幕間 三:牛肩ロースはメキシコタコスの夢を見るか

第15.1話 肩ロース使う料理、なんか知らへんか?

 肉を焼く匂いってヤツは、どうしてこうも食欲をかきたてるのだろうか。

 しっかりとマリネされた牛肩ロースが熱々のフライパンにのせられたとき、激しい音とともに鮮烈なスパイスの香りが立ちのぼった。清涼感のあるカレーのような香りはクミンだろうか。後をおうように、コリアンダーのクセの強い香りも立ちあがってくる。肉の焼ける芳ばしい香りと相まって、ワタシの胃袋はずっと鷲づかみにされっぱなしだ。

 お腹がなってしまわないかと気が気ではないのだけれど、隣に立つ玻璃乃はりのだって似たようなもので必死になってヨダレを我慢しているように見える。

「玻璃乃。ヨダレ、ヨダレ」

「アホぉ! ヨダレなんぞ垂らすかい!」

 そう言いながらも手の甲で口元をぬぐう。ヨダレが垂れていないことを知ると、玻璃乃はジロリとワタシをにらんだ。そんなに怒らなくてもいいのに。可愛い冗談じゃないか。

「百合子こそ、腹ならすんやないで」

 いつもの憎まれ口も、会社の外で聞くと新鮮だ。休日を玻璃乃と一緒に過ごすだなんて、初めてじゃないだろうか。いや、半分くらいは仕事みたいなものなのだけど……。

 盛り上がる二人とは対象的に、フライパンの前に立つ萱代かやしろさんは淡々と肉の様子を見まもっている。脂の爆ぜる音が落ち着くと、彼は素早く肉をひっくり返した。焼き色を確認して塩と胡椒をふると、弱火に落としてフタをする。

「フタなんてするんですか? ステーキ焼くときって」

宇久田うくたさんの質問は、いつも新鮮だねぇ」

 言外に「そんな事も知らないのか」と言わんがばかりの呆れがにじんでいるのだけど、そんなのはいつものことだ。ワタシはオトナだから、グッと我慢してやり過ごす。ワタシは長女だから我慢できたけど、次女だったら我慢できなかったかもしれない。

「表面に焼き色をつけたら、あとはフタをしてジックリと火を通した方がいい」

「へぇ、そうなんですね」

「火が強いと、表面は焼けてるけど中は冷たいまま、なんて事になりかねないからな。弱火でじっくりが基本だよ。焼き加減のレアってのは、まったくの生って意味じゃないからね」

 おそらく、肉質的には生だけど、しっかりと火がとおって味が活性化しているとか、そんな意味のことを伝えたいのだろう。せっかくのアドバイスではあるのだけれど、そんなことよりもフライパンの中のお肉がどんな味に仕上がるのか気になってしまい、まるで頭に入ってこない。

 やがてフライパンの音に耳を傾けていた萱代さんが、不意にフタをあけて火を止める。見事に焼きあがった肩ロースは、それ以上火がとおらないように即座にまな板の上へとうつされた。

 なめらかな手ぎわで、お肉がどんどんカットされていく。断面はほんのりと桜色。さほど厚くもないお肉なのに、よくもこんなに絶妙な焼き加減で仕上げるものだと感心する。ほそく切り分けられた肩ロースは、さらに小さなサイコロステーキのように切りわけられていった。

 美味しそうだ……。

 少しだけでいいから、味見させてほしい……。何だったら、まな板にあふれれた肉汁だけでも舐めさせてくれないだろうか……。そんなお行儀の悪いことを考えている間に、細切れになったステーキたちは器に盛りあげられていた。

「カルネ・アサーダはこんなものかな」

 そう言って萱代さんは、満足げに焼き上がったお肉を見つめていた。


 玻璃乃と二人で萱代さんの部屋にお邪魔している。

 キッチンに陣取り、肉を焼いているのだ。焼いていると言っても実際に調理しているのは萱代さんで、ワタシと玻璃乃は料理の完成を見守る係だ。そして試食係であるということは、声を大にして主張しておきたい。

「師匠、ちょっとだけ味見しません?」

「ダメだ。それと、師匠って呼ぶな」

 予想された答ではある。

 萱代さんがダメと言ったのだから、この決定がひるがえる事なんてない。それくらいの頑固さを、彼は持ち合わせている。つまり、つまみ食いをあきらめるしかないってことだ。

 萱代さんは隣部屋の住人で、ひょんなことからワタシの料理の師匠になった。いや、正確に言うのならば、ワタシが押しかけて勝手に弟子を名のっているだけではあるのだけれど。

 イタリア料理に造詣の深い彼が作るパスタの味は見事なもので、ワタシも美味しいパスタを作れるようになりたいと願って足しげくこの部屋へとかよっているのだ。当初は嫌がっていた萱代さんも、最近は渋々ながらも弟子として認めてくれたようで、以前よりも熱のこもった指導をしてくれるようになった。それでもまぁ、ワタシの料理の腕は劇的にあがったりしないから不思議なものだ。いや、わかっている。急に上手くなったりする訳がない。地道な積み重ねこそが、上達への最短ルートなのだ……。


 さて今日は、いつものパスタやイタリア料理を教えてもらっている訳ではない。玻璃乃も加わって、タコスの作り方を教わっているのだ。いや、正確に言えばタコスではないのだけれど……。

 どうしてイタリア料理と縁のないタコスなんかの作り方を教わっているのか……。事の起こりは三日前、会社の休憩室での玻璃乃の一言までさかのぼる。

「肩ロース使う料理、なんか知らへんか?」

 いつもの席でお弁当を広げていると、コンビニ弁当をぶらさげた玻璃乃が椅子をひきながら言った。玻璃乃の隣にはいつものように、部下の左京寺くんがスマイルをたたえて付きしたがっている。

 仕入れ先が大量に牛の肩ロースを余らせているそうで、フードロスを避けるためにも外食チェーンあたりと商談をまとめたいというのだ。玻璃乃が言うには、プレゼンのときにメニュー提案もあわせると、相手の反応が良いのだとか何だとか……。できることなら商談の場で提案メニューを作って、バイヤーに試食してもらいたいのだとか何だとか……。このバイタリティー、さすが営業成績トップをひた走るだけはあると感心する。

「ステーキとか炒めもんとか、ありきたりなメニューやとインパクト弱いねん。なんやこう、グーッとくる料理はないんかいな」

 グーッとくる料理ってのがどんなのか解らないけど、ワタシにはありきたりな料理しか思い浮かばなかった。

「ワタシに訊いても、いいアイディア浮かばないよぉ」

「もとから期待してへんがな。萱代さんに話を通してくれ言うてんねん」

「デスヨネ……」

 萱代さんと玻璃乃は何度か顔をあわせているし、得意先のイタリア人バイヤーの接待を手伝ってもらったことだってある。それ以来、玻璃乃は食べ物のことで困ると、萱代さんの意見を求めるようになった。師匠もえらく信頼されたものである。

「話だけ通しといて。ええ料理あったら、ウチがちょくで萱代さんトコ聞きに行くから」

「わかったー。訊いとくね」

 話が一段落すると、隣で話を聞いていた左京寺くんが、玻璃乃に向かって手をあげる。

「はい! はい!」

「なんやねん急に! ビックリするわ」

 相変わらずの塩対応だ。この二人、仲が良いんだか悪いんだか……。

 成績トップの玻璃乃をして「営業が天職のような奴だ」と言わしめる左京寺くんは、人の懐に飛びこむのがうまくて得意先からのウケも良いらしい。そしてさらには女性方面からの人気も高く、社内に非公式ファンクラブがあるなんて話まできく。

「僕も行きます! 連れて行ってください!」

「あかん」

「えー! 連れてってくださいよぉ」

「どうせ不順な動機やろ。萱代さんトコ言うたら、隣は百合子の部屋やないか。ドサクサに紛れて、百合子のとこ遊びに行こうとか思っとるやろ」

「ど、どうしてわかったんですか」

「わからいでか。そんな時間あるんやったら、プレゼン資料でも作っとき」

 どうしたことか左京寺くんは、事あるごとにワタシにアプローチしてくる。あちこちでモテまくってるハズなのに、おかしな話だ。

 しかしいくらアプローチしてこようとも、そもそもワタシはイケオジ好きなものだ。歳下の左京寺くんを恋愛対象として見ることは難しい。そんな訳でアプローチをかけられるたびに、何だか申し訳ない気持ちになってしまうワタシなのであった……。


 仕事帰りに早速、萱代さんの部屋にお邪魔した。

 萱代さんはフリーのウェブデザイナーで、彼の部屋は仕事場もかねている。隣りにあるワタシの部屋と同等の間取りのはずなのに、うちよりも確実に広く感じるのは不思議なことだ。いや、解っている。ワタシの部屋が散らかってるだけってことは。

萱代かやしろさん、萱代さん。ねぇ、萱代さんってば!」

「なんだよ、騒々しい……」

 仕事中の萱代さんにウザ絡みして、煙たがられるところまでがテンプレートだ。

「肩ロース使った料理、なにか知りません?」

「そんなもん、星の数ほどあるだろ」

 PCをにらんだままで、ぶっきらぼうな答がかえってくるのもテンプレート通りだ。師匠との付き合いは、もう半年くらいになるだろうか。会話のテンポもだいぶつかんできた。

「丼物みたいな、ランチメニューにしやすい料理が良いんですよ。調理が簡単ってのもポイントみたいで……」

 肩ロースの料理を玻璃乃が探している事情を、かいつまんで説明する。

「焼いて飯にでも乗せとけよ。ステーキ丼なんて、ランチの王様だろ」

 ちなみにステーキ丼は、昼休みに玻璃乃からNGをくらったメニューだ。

「そんなの、女性ウケしないじゃないですかぁ。女の子にウケて、えるお料理じゃなきゃダメなんですよ。この時代、SNSでの拡散力も無視できないんですから」

える、ねぇ……」

 興味なさそうに、萱代さんの視線が宙を泳ぐ。

「トマトとかアボカドでも乗せといたら? クリスマスカラーできっと映えるよ」

「生野菜をご飯に乗せてどうするんですか。適当なこと言わないでくださいよぉ」

 PCに向かったままイスの背もたれに身を投げていた萱代さんが、突如として身を起こす。

「いや待て。イケるか……」

「なにか思いついたんですか?」

 ワタシの質問を無視して思案を続けていたけど、やがて萱代さんはおもむろに口を開いた。

「タコライス……ってのはどうだ?」

「それって沖縄の……。でもタコライスって、肩ロースじゃなくてひき肉のそぼろみたいなのが乗ってませんでしたっけ?」

「タコミートってやつだな。アメリカのタコスもタコミート乗せるしな。沖縄のタコライスもタコミートだな」

「アメリカのタコス? タコスってメキシコ料理じゃないんですか??」

「タコライスの元になったのは、アメリカ料理のタコスだよ」

「え、でも、タコスってメキシコの料理じゃ……」

「そうだな。メキシコを代表する料理だ」

 ちょっと何を言っているのかわからない。

 アメリカ料理って言ったり、メキシコ料理って言ったり、どっちが本当なの!?

「そういうトコですよ、師匠」

「なにが?」

「適当なこと言って、けむに巻こうとしてるでしょ。そういうところが、女の子に嫌われるんですからね!」

「適当なことなんて言ってないぞ?」

「メキシコ料理なんですか、アメリカ料理なんですか。ハッキリしてください!」

 語気を強めて迫るワタシに、師匠は肩をすくめてあきれ顔だ。

「わかった、わかった。ちゃんと教えるから、週末まで待ってよ。肩ロースを使った料理だっけ? そいつも週末に試作するからさ」

「本当ですか? 約束ですよ!」

 こうして週末の約束を取り付けたワタシは玻璃乃に連絡し、週末に二人してお邪魔することになったのであった。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る