第17話 子供は何人ほしい?

 萱代さんに婚約者役を断られどうしたものかと悩んだあげく、思い切って左京寺くんにお願いすることにした。彼に婚約者役を頼むことは、正直に言えばためらわれる。「演じるだけじゃなくて本当に婚約してよ」なんて、いつもの調子で迫られてしまったら、お願いしているこちらとしては断りきる自信がないからだ。

 かと言って他に頼めるような宛もなく、なかばヤケになってお願いをしてみたのだけれど、意外なことに左京寺くんから「婚約して」などと迫られることはなかった。その代わりになぜか、彼から助力をこわれてしまう。

「手伝ってほしいことがあるんだけど……」

 昼休みの会社の休憩室、深刻な表情で彼が言った。

 いつもは玻璃乃と二人して休憩室に現れる左京寺くんだけど、今日は玻璃乃がいない。これ幸いと婚約者を演じてほしい旨をお願いすると、交換条件として手伝いをたのまれたという訳だ。

「手伝うって……何を?」

「んーっと、尾行かな」

「び、尾行!? 誰を!?」

「姐さん」

 何がどうなったら、玻璃乃を尾行するなんて話になるのだろうか。

「話が穏やかじゃないんだけど……どうかしたの?」

「ここんとこ行動が怪しいんだよね、姐さん」

 いつも左京寺くんとのペアで行動している玻璃乃が、最近は一人で動くことが多いらしい。どうも隠れて外で人と会っているようだと、左京寺くんは言う。

「考え過ぎなんじゃないの? 営業なんだから、外でお客さんと会ったりするでしょ?」

「得意先の人だったら、僕に隠す必要もない訳だしさ」

「それもそっか。確かに変だよね」

「だから、尾行してみようかな……って訳」

 でも後をつけたりして、そんなのが玻璃乃にバレたら……彼女の気性を知っている身としては、どんな目にあうのか想像することすら恐ろしい。

「大丈夫かな。玻璃乃って、怒ると恐いじゃない?」

 あの関西弁でまくし立てられると、反論どころか言い訳する気すら失せてしまう。そうなのだ、ワタシと玻璃乃の間で口喧嘩なんて成立しない。一方的にワタシがなじられるだけで終わるだろう。それは左京寺くんだって同じはずだ。

「やめとく?」

「……うん。玻璃乃にも悪いしさ」

 もちろん玻璃乃が恐いってのもあるんだけど、秘密にしていることを暴くだなんて、友達としてやっちゃいけないことだと思うのだ。

「それじゃ、婚約者を演じる話もナシで」

「やだ。困る。やる」

 ごめん、玻璃乃。背に腹は代えられない。

 左京寺くんによると、玻璃乃は興国ホテルラウンジで人とあう約束をしているらしい。玻璃乃に電話がかかってきたとき、左京寺くんはちょうど一緒いたらしい。玻璃乃がいつもの調子で大声で応対するものだから、約束の時間と場所がもれ聞こえてきたのだそうだ。そう、玻璃乃の電話の声はけっこう大きい。

「興国ホテルって、駅前のお高いホテルだよね」

 あのホテルのラウンジ、たしか珈琲一杯が二千円ぐらいしてた気がする。あんなバカ高い珈琲を飲む人なんて居るのだろうかと、通りかかるたびに冷やかし半分に覗いてみるのだけれど、けっこう人が入っているのだから驚きだ。

「そんなトコに何の用事なのかな……玻璃乃」

 問われて左京寺くんは、腕を組んで宙を見あげる。しばらく思案していたけれど、やがておもむろに口を開く。

「転職活動……とか?」

「え、玻璃乃やめちゃうの!?」

「いや、予想だけどね。いままでも何度か引き抜きの話があったみたいだし、もしかしたら……って感じかな」

「でも、そんな……玻璃乃、そんな話に乗ったりしないでしょ」

「だからそれを、確かめに行くんでしょ?」

 こっそり後をつけたりせずに、玻璃乃に直接聞けばいいのに……とは思ったけれど、うまくはぐらかされてしまいそうな気がする。左京寺くんにしてみれば、バディーを組んでいる先輩が引き抜かれるかもしれないだなんて、気が気ではないだろう。

「わかった。頑張って尾行しよう! いつなの? その興国ホテルの約束ってのは」

「次の土曜日だね。お昼の二時に待ちあわせ」

「え、土曜!?」

「どうかした?」

 タイミングが悪いというか何と言うか……こんな偶然ってあるのだろうか。

「その日だわ。母に婚約者を紹介する約束」

「え? まさかでしょ!?」

 母と土曜の午後に会う約束をしている。

「しかも母が泊まるの……興国ホテル」

「そんな偶然……ある!?」

 左京寺くんが大げさに天をあおいで肩をすくめた。

 重なるときには重なる……世の中は、そんな風にできているらしい。


     ◇


 この空間にいるすべての人の立ち振舞いが、なんだかとても優雅に見える。まるで時の流れまでもが、ゆるやかになってしまったかのようだ。

 そんな優雅な人たちの中で、ワタシだけがなんだか浮いているんじゃないかと心配になってしまう。

「どうしたの、百合ちゃん。キョロキョロして」

 そんな挙動不審の子みたいに言わないでほしい。そりゃ、キョロキョロしたくもなるでしょ。だって緊張してしまうじゃないか、ホテルのラウンジなんてなれない場所にいるのだから。

 こんなところで落ち着いて珈琲をすする胆力なんて、どこをどう絞ってもでてこない。心地よく流れるクラッシックの調べはもちろん、周囲の人たちの談笑までもが上品にそして優雅に流れ、その流れをどうしても居心地悪く感じてしまうのだ。

 そう、左京寺くんとワタシは、興国ホテルのラウンジで一杯二千円の珈琲をすすっている。玻璃乃が待ち合わせをしている午後二時まで、まだ三十分以上ある。それなのに玻璃乃はもうすでにラウンジにいて、なにやらバッグから書類を取り出して目を通していた。

 見つからないようにこっそりと、程よく離れた席を確保した。この席なら会話は聞こえないまでも、遠目に玻璃乃の様子をうかがい知ることができるだろう。

「こんなに早くきてるなんて、玻璃乃も気合が入ってるね」

「姐さんはいつもそうだよ。絶対に相手を待たせたりしないから」

「そ、そうなんだ……」

 いつも待たせてばかりのワタシとしては、信じがたい話だ。

「休日なのに、玻璃乃スーツ着てるね。やっぱり仕事関係かな」

 このラウンジでヘッドハンティング会社の担当者と会うんじゃないかというのが、左京寺くんの予想だ。

「僕もスーツだけどね」

「あ、そうでした。ごめんね、気を使わせちゃって」

 婚約者としてうちの母に会うのだから、失礼のない格好で……ということで、スーツ姿の左京寺くんなのだ。

 それに引き換えワタシときたら、そりゃホテルのラウンジに行くんだから小綺麗な格好はしてきたのだけれど、左京寺くんと比べればだいぶカジュアルだ。母に会うために、めかしこむ必要はないって思ってしまったのが敗因か。実はこれも、居心地の悪さを感じている一因だったりするのだ。

「お母さんとの待ち合わせも二時だっけ?」

 そう、母との待ち合わせも、玻璃乃の時間に合わせたのだ。

「さっき駅についたってメッセあったから、もう来るんじゃないかな」

 玻璃乃の尾行と母への婚約者紹介を、同時にこなしてしまおうというのが本日のミッションだ。かなりのミッション・インポッシブルだということも、緊張に拍車をかけている。

「なんだか緊張してきたな」

 左京寺くんが、肩をすくめて震わせる。

「緊張しなくても大丈夫だよ」

「だって婚約者のお母さんに会うんだよ? 緊張くらいするでしょ」

 え、婚約者って……演技だよね? 役作りに入ってるだけだよね!?

「百合ちゃん、子供は何人ほしい?」

 でた、左京寺スマイル。

 会社の女性陣を悩殺するこの笑顔を見るたびに、なんだか左京寺くんのことが信じられなくなってしまう。モテる男の子は苦手だ。だからといって、モテない男性が好きかと問われると、決してそうではないのだけれど。

「そうねぇ、三人も居れば賑やかでいいかしら……」

 不意に背後から、なつかしい声が響いた。

「お母さん! 話に割り込まないでよね」

 席を立って振り返ると、そこには着物姿の母の姿があった。

「百合ちゃん、元気にしてた?」

 母がひらひらと手をふっている。

「なんで着物で来るかな……」

 この着物、見覚えがある。母が大事にしている加賀友禅の訪問着だ。たしか祖母から譲りうけた着物のはずだ。

「だってこんな時じゃないと、着る機会がないでしょ?」

「えー、堅苦しいしいよぉ」

 母の顔を見るのは、もう一年ぶりになるだろうか。ここのところもう、正月くらいしか帰省しなくなってしまった。それなのに今年の正月は、帰ることができなかったし……。

 少し痩せたように見える。いや、老けたのか……。もう還暦がちかいはずだ。たった一年会ってないだけなのに、なんだか一回り小さくなってしまったように感じる。

「そんなことより百合ちゃん、彼氏さん紹介して」

 そうだった。なつかしさについ、左京寺くんの存在を忘れていた。

 振り返ると、彼は直立不動で待ちかまえていた。申し訳なく思いながら母に紹介する。彼は深々と頭をさげて言った。

「初めまして。左京寺と申します。どうぞよろしくお願いします」

 そして頭をさげると、緊張した面持ちからの左京寺スマイル……。あ、なんか母に刺さったみたいだ。母の肘が脇腹をつき、そっと耳打ちをする。

「百合ちゃん、どこで見つけてきたの。こんなイケメン……」

 いきなり下世話だ……。

 挨拶をすまして、三人で席についた。ワタシは左京寺くんと並んで、玻璃乃の席に背を向けてすわる。玻璃乃がワタシたちに気づいてしまう危険を、少しでも減らしたいからだ。

 席につくとき、チラリと玻璃乃の席をぬすみ見る。なにやら年配の男性と、挨拶をかわしているようだった。あのおじさんが、ヘッドハンターなのだろうか。きちんとしたスーツ姿で、いかにもビジネスマンって感じがする。

「どうしたの? 後ろになにかあるの?」

 不意に指摘され、ギクリとした。ぼんやりしてるくせに、見るとこ見てるからあなどれない。

「し、知り合いかなって思ったけど、違ったみたい」

「あら、向こうの席? 確かめてきたら?」

「いいのいいの。本当に勘違いだから」

 確かめになんか行けるはずがない。玻璃乃と顔を合わせる訳にはいかないのだから。

「百合ちゃん、こんなに素敵な婚約者が居るのなら、もっと早く紹介してくれればよかったのに……」

 母が左京寺くんを見やると、彼はゆっくりと口を開いた。

「百合子さんとは、結婚を前提として真面目にお付き合いしております。折を見て、ご実家にもご挨拶に伺いたいと……」

 誠実さがみなぎる左京寺くんの言葉を、母がさえぎる。

「堅い、堅い。そんなに緊張しなくていいから。取って食やしないわ」

「はい」

「左京寺さんでしたっけ? いつも百合子がお世話になっております」

「そんな、お世話になっているのは僕の方で……」

「誰に似たのかしらないけど、昔からズボラな子でねぇ。それでも私にとっては可愛い娘なの。迷惑ばかりかけると思うけど、この子のことよろしくお願いしますね」

「もちろんです!」

 さすがは左京寺くん。はやくも母からの好印象を勝ち取ったようだ。別れた元旦那を母に会わせたときとは大違いだ。露骨に値踏みする母の視線を思いだしてしまう。元旦那も不機嫌になるし、生きた心地がしなかったものだ。

「堅い挨拶はこれくらいにして、二人の馴れそめでも聞かせてくれない?」

「やめてよ、お母さん……」

 二人の関係を、根掘り葉掘り聞きだすつもりだ。前の旦那のときもそうだった。これは母流の品定めなのだ。前は二人の関係をアレやコレやと聞きだしたあげく、「この方との結婚は考え直したほうが良いわね」と言い放った。もちろん本人の前でだ。なんとかその場を切り抜けたけど、あの凍りついた空気を思い出すと胃がキリキリといたみそうになる。……と言うかすでに胃がいたい。

「あら、聞かれて困るような関係なの?」

「そういう訳じゃないけど……」

 母から二人の関係やエピソードをたくさん聞かれるかもしれないってことは、前もって左京寺くんにも伝えてある。受けこたえの内容も、きちんと二人で考えてあるのだ。準備万端ととのえたけれど……なぜだか不安しかない。

「僕たち、同じ会社の同僚なんですよ。部署は違うんですけど」

 笑顔で左京寺くんが話し始める。さすがに肝が座っているというか何というか……営業成績トップをひた走る営業マンは、これくらいの事では動じないらしい。

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