第08話 奥多摩ドライブ

 朝から秋晴れのいいお天気だ。

 絶好のドライブ日和。お天気がいいと、気分も上がる。

 最近じゃお出かけなんて面倒としか思わないけど、珍しく心を浮き立たせながら服を選んでメイクをキメた。奥多摩にヒールは似合わない気がしたので、カジュアルにまとめる。ハイウエストのサスペンダーパンツにボーダーシャツを合わせて、なんちゃって森ガール一丁あがり。ロングフレアなシルエットが誤魔化してくれるだろう……不摂生ゆえのアレやコレやを。そして足元はコンバースのハイカット。山歩きだってドンと来いだ!

 うちのマンションを出たところ、つまりスターヒルの前で待ち合わせしている。張りきって約束の十分前にマンションを出たのだけれど、すでに左京寺くんの丸っこくて可愛らしい車はスターヒル前の路上駐車場に停まっていた。ワタシの姿に気づくと、真っ赤な車から急いで降りて彼が駆けよってくる。

「早いね。百合ちゃん」

「左京寺くんの方が早いじゃん。張りきりすぎ!」

「そりゃ張りきりますって! 百合ちゃんとデートなんだし!」

 デートと言われて、思わず胸が鳴った。改めて言われると、なんだか恥ずかしい。

「さぁ、乗って乗って」

 車の脇までワタシをエスコートした左京寺くんが、助手席のドアを開けてくれる。こんな風に女の子みたいに扱ってもらうの、何年ぶりだろう。まだ顔を合わせたばかりなのに、胸の高鳴りが止まらない……。

「それじゃ、行きますか」

 運転席に乗り込んで、左京寺くんがハンドルを握る。

「道も混んでないみたいだし、きっと二時間くらいで着くよ」

 なめらかに走り出した車は、奥多摩を目指して西へ向かう。

 左京寺くんの可愛い車は『フィアット500《チンクェチェント》』って言うらしい。車に興味がないワタシはなんとなく彼の話を聞き流していたのだけれど、ルパン三世が映画『カリオストロの城』で乗っていた車だと聞くとがぜん興味が湧いてきた。

「でも、ルパンが乗ってたのとちょっと違うよね」

「映画に出てたのは前の型かな。『GREEN vs RED』って作品には、この型も出てるみたいだけど」

「へぇ、知らなかった。左京寺くん、アニメ詳しかったっけ?」

「たまたま知ってただけ……かな」

 あの玻璃乃をして、人たらしと言わしめる左京寺くんなのだ。たまたまな訳がない。ワタシのアニメ好きを知っていて、きっと共通の話題になりそうなことを下調べしてくれたんだと思う。けれども、ワタシのことを単なるアニメ好きとしか認識していないのであれば詰めが甘い。ここで『次元×ルパン』とか『五右衛門×ルパン』みたいなカップリングを持ちだしてくれば大したものだけど……でも、そんなことは起こるはずがない。会社ではそういうところ、必死に隠してるんだから。ちなみに常にルパンがウケなのは、ワタシが下剋上好きだから仕方がないことだ。

「宮崎アニメだっけ? 『カリオストロの城』も」

「そうだよ。宮崎駿の初監督作品だよ。スタジオジブリ設立前の作品」

「さすがに詳しいね、百合ちゃん。ジブリのアニメってさ、食べ物の描写もすごいよね」

「ジブリ飯ね。『カリオストロの城』でも美味しそうなの出てくるよ。ミートボールがゴロゴロ入ったスパゲッティ。次元とルパンが奪い合って食べるの」

 そこまで言って、萱代さんから聞いた薀蓄がよみがえってきた。あのミートボールのパスタは、イタリアのサルデーニャ島の料理が元になっているって話、たしか萱代さんから教えてもらったはずだ。牧羊が盛んだから、サルデーニャでは羊肉でミートボールを作るだとか何だとか……。イタリア語で肉団子のことを、ポルペッティと呼ぶのだとか何だとか……。ルマコーニっていうカタツムリの殻みたいな形のパスタを合わせるのだとか何だとか……。

「どうかした?」

 不意に黙り込んでしまったワタシを心配して、気づかってくれる。

「ううん。ちょっとはしゃぎ過ぎただけ……」

 車はいつしか練馬を超えて、西東京市に入っていた。いま西へと走っている新青梅街道は、東京の一大ベッドタウンを真っすぐに横断している……左京寺くんが、そんな話を聞かせてくれた。

「この辺は武蔵野っていって、平安時代は見渡す限りの萱原かやはらだったんだって」

「萱原?」

「ススキ野原のこと。月の名所だったらしいよ」

 そうか、萱ってススキのことだったのか……。

 窓の外を見やれば、郊外の街並みが広がっている。都心よりものどかな印象を受けるけど、やっぱり都会の風景だ。萱代だった頃の風景を思い描いてみようと思ったけれども、ビルに囲まれた幹線道路からは巧くイメージすることができなかった。


 気がつけば車は、山道を走っていた。

 川沿いのなだらかな上り坂を行く風景からは、武蔵野のような街の匂いはもうしない。山の中へ分け入っていくかのように、曲がりくねった道が続いている。……っていうか、いつの間に山道に入ったんだろう。

「お目覚め?」

「……あれ? もしかして寝てた!?」

「そりゃもう、ぐっすりと……」

 まさかの熟睡!? 早起きがたたったか……。

「ごめんね。運転してもらってるのに」

「いいよ。可愛い寝顔も見られたし」

 そう言って彼は、悪戯っぽく笑った。

 寝顔を見られてしまうとは何たる不覚。だらしなく口あけたりしてなかっただろうか。涎をたらしていないか、思わず口元をぬぐって確かめてしまう。

「もうすぐ着くよ。ちょっと早いけどお昼にしよう」

 断続的に集落を抜けるけども、基本的には木々に囲まれた道だ。時折視界がひらけると、遠くの山肌が黄や紅に染まっているのが見える。

 対向二車線の山道はやがて一車線になり、小さな集落へと入っていく。目的の釜飯屋さんは、民家の間にひっそりとたたずんでいた。人気店だと聞いていたから並ぶのかと思いきや、時間が早いせいかすぐに席へと案内された。

 左京寺くんは鶏ゴボウの釜飯を、ワタシはキノコの釜飯を注文した。民家を改装したと見られる畳敷きの店内は素朴な雰囲気を醸していて、なんとなく実家を思い出してしまう。日本家屋って、やっぱり落ち着く……。

 一五分ほどで運ばれてきたお膳は、釜飯の他にも野菜がたくさん入った水炊きやコンニャクのお刺身が付いていてボリューム満点だ。しっかりとおダシの染みたご飯はふっくらとした炊きあがりで、キノコやゴマの香りと相まって箸が止まらない美味しさだ。陶器のお釜の底には醤油のお焦げができていて、芳ばしい香りがさらに食欲をそそる。

 半分づつシェアしようかと左京寺くんは考えていたみたいだけど、あまりにワタシが美味しそうに頬ばるものだから、声をかけられずにいたらしい。そんなの構わずに言ってくれれば良かったのに……鶏ゴボウの釜飯も、食べてみたかった。

 お腹がふくれて幸せな気分になり、奥多摩湖まで紅葉を見に行こうとか、わさび園に寄ってみようかとか、帰りには足湯につかりにいこうかなんて、午後の楽しい予定を語り合っているときに、その電話はかかってきた。

 左京寺くんのスマートフォンが、テーブルの上で震えて着信を告げる。発信元を確認した彼が、驚きの表情を浮かべた。

「取引先だ。何だろ……」

 つぶやいて和やかな雰囲気のまま電話に出たのだけれど、会話を重ねるごとに彼の表情が険しくなっていく。言葉少なに応答えする左京寺くん。何を言っているのかは判らないけど、スマホの向こうから怒気をはらんだ男性の声がもれ聞こえてきた。

 電話を切った後、彼はしばらく考え込んでいた。声をかけるのもはばかられたのだけれど、おそるおそる訊いてみる。

「大丈夫?」

「大丈夫って言いたいけど……ごめん、帰らなきゃ」

 申し訳無さそうな表情で席を立ち、会計を済ませて店をでた。半分払うと申しでたのだけれど「いいから」と余裕のない声で断られてしまった。

 車に戻るとワタシを助手席に座らせて、左京寺くんは車外で何件か電話をかけた。最初に電話をした相手は、どうやら玻璃乃のようだった。断片的に漏れ聞こえてくる会話をから察するに、どうやら取引先から何がしかのクレームを受け、その対応に追われているようだった。

 運転席に乗り込んできた彼は、シートベルトを締めると大きくため息をついた。

「失敗したな……」

 そう言って、悲しそうに笑った。

「やっぱり帰らなきゃ。ごめんね……本当に」

「ううん、いいよ。それより大丈夫? クレームなんでしょ?」

「玻璃乃さんもフォローしてくれるし何とかなると思うけど……とにかく早く帰って、お客さんに謝らなきゃ」

 ハンドルを握る彼の表情は相変わらず険しい。元気づけてあげたいと思ったのだけれど、どんな声をかけたところで虚しく響いてしまいそうで何も言えなかった。

 帰りの道すがら、左京寺くんが事のあらましを教えてくれた。彼が開拓した新規の取引先での納品トラブルだったこと。初回の発注を受けて商流部にデータを流したけども、初めての納品先で確認事項があり保留がかかっていたこと。行き違いがあり、保留が解除されていなかったこと。その結果、納品日である今日、取引先に商品が届いていないこと……。

「でもそれって、左京寺くんのせいじゃないよね……」

「発注に不備があったのは確かだし、それに僕の確認不足だよ。初めての取引先だから、もっと慎重に進めるべきだった……」

「商流部のミスなのに、左京寺くんが謝んなきゃならないのおかしいじゃん」

「お客さんと約束をしたのは僕だから。交わした約束を守れなかったんだから、約束した僕が謝るのは当然だよ。うちからの納品まちで、先方の仕事も止まってるしさ……」

 やる瀬のなさに、彼の声が震えていた。


       ◇


 月曜日は憂鬱だ。

 土曜日のドライブが納品トラブルで中断になったから、今日はいつもの月曜にも増して憂鬱だ。いつもスマイルを振りまいている左京寺くんの、あんなに辛そうな顔を見るのは初めてだった。

 何度もワタシに侘びていた。仕事のことなんだから仕方がないって思ってるし彼にもそう伝えたのだけれど、それでも左京寺くんは侘び続けていた。

 ワタシを送り届けてくれた後、彼は取引先に謝りに行くと言っていた。先方のお怒りは、うまく解けたのだろうか。納品ミスは巧く解決したのだろうか……。左京寺くんや玻璃乃にメッセージで訊いてみようかとも思ったのだけれど、余計なお世話のように感じられて訊くことができなかった。心の隅っこに棘が刺さったような気持ちで、悶々とした週末を過ごしていたのであった。

 お昼休みになり、休憩室のテーブルでお弁当を広げていると、いつものようにコンビニのレジ袋を下げた玻璃乃が向かいに座った。ただ今日の玻璃乃は、どことなく表情がかたい。

「百合子、土曜は左京寺と一緒やったんやろ?」

 レジ袋から菓子パンとレモンティーのペットボトルを取り出しながら、玻璃乃が訊いた。

「うん。なんか納品トラブルで大変だったんだって?」

「せやねん。でもまぁ、それはエエねん。解決しとるから」

「他にも何かあるの?」

「他にもっちゅうか……左京寺どこにるか知らへんか?」

「……え?」

 日曜から音信不通で、今日も出社していないらしい。

 土曜の夕方、玻璃乃は左京寺くんと二人で取引先に謝罪に行った。その時点でまだ納品物がそろいきっておらず、その後も他の営業マンから融通してもらったり、二人で倉庫や仕入先を駆け回って何とか納品を終えたのだそうだ。

 翌日の日曜日、気落ちしてないかと心配した玻璃乃が連絡をしたけども、左京寺くんからの返事がないらしい。

「電話しても出よらへんし、メッセージも未読のままや」

 忌々しそうに、玻璃乃が菓子パンをかみちぎる。

「心配だね……」

「打たれ弱いねん、アイツ。入社してからずっと、失敗らしい失敗してへんからな。でもな、こんなん失敗のうちに入らへんわ。この程度で凹んどったら、この先やっていかれへんで」

 誰もが玻璃乃と同じような図太さを持てる訳ではない……なんてことを言おうと思ったのだけれどやめておいた。冗談を言えるような雰囲気ではない。

「左京寺から連絡あったら教えてや。頼んどくで」

 それだけ言うと残りの菓子パンをペットボトルのレモンティーで流し込んで、玻璃乃は慌ただしく休憩室を後にした。

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