第12話 ジェノヴァの名物パスタ

 バジルのソースをもらうために、会社帰りに萱代さんの部屋へよった。けれども季里さんが来ていて、何やらたて込んでいる様子だ。

 こんな遅い時間に、季里さんが居るのは珍しい。打ち合わせに来るのは決まって、ワタシが会社へ行っている時間だ。仕事で打ち合わせに来ているのだから、お昼の時間帯になるのは当然か……。

 玄関までワタシを出迎えに来てくれた萱代さんは、リビングに戻ると季里さんと口論を始めた。どうやらワタシの来る以前から、言い合いは続いているらしい。仲がいいんだか悪いんだか、よくわからない二人だ。いや、喧嘩するほど仲が良いとも言うし、きっと仲は良いのだろう。

 それに仕事上の言い合いなのだし、こんなに熱く議論ができるということは、忌憚きたんない意見をぶつけ合って素敵なものを生み出していくのではないだろうか……などと勝手に良い話として納得しようとしていた。けれどもどうやら話は違うようで、季里さんの持ってきた案件を、萱代さんが請けたくないとゴネているだけだった。

「なんで受けないのよ。こんな条件のいい案件、なかなか無いわよ!」

「請けたくないものは、請けたくないの。理由なんか要らないだろ」

 子供の喧嘩みたいで、なんだか可笑しくなってしまう。

 萱代さんはフリーのウェブデザイナーで、季里さんは大手制作会社のプロデューサーだ。季里さんが発注者で萱代さんが受注者なのだから、萱代さんの方が立場が弱いように思えるのだけれど……どうやら、そんな簡単に測れる関係ではないらしい。なんでも萱代さんのデザイナーとしての実力はなかなかのものらしく、こちらがお願いする立場なのだと季里さんが言っていた。

「理由を聞かなきゃ、納得できないわ!」

「そんなもん、嫌なもんは嫌だからだよ!」

 言い合いは、膠着状態のようだ。仕事を選り好みできるというのは、とても贅沢でうらやましくなってしまう。さすがは師匠と言うべきだろうか……。

 掴みかからんばかりの勢いで言い合っていた二人だったけど、これ以上やりあっても埒があかないと思ったのか一旦休戦に入ったようだ。

 言い合いがやんだ今がチャンスとばかりに、萱代さんにお伺いをたてる。

「あのぉ、師匠。冷凍庫のバジルのソース、もらって良いです?」

 おっかなびっくり訊いてみる。

「あ? 勝手に持っていけ! それから、師匠って呼ぶな」

 不機嫌そうな声が返ってきた。

 でも良かった。パスタソースを持ち帰るという目的は達成できそうだ。

「いい仕事だと思うんだけどな。雷火らいかのウェブサイトだよ?」

 ため息まじりに、季里さんがつぶやく。

 ん。何かいま、知った名前が聞こえたような……。

「季里さん。雷火って……あの萬有ばんゆう・ザ・雷火らいかですか!?」

「そうよ。あの雷火よ」

 仕事の話に首を突っこむのもどうかとは思ったけど、雷火の名前を聞いては黙っていられない。いまやバラエティーやトーク番組に引っ張りだこの人気イタリアンシェフ。実はワタシだって、熱烈な雷火ファンなのだ。

「有名人の仕事だからはくがつくじゃない? 自由にやらせてくれるって言ってるんだし、なによりも金払いが良いしメンテナンス契約付きよ? 何が気に入らないんだか……」

「萱代さん、請けましょうよ! 雷火ですよ、あの雷火!」

「雷火の仕事だから請けたくないんだよ!」

「えー、どうしてですか。雷火と会えるかもしれないのに」

「あんな芸人崩れ、べつに会いたくないね」

 萱代さんがこれだけキッパリと拒絶しているのだから、いくら説得したところで考えが変わるようなことなんて絶対にない。まだ付き合いが半年のワタシですら、それくらいのことは解る。付き合いが長い季里さんは、そんなことくらい当然よく理解していてすでに撤収準備を始めていた。

「今日のところは帰るけど、あきらめた訳じゃないからね。考え直しといてね!」

「何度きたって一緒だよ。請けないからな」

「百合ちゃん、またご飯いきましょうね」

 季里さんは萱代さんの返事を無視すると、ワタシにそう言い残して帰っていった。

 彼女が去ってしまった部屋には萱代さんとワタシ、そして言い表しようのない気まずさが残された。自分の部屋へ帰ろうと思ったのだけれど、なんだかこの部屋から逃げ出すようではばかられた。せめて何か、この空気を変える話題でもないだろうかと考える。

「そうだ、師匠。ジェノヴァって知ってます?」

「イタリア最大の港湾都市だろ。金融の中心地でもあるな」

 さすがに知っているよね……などと感心していると、萱代さんの薀蓄が止めどなく押し寄せてくる。

「ジェノヴァは一六世紀頃、ヴェネツィア、ピサ、アマルフィと共に四大海洋国家として地中海や黒海の覇権を争っていたんだ。金融で財を成したジェノヴァが芸術家や建築家を招き入れた結果、素晴らしいルネサンス様式やバロック様式の建造物がつくられて現在でも残っている。その繁栄ぶりから当時は『ラ・スペールバ』、つまり『華麗な都』とか『誇り高き都』と呼び讃えられていて……」

「ちょっと萱代さん! ストップ、ストップ!」

「なんだよ。人がせっかく気持ちよく語ってるのに……」

 そんな一気にまくしたてられても、まるで頭に入ってこない。って言うか、べつにワタシ、ジェノヴァの薀蓄を聞きたい訳じゃないし。

 きっとこれ、萱代さんなりのストレス発散だ。さっきの季里さんとの言い合いのストレスを発散するために、薀蓄を語りまくろうとしているんだ。

「いやー、よく解りました! でも、ジェノヴァのお話はもう結構です!」

 半年間で学んだ萱代さんと付き合うコツ。それは彼に無用な気づかいをせずに、自分がしてほしいことをキッパリと言い切ること。その方が萱代さんには伝わりやすい。

「あ、そう? ここからが良い所なのに……」

 ほら、あっさりと引きさがった。ワタシもだいぶ、師匠の扱いになれてきたんじゃないかと思う。

「でも、どうして急にジェノヴァなの?」

「左京寺くんたちが、ジェノヴァのお客さんの相手をしてるんですよ」

「なるほど。苦労してるだろ」

「そうみたいですけど……なんで解るんです?」

「ジェノヴァっ子の特徴、愚痴っぽくてケチで無愛想」

 なるほど。玻璃乃がボヤいていたブルーノさんの特徴と一致する。

「その人が里心ついちゃって、バジルのパスタを食べたいとかで……」

「バジルはジェノヴァの特産品だもんね。あ、それでソース持っていっていいかって?」

「そうなんです。玻璃乃に泣きつかれちゃって……」

 泣きつかれちゃちゃいないけどね。話は盛ったほうが面白い……これは玻璃乃から学んだことだ。

「いいよ。要るだけ持っていきな。冷凍物のベランダ産バジルが、本場ジェノヴァっ子のお口に合えばいいけど」

「怖いこと言わないでくださいよ……」

「まぁ、あちらさんも冬の日本でまともなバジルを食べられるなんて思ってないだろうし、贅沢は言わんだろ。伝統的なレシピで作ったソースだ。お気に召すだろうよ」

「そうですよね!」

「あと、パスタはトロフィエが良いんじゃない?」

「なんです、それ?」

「ジェノヴァ名物のパスタさ」

 そう言って萱代さんが収納棚から出してきたのは五センチくらいのショートパスタだった。コヨリのようにクルクルとねじれていて、なんだか可愛らしい。

「手打ちで作ると旨いんだけどね。今回は乾燥パスタで勘弁してもらおう」

 結局、萱代さんのストックから、トロフィエと冷凍庫のバジルのソースを全部もらってきた。ホームパーティーで振る舞うと言っていたのだ。何人分が必要なのかわからないけど、余るくらいでちょうど良いだろう。ついでにコッソリもらってきたミートソースっぽいヤツは、うちの冷凍庫に放りこんでおいた。手間賃くらいもらっても、バチは当たらないはずだ。

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