第三幕:茶色いジェノベーゼの謎

第11話 さすがはパスタ名人やな!

 いつもの休憩室のいつものテーブル。いつものように、お弁当を広げて玻璃乃と左京寺くんを待つ。なんでも海外から取引先の人が来てるらしく、先週から二人は社外でお客様の相手をしている。けれども今日は久しぶりに、お昼には出社してくるようだ。二人の顔を見るのは一週間ぶりになるだろうか。

「久しぶりやな」

 声の方を見やれば、玻璃乃と左京寺くんがコンビニ袋をさげて手をふっていた。ぶっきらぼうな玻璃乃の関西弁も、久しぶりに聞くと感慨ぶかい。

「元気にしてた? 風邪ひいてない?」

 いつものように、左京寺くんが優しく気づかってくれる。朝晩けっこう寒いけど大丈夫だよ。ちゃんと暖かくして引きこもってるから。

「アホは風邪ひかへん言うし、大丈夫やろ」

「もう! ワタシ、アホじゃないよ!!」

 全力でツッコんだつもりだったけど、玻璃乃からは「ツッコミが甘い」と怒られた。正解は「誰がアホやねん!」らしい。いまだにツッコミの何たるかを理解できずにいる。

 席についた二人と、久しぶりのお昼ごはん。やっぱりみんなで食べる方が楽しいし美味しい。それがたとえ、スーパーのお惣菜と冷凍食品を詰めあわせた弁当だとしてもだ。

「そや、百合子。アンタ、パスタ詳しいやろ?」

 サンドイッチをかじりながら、玻璃乃が訊いた。

「萱代さんから教わってるし、それなりには……」

 そう、師匠は約束どおり、パスタを教えてくれている。カルボナーラのときに言っていた「味について妥協はできない」というのは本当の話で、ワタシの作ったパスタのできが良くなければストレートに「不味い」と言いはなつ。でも、それで良いのだ。ワタシは師匠から教わる立場なのだから、解りやすく言ってもらった方がありがたい。

 とは言うものの、心ない物言いにカチンときて機嫌をそこねることも……たまには……いや、けっこう……その、二回に一回くらいは……あったり……なかったり……。それでも、まぁ、それなりに、きちんと弟子をやっているつもりだ。

「ジェノベーゼっちゅうパスタ知っとるか?」

「うーん、聞いたことがあるような気も……」

「何や。詳しいんとちゃうんかいな」

 あきれたように玻璃乃が肩をおとす。

 仕方ないじゃないか。萱代さんからはまだ、トマトを使ったパスタしか教えてもらってないのだから。伝統的ななレシピだけでも沢山ありすぎて憶えきれない。

「調べてみよっか」

 スマートフォンの検索窓に「ジェノベーゼ」と入力して、検索ボタンをタップ。検索結果を画像に切りかえると、鮮やかな緑色のソースをまとったパスタがならんだ。

「けったいな色のパスタやな」

 ワタシのスマホを覗きこんで玻璃乃が言いすてる。

「どれどれ? どんな色です?」

 玻璃乃に続いて、左京寺くんまでワタシのスマホを覗きこむ。近いって、左京寺くん、顔が近いってば!

「ほんとだ。青汁みたいな色ですね」

 言い得て妙と言うか何と言うか。でもまさか、青汁が飛びだすとは思わなかった。

「あんた、ジェノベーゼ作られへんか?」

「どうだろう。レシピによるかな」

 いまお相手をしている海外のお客さんを副部長の家に招いて、ホームパーティーをすることになっているのだそうだ。料理のリクエストを聞いてみると「ジェノベーゼを食べたい」と熱望されたらしい。

「左京寺。ブルーノの出身どこやったっけ?」

「ジェノヴァですよ。そのまんまじゃないですか」

 左京寺くんによると『ジェノベーゼ』っていうのは、『ジェノヴァ人』や『ジェノヴァの』という意味なのだそうだ。要するにブルーノさんは、長い日本滞在で里心がついてしまい、故郷ジェノヴァのパスタを食べたくて仕方がないらしい。

「ブルーノさんって。どんな人なの?」

「イタリアの商社からの客でな、ブルーノ・ヴェルディーちゅうオッサンやねん。日本の食材を買いつけに来とるんやけど、まぁ、ネチネチした面倒くさいオッサンで、無愛想で口数すくないくせに、口を開いたと思えば文句ばっかり……」

「言いすぎですよ。玻璃乃さん」

「そんなことあるかい! イタリア人ちゅうのは、もっと陽気で情熱的なラテンのノリと違うんかい!」

「それ、関西人はみんな芸人って言ってるのと同じですよ」

「みな芸人やんか。ちごうとらへんわ」

 関西人がみな芸人気質かたぎなのかどうかはさておき、ジェノヴァはイタリア半島の付け根にある北の街のようだ。南のラテン気質を求められても困るだろう。

 お客さんの気質はともかく、ホームシックのブルーノさんのためにジェノベーゼをご馳走してあげることになっているらしい。ジェノベーゼ、作ることができるだろうか。スマートフォンの検索結果からレシピを確認してみる。バジル、ニンニク、松の実、そしてパルミジャーノとオリーブオイルを用意して、フードプロセッサーにかけてペースト状に……何だかこのレシピ見おぼえがある。これってたしか、すこし前に萱代さんが作ってたヤツじゃないだろうか。

 秋ごろに萱代さんが「こいつの季節も終わりだな」なんて言いながら、サンルームのバジルを大量に収穫したことがあった。花が咲き始めたら、そろそろおしまいなのだそうだ。短く刈りこんで冬をこす……そんな風に言っていた気がする。寒さに弱いバジルは日本では一年草あつかいなのだけれど、本来は多年草なのだそうだ。寒さでダメージを受けなければ、何年も育ちつづけるらしい。

 そう、収穫したバジルで、たしか緑色のソースをたくさん仕込んだはずだ。モルタイオとかいう大理石のすり鉢みたいな器具で、延々とすり潰していたからよく憶えている。

 完成したソースは、たしかリングイネと和えたはずだ。バジルの香りが鮮烈で、そこにニンニクとオリーブオイルが加わって香りの宝石箱みたいなソースだった。さっぱりした味わいかと思いきや、松の実とチーズのコクが素晴らしく感動した憶えがある。

 嗚呼、ダメだ! お昼を食べたばかりだと言うのに、またお腹がへってしまう!

「玻璃乃。このジェノベーゼってやつ、用意できるかも」

「何やて!? ホンマかいな!」

 テーブルに手をついて、玻璃乃が身をのりだす。

 たしか食べきれなかった分は、冷凍したはずだ。萱代さんに頼めば、分けてもらえるかもしれない。あのときゴリゴリするの、かなりしんどかったのだ。労働の対価として、わたしにはあのソースを受け取る権利がある……はずだ。

「萱代さんの所に冷凍のソースがあるから、分けてもらえると思う」

「おっ! さすがはパスタ名人やな!」

 持ち上げられて悪い気はしない。もっと言って、もっと言ってと思ってしまう。でもつつしみぶかいから、きちんと謙遜けんそんしておく。

「名人は言いすぎだよ。ほめたって何もでないよ?」

 その言葉に、玻璃乃が噴きだす。

「アンタとゃうわ。萱代さんのことや」

 あ、はい。

 申し訳ございません。思い上がっておりました……。

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