです?」

「いや。美味しいとか、美味しくない以前に……」

 そこまで言って、彼は言葉をにごした。

「はっきり言ってください」

 さすがのワタシでも察しはつく。きっと美味しくないのだ。

「辛辣な内容になってしまうけど、それでも言った方がいいの?」

「えぇ、言ってください」

 辛辣という言葉にひるんでしまうけど、ここまできて引きさがる訳にはいかない。萱代さんは大きく息を吸い込んだかと思うと、長い時間をかけてため息をついた。そして、おもむろに口をひらく。

「この料理をカルボナーラと呼ぶのは、ローマ人に対する冒涜だね」

 冒涜? いま冒涜って言った?

 予想を超える強い言葉に、思わず理解が追いつかなくなってしまう。

「カルボナーラって、グアンチャーレ、卵、ペコリーノ・ロマーノで作るシンプルなパスタなんだよね」

 萱代さんはフォークに突き刺した薄切りのハムを自らの眼前に掲げて、しげしげと眺めている。

「グアンチャーレ……ですか」

 耳慣れない名前に、思わず聞きかえす。

「豚のホホ肉の塩漬けだよ。スーパーなんかじゃあまり見かけないから、パンチェッタやベーコンで代用するのは仕方ないのかもしれない。でもハムは違う。せめて熱を加えることで、脂がにじむ部位を使わないと」

「パンチェッタ……ですか」

 またもや、聞いたこともない名前だ。

「豚のバラ肉を塩漬けにして干したものだよ。ちなみにバラ肉の塩漬けを、燻製にしたものがベーコンだ」

 ホホ肉ほどではないにせよ、バラ肉も脂の多い部位なのだと教えてくれた。

「同様に、ペコリーノ・ロマーノがなければ他のハードチーズで代用するのは仕方がないのかもしれない。だけどせめて、ちゃんとしたチーズをすり下ろした方がいい。できあいの粉チーズでは風味もなにもあったもんじゃないし、仕上げにまぶすだけじゃ決定的に量が足りていない。しっかりとした量を、ソースに混ぜ込まないと」

 チーズの種類なんて、考えたことすらなかった。パスタには粉チーズを振れば良いのだと、ずっと思い込んでいた。そうか、粉チーズじゃ駄目なのか……。

「それから、牛乳は要らない。コンソメもだ」

「だって、使った方が美味しくなるってネットで……」

「カルボナーラは、卵と脂のコクが主役のパスタなんだ。卵が固まってしまわないように牛乳や生クリームを使うのだろうけど、卵や脂のコクを薄めてしまうし、どうしても全体的に水っぽくなる。顆粒のコンソメに至っては、雑味でしかないよ」

 ここに至って、理解の範疇を超えてしまった。

 牛乳が味を薄める? 顆粒のコンソメは雑味!?

「あとオイルを使うなら、オリーブオイルじゃなくて動物性のオイルがいいね。ラードを使うか、なければバターとか。本来ならグアンチャーレを熱して脂を出すから、オイルなんて要らないんだけどね」

 まさかのオイルへのダメ出し……。

 ワタシがネットで探してきたレシピは、みんなベーコンやハムを使ってたし、牛乳や生クリームを卵に混ぜてたし、粉チーズやオリーブオイルを使っていた。カルボナーラと検索して出てきた沢山のレシピは、一体何だったのだろう。カルボナーラとは似て非なるもの……と言うことなのだろうか?

「でも、これが本来のカルボナーラと違うんだとしても……その、美味しければ……それはそれで……良いんじゃないかって言うか……」

「食べてごらん」

 そう言われて、自分の皿に目を向ける。スパゲティの間に、細かい炒り卵のように固まった卵がまとわりついている。すっかり冷めてしまったパスタをフォークに巻いて口に運ぶ。

「不味い……」

 予想外の味に、情けなくて涙がこぼれてしまった。冷めてしまったことを差し引いても、お世辞にも美味しいとは言えない。

「味がない……。レシピ通りに作ったのに……何で……」

 最初に口に広がったのは、焦げたニンニクの風味。続いて黒コショウの香り。それ以外に味はなかった。いや、正確にいえば卵やチーズの風味がある。ボソボソとした卵の舌触りだってある。だけど決定的に大事な何かが足りない……。何だろう、この気の抜けたような味は。何が足りないというのだろう……。

「塩だよ」

 ワタシの疑問いに答えるように、萱代さんが言った。

 そうか、塩だ。塩味しおあじが決定的に足りないのだ。

「グアンチャーレとペコリーノの塩気で味を決めるパスタだからね。意外と塩加減が難しいんだ。ハムじゃ塩が足りないし、チーズは量が足りてない。それから、パスタを茹でるときは、一リットルに対して一五グラムの塩を……」

「ごめんなさい!」

 萱代さんの言葉をさえぎるように叫んだ。

 こんな不味いパスタを食べさせて得意ヅラしようとしていただなんて……情けなくて、恥ずかしくて涙がながれた。気がつけば、いたたまれなくなってその場から逃げだしていた。

 廊下を駆けぬけ、エレベーターを待つ時間がもどかしくて非常階段を駆けおりた。少しでも萱代さんの部屋から離れたくて必死ではしった。

 エントランスを抜け、マンションの外へと駆けだす。日はとうに暮れ、街にはすっかり夜の帳がおりていた。いまだ雨に濡れる通りを、会社がえりの人たちが行きかっている。行く宛もなくどうしたものかと考えているところに、不意に背後から声をかけられた。

「どうされました。えらく慌てて……」

 声の主は、外看板をしまおうとしている、スターヒルのマスターだった。


     ◇


 閉店時間を過ぎているというのに、マスターは店内へ迎え入れてくれた。カウンターの奥の席に座らせ、涙を流すばかりのワタシに理由を問うでもなく、そっとそのまま泣かせてくれた。

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 泣き終わる頃あいを見計らったかのように差し出されたのは、甘い香りを漂わせる温かいココアだった。優しい香りに誘われ、カップを包み込むようにそっと手にとると、じんわりと温かさが伝わってきた。

「美味しい……」

 一口飲んで、思わず言葉がこぼれた。マスターが淹れてくれたココアはビックリするくらい甘かったけど、今はその甘さが心地よかった。そして鼻孔をくすぐるのは、芳ばしいカカオと優しい牛乳の香り……この店に来ると、いつも香りに感動してしまう。

「ありがとうマスター。もう大丈夫」

 そう言ったワタシに、微笑みで応えてくれた。

「よろしければ伺いますよ」

 マスターの好意に甘え、萱代さんの部屋でのできごとを話した。要領を得ないワタシの話を、マスターは何度もうなずきながら最後まで聞いてくれた。

「カルボナーラとはまた、難しいものをお選びに」

「難しいんですか? やっぱり……」

「レシピ自体はシンプルですけれど、シンプルが故に少しのズレが大きく味を左右してしまう……カルボナーラやペペロンチーノのようなシンプルなレシピほど、経験がないと難しいですよ」

「経験……ですか」

「美味しく作ろうと思えば、数を作って慣れるしかない。料理全般に言えることではありますけどね」

 大して料理もできないワタシが、どうしてそんな料理を作れると思ってしまったのだろう。レシピを検索していた時、少しのコツを知っていれば、とんでもなく美味しく作ることができるかのように錯覚してしまった。きっとそんな近道なんてないのだ。

「あーあ、失敗しちゃったな。どうすれば萱代さんに認めてもらえるんだろう。ワタシだって、ちゃんとお料理できるはずなのに……」

 ため息とともにまたもや悲しさが湧きあがり、思わずうつむいてしまう。

 ワタシの様子を見守っていたマスターが、おもむろにつぶやく。

「認めてもらう必要なんて、あるのでしょうか」

 その声に顔を上げてみれば、マスターが厳しい表情を浮かべていた。

「認めてもらうとおっしゃいますが、そのような目的で料理する時点で、すでに心構えとして間違っているように思いますが」

 今までにない強い調子に、恐る恐る聞きかえす。

「ど、どういう意味でしょうか」

「おっと、これは差し出がましいことを……」

 マスターが照れた笑いをこぼし、いつもの微笑をたたえた表情にもどる。

「いいんです。教えてください。心構え……ですか?」

「誰かのために料理を作るのであれば、その料理はやはり食べていただく方のためのものだと思いますよ。どうすれば食べる方が美味しいと喜んでくださるのか……それだけに心を砕くべきではないでしょうか」

「だからワタシ、萱代さんのために……」

「認めてもらうのは、誰のためでしょう。なぜあなたの力の証明に、萱代さまが付きあわねばならないのでしょうか……」

 思わず息をのんだ。

 どうしてこんなことが解らなかったのだろうか。

 そうだ、ずっと自分のことしか考えていなかったのだ。ペペロンチーノをごちそうになった日からずっと、料理ができないように見られるのが嫌で、ワタシだって料理くらいできるんだって証明したくて、美味しい料理が作れるって認めてもらいたくて、そのことばかりに必死になっていた。

 どうしてワタシ、こんなに料理ができると思われたいのだろうか……。

 いや、理由なんてわかっている。必死で料理を作り続けていた頃のことが脳裏をよぎった。頭を強く振って、記憶を追いはらう。そう、原因がわかっているだけに、納得したくない。あの頃のことがいまだに尾を引いているだなんて、絶対に受けいれたくはない。

「ワタシ、萱代さんに謝ってきます」

 席を立ち、マスターに頭をさげる。

「仲直りできるといいですね」

 そう言ってマスターは、ワタシを送りだしてくれた。

 仲直りなのだろうか。決して喧嘩した訳じゃない。喧嘩にすらなっていない。完全にワタシの独り相撲だ。勝手に認めてほしくて押しかけて、勝手に不味い料理を作って、勝手に傷ついて部屋を飛びだしただけの話なのだから。

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