チャオ!チャオ!パスタイオ ~ 面倒な隣人とワタシとカルボナーラ
からした火南
面倒な隣人とワタシとカルボナーラ
第一幕:誓いのカルボナーラ
第01話 素パスタなのに、美味しすぎる!
キッチンからただようニンニクの香りをかいだ瞬間、あまりの芳ばしさにお腹がなってしまった。しかも驚くほど大きな音が。
聞こえてしまっただろうか。不安になって様子をうかがう。
この部屋にきた直後、すでに聞かれているのだ。一度聞かれるも二度聞かれるも、大した差はない……なんてことはなく、やっぱり恥ずかしくて顔から火がでてしまいそうだ。
「もうすぐできるから、ちょっと待ってね」
腹の虫に応えて、キッチンから苦笑まじりの声がかえってきた。
ほら、やっぱり聞こえていた!
恥ずかしい、恥ずかしすぎる! 穴があったら入りたいどころの騒ぎじゃない。できることなら消えてしまいたい!
ダイニングテーブルの席について、お料理ができあがるのを待っている。テーブルの上にはランチョンマットがしかれ、ピカピカに磨き上げられたフォークが配されていた。
「さぁ、そろそろ完成だ」
カウンターの向こう、キッチンに立つ萱代さんがフライパンを二度、三度とあおる。男の人に料理を作ってもらうだなんて、もしかしたら初めてのことではないだろうか。料理している男性って、何だかカッコいい。思わず見ほれてしまう。
しかし萱代さんって、こんなにイケメンだっただろうか。隣室に住んでいるとはいえ、すれ違ったときに挨拶をかわす程度の仲だ。顔なんか憶えちゃいなかったし、萱代という名字だって憶えていた自分をほめてあげたいくらいだ。
ワタシよりも、すこし歳上だろうか。キザな仕草が鼻につくけど、アラサーでお腹がでていないのはポイントが高い。イケオジ好きのワタシ的に贅沢を言わせてもらうのなら、年齢がもっと上であれば最高だ。
「おまたせ。お腹すいたでしょ」
サーブされたお皿にはパスタが盛られ、美味しそうな湯気をたてている。目だった具材はなく、素うどんならぬ素パスタといった雰囲気だ。オイルに濡れる唐辛子とイタリアンパセリのコントラストが、とても冴えてるんじゃないかと思う。
「
芝居がかった物言いで、萱代さんがパスタをすすめてくれた。
「いただきます」
手をあわせることすらもどかしく、引ったくるようにしてフォークをにぎる。さっきから芳ばしい香りに、食欲が刺激されっぱなしなのだ。待ちかねたとばかりに目一杯のパスタを巻きつけた。そして口いっぱいに頬ばった次の瞬間、驚きに目をみはる。
「こ、これ、何が入ってるんです!?」
食べながら叫びだす行儀の悪いワタシを見て、萱代さんが眉根をよせている。
仕方がないじゃないか! 飲み込むのがもったいないほどに美味しいのだから。具が入ってない素パスタがこんなにも味わい深いだなんて、これはもう驚くしかない。
「何って……ニンニクと唐辛子だけど。あとオリーブオイル」
「それだけ!? 調味料は??」
「パスタを茹でるときに塩を」
「塩だけ……なの!?」
たったそれだけで、こんなに美味しいパスタができるだなんて。いったいどんな魔法を使ったのだろうか。
「もしかして、美味しくなかった?」
「逆です、逆! 素パスタなのに、美味しすぎます!」
「素パスタ? ちゃんと名前があるよ。ペペロンチーノっていう名前がね」
よく聞く名前だ。ベーコンとキャベツのペペロンチーノとか、キノコのペペロンチーノとか……飲食店はもちろん、ウェブのレシピサイトでもよく目にする。たしかトマトが入っていないピリ辛のパスタのことだ。でもワタシが知っているペペロンチーノは、こんな具が入っていない素パスタではなかったはずだ。
「ペペロンチーノって普通、ベーコンとか野菜とか入って……」
不意に眼前にさしだされた人さし指が、ワタシの言葉をさえぎる。
「正確には、スパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ……つまり、ニンニクとオイルと唐辛子のスパゲッティだね。今回は仕上げにイタリアンパセリを使ったけど、基本的には三つの食材だけで作るパスタなんだ」
「へぇ! そうなんですね」
「今回はスパゲッティで作ったけど、スパゲッティーニやフェデリーニで作っても食感が違って面白いね」
「スパゲッティニ?? 何です? スパゲッティとは違うんですか?」
それにフェデリーニなんて、初めて聞く名前だ。
「太さが違うね。スパゲッティは一.八ミリ、スパゲッティニは一.六ミリ、フェデリーニは一.四ミリのロングパスタだよ」
「へぇ! 太さで名前が違うんですね!」
太さの違いなんて、気にしたことすらなかった。素直に驚いてはみたものの、もしかしてお隣さんって面倒くさい……もとい、こだわりが強い性格なのだろうか。
「もっと細いロングパスタもあるよ。一.三ミリより細ければカペリーニ、〇.九ミリより細ければカペッリ・ダンジェロと呼ぶんだ。細いパスタはイタリアじゃスープに仕立てたりするけど、日本独自の邪道として冷製パスタにしても美味しいよね。パスタを氷でシメるなんて言うと、イタリア人は驚くけどさ。でも日本じゃ当たり前の感覚だよね、麺を冷やすのは」
「は、はぁ。蕎麦とか素麺とか、冷やしますもんね……」
まくし立てるように語られる
さて、たいして親しくもないお隣さんの部屋で、なぜパスタをご馳走になっているのか……。それを説明するには、昨日の夜までさかのぼる必要がある。
会社から帰ってご飯も食べずに動画配信サイトにかじりついたのは、たしか昨夜の九時くらいだったはずだ。全二十四話の推しアニメ、週末にもう一周楽しむつもりだった。夕食やお風呂をすませ準備万端ととのえてから鑑賞しようと思っていたのだけれど、待ちきれずに「とりあえず一話だけ」とうっかり観はじめてしまったのが運のつき。そのまま止まらなくなってしまい、気がつけば一二時間をかけて全話を観おわっていた。
イッキ視聴すれば感動もひとしお……とは言うものの、感動じゃはお腹はふくれない。さすがに空腹をおぼえてコンビニ行きを決意した。コンビニに行くくらいで決意だなんて、大げさすぎると笑わないでほしい。徹夜あけの
部屋から一歩でただけで、照りつける八月の陽光に目がくらんだ。むせかえる熱気に
あわてて駆けよるお隣さんに導かれるまま、彼の部屋へとお邪魔した。鼻血とすり傷を処置してもらい、鼻血が止まるまでソファーで休ませてもらうことになった。
やがて落ち着きを取りもどしてみると、体が空腹を思いだして盛大にお腹がなってしまった。笑いをこらえながらキッチンへ向かったお隣さんが、「出張で部屋を空けていたから、冷蔵庫が空っぽだ」と天をあおいだ。
食材を買ってくると駆けだそうとした彼を、無理に引き止めたのはワタシだ。知らない部屋で親しくもない人の帰りを待つだなんて、ぜったいに耐えられそうになかったからだ。それにワタシのために買い物に行ってもらうのも、何だか申し訳ない気がした。
「具のないパスタくらいしかできないけど、それでもかまわない?」
訊かれて激しくうなずいた。具なんてあろうがなかろうが、一向にかまわない。温かいお料理が食べられるのならば、そんなのもう感謝しかない。
「
カウンターキッチンの向こうから、萱代さんが呼びかける。
「
「へぇ、綺麗な名前だ」
そう、綺麗な名前なのだ。そしてよく名前まけしていると言われる。大きなお世話だ。たてば
しかし自分で言うのもおこがましいが、素材はそんなに悪くないはずだ。みがけば光ると言われるし、最近まで必死でみがきまくってきた。しかし今となってはもう、見た目や立ちふるまいに気をつかうことが面倒で仕方ない。
「萱代さん、洗面所かしてください」
「どうぞ、どうぞ。ご自由に」
ニンニクの皮をむきながら、萱代さんが洗面所へ続くドアをさししめす。
ソファーから身をおこし、重い足どりで洗面所へとむかった。洗面台の前にたち、鏡に映る自分の姿をのぞきこむ。徹夜あけの眠たげなスッピン顔に、乱れたボサボサ頭。着ているものと言えば、部屋着と呼ぶのもおこがましい、くたびれ伸びきったTシャツと古びたジャージ。Tシャツにプリントされたマイナーなゆるキャラが、スリ切れヒビ割れていた。いつもの休日ルックとは言え、改めて見るとひどい格好だ。
たいして面識のないお隣さんの部屋に、こんなだらしのない格好でお邪魔するだなんて思ってもみなかった。もっとマシな服を着ていればと、後悔したところでもう遅い。
「鼻血、止まったかな?」
キッチンから萱代さんの声がひびく。
「大丈夫……だと思います」
ちゃんと止まったかと鼻をすすり上げてみれば、意図せずキッチンから流れこむニンニクとオリーブオイルの香りを吸いみ、盛大にお腹がなってしまった。そしてどうやら、鼻血は止まっているようだった。
リビングに戻るとテーブルの準備がととのい、パスタの完成を待つばかりとなっていた。席にすわり一息つくと、またもや芳ばしいニンニクの香りにお腹がなってしまった……。
あっという間に、ペペロンチーノをたいらげた。
後片付けくらいは私がやると申しでたのだけど、笑顔で断られてしまった。食器を引きながら、思いついたように萱代さんが提案する。
「そうだ。今度、冷製パスタをご馳走しようか。イタリア人に怒られそうだけど、やっぱり日本の夏は冷やした麺を食べたくなるよね。ベランダのバジルも茂ってるし、ちょうどタイミングがいい」
ベランダのバジルと聞いて、思わず窓の外を見やる。
開け放たれたカーテンの向こう、間どりから考えればあそこはサンルームになるだろうか。このマンションは、ベランダの半分がサンルームになっている。背の高い木製ラックがおかれ、植物の鉢が所せましと並んでいるようだ。
「バジルでペストを作って、冷製に仕立てよう。トマトが美味しい季節だし、ケッカを冷やしてみるのも面白いよね。トマトとバジルのコントラストが綺麗だし、目にも美味しいパスタに……」
「あ、あの……」
勇気を振り絞って、萱代さんの言葉をさえぎった。知らない単語ばかりが飛びだして、目まいがしそうだ。徹夜あけのぼやけきった頭では、会話のテンポに付いていくことすらむずかしい。
「お気持ちは嬉しいですけど、これ以上お世話になる訳には……」
「かまわないよ。その様子だと、ろくなもの食べてないでしょ」
カチンときた。
たしかにろくなものなんて食べちゃいない。さっきだってお腹がすいたから、コンビニにお菓子を買いに行こうとしていた訳だし。
朝はパンに目玉焼をのっけるくらいだし、お昼は菓子パンをかじるかインスタント麺ですませてしまう。夕食だって、良くてスーパーのお惣菜かコンビニ弁当だ。
まったくもってその通り。ろくなものを食べてない。けれども親しくもないお隣さんから気づかいもなく言われてしまうと、腹がたつやら情けないやら……。
「たしかにろくなもの食べてませんけど、結構です。遠慮します」
ワタシにしては珍しく、きっぱりと断ることができた。怒気をはらんだワタシの言葉は、萱代さんの進撃をとめるに充分だったようだ。
「そう。それは残念だ……」
意気消沈した彼の姿に、多少なりとも
「そうだ! 逆にご馳走しますよ。今日のお礼に、ワタシが何か作りますから!」
驚いた表情で、萱代さんが目をしばたたかせている。
あっけにとられた様子だったけど、おもむろに口をひらいた。
「いや、遠慮するよ」
え、何で? どうして??
せっかくお返しするって言ってるんだから、ここは素直に受けいれるところじゃないのだろうか。断るって、どういうこと!?
「もしかして期待してないでしょ。ワタシだって、お料理くらいできるんですからね!」
言った瞬間、彼の表情がくもった。
「味に関しては妥協できないし、お世辞なんて言えないけど。それでもいい?」
もう一度カチンときた!
ちょっと待ってほしい。この人、ワタシの料理が不味い前提で話をしてない? 美味しいか不味いか、食べてみなければ判らないじゃないか!
「いいですとも。望むところです!」
ぜったいに美味しいって言わせてやる!
思わず拳をにぎりしめて、鼻息あらく彼をにらみつけた。
彼も挑戦的な眼差しをワタシに向けてくるのかと思ったけど、そうはならなかった。柔らかく微笑むと……いや、もしかして失笑したのか? まぁ、どちらでもいい、とにかく萱代さんは笑顔でキッチンへと向かっていった。
「珈琲でも飲む?」
拳を握りしめたまま彼を見やると、何やら見なれない機械を操作していた。
「それって……」
「エスプレッソマシンだよ」
エスプレッソって家で淹れる事ができるんだ、などと感心している場合ではなかった。小洒落たイタリアン・バールの誘いなんかことわって、すぐに自分の部屋へ帰るべきだったのだ。見事なラテアートが描かれたカフェラテだけではなく、エスプレッソに関する薀蓄までたっぷりとご馳走されるハメになるのだから……。
自分の部屋へもどり、掃除のいきとどいた萱代さんの部屋との落差に目をつぶりながらベッドに倒れこんだ。徹夜あけなのだ、満腹となったいま襲ってくるのは睡魔しかない。
眠ってしまう前にこの気持ちを誰かに伝えたくて、同僚の
「お隣さんってば料理上手のイケメンだけど」
そこまで打ちこんだところで、睡魔に負けてしまった。続けて「すごく面倒くさい人だった」と打とうとしていたのに、スマートフォンを握りしめたまま深い眠りの中へと引きずり込まれていくのだった。
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