第28話 イニツィア・クチナーレ!

 いよいよこの日がやって来た。萱代さんと雷火さまの、パスタ勝負の日だ。

 決戦の場所は、いま一番予約が取れないイタリア料理店『リストランテ雷火』……そう、雷火さまのお店だ。定休日の今日、このお店のキッチンで勝負が行われる。

 ワタシと季理さんそして萱代さんの三人で店の前に立ち、バロック様式を取りいれた豪奢ごうしゃな建物を見あげた。

 まぶしさに思わず目をほそめる。照りつける太陽はすでに高く、澄みわたる夏空に白亜のしつらえが冴えている。

「相変わらず、スカした店だな」

 萱代さんが吐きすてるように言った。よほどこのお店に、苦い思い出があるらしい。

「師匠、大丈夫なんですか?」

「あぁ、準備万端ととのってるよ」

 自信満々に答えて、肩から下げたクーラーボックスを叩いてみせた。どうやらあの中に、勝負で使う食材が入っているらしい。

 萱代さんを先頭に店の中へと踏みいる。空調のきいた冷たい空気に背筋がのびる。広々とした店内は休業日だと言うのに明かりがともされ、いつでもお客を迎えられる状態のように見えた。バロック様式の内装は荘厳にして、落ちついた雰囲気をかもしている。ざっと見た感じ、五十席ほどあるだろうか。クロスを掛けられた四人がけのテーブルが、整然と並んでいいる。

 ホールの奥、厨房への入口あたりに、スタッフらしき人が十人ほどたむろしていた。萱代さんの姿に気づくと、全員が彼の元へ駆けよってくる。

「お久しぶりです!」

「お元気でしたか!」

 萱代さんを取りかこんで、再会を喜んでいるようだ。

「おいおい、若は勘弁してくれよ。俺はもう、この店とは関係ないんだから」

 照れた笑みを浮かべながら、萱代さんが応える。店を飛び出した身とは言え、スタッフからの信望は厚いらしい。

「何ごとだ! 騒がしい!」

 奥の厨房から怒声がひびく。

 厨房から姿を現したのは、コックコート姿の万有・ザ・雷火さまだった。

「ほぉ、来たか。尻尾を巻いて逃げださなかったことだけは褒めてやろう」

 不敵な笑みを浮かべる雷火さまを、萱代さんがにらみつける。

「傲慢にのびた鼻、すぐに叩き折ってやる。覚悟しておけ!」

 萱代さんの挑発に雷火さまは肩をすくめ苦笑すると、スタッフたちに向きなおる。

「貴様ら、休みの日になにをしている!」

「料理長と若の対決と聞いては、居ても立ってもいられません!」

「そうですよ、見学させてください! 勉強させてもらいます!」

 スタッフたちの懇願にふたたび肩をすくめると、雷火さまはため息をつきながら「勝手にしろ」とつぶやいて厨房へともどっていった。

「さぁ、準備を」

 スタッフにうながされて、萱代さんはロッカールームへと向かった。

 季理さんとワタシは一足先に厨房にはいり、勝負の開始をまつ。厨房はひときわ明るく、タイル張りの壁にステンレスの厨房機器、そして沢山の鍋やフライパン……そのどれもが輝きを放つほどに磨きあげられていた。

 初めて立ちいる厨房がもの珍しくあちらこちらと見まわしていると、コックコートに身を包んだ萱代さんが姿をあらわした。見なれたエプロン姿とは、まるで雰囲気がちがう。身内贔屓みうちびいきをする訳ではないけれど、けっこうサマになっているんじゃないかと思う。料理に挑む真摯しんしな姿勢が伝わってくるようだ。

「こうやって見ると、萱代さんって意外とかっこいいね!」

 季里さんがそっと耳うちする。どうやら同じことを考えていたようだ。

「待たせたな」

 萱代さんと雷火さまが相対する。

 二人とも、勝負を前にして気合い充分だ。なんだか二人の間に、火花が散っているかのように見える。

「パスタ場は貴様が使え。私はこっちでやる」

 スタッフの一人が、雷火さまが居るのは第二の皿セコンド・ピアットを調理する場所だと教えてくれた。

「桜馬、調理に何分必要だ」

「一五分だな」

「では二〇分後に試食を開始する。それまでに仕上げろ」

 雷火さまが目で合図を送ると、スタッフの一人がタイマーをセットする。

 いよいよ始まる。どんな勝負になるのか、期待に胸が高鳴ってしまう。

「準備はいいな? 始めようじゃないか」

「望むところだ!」

調理開始イニツィア・クチナーレ!」

 雷火さまの号令で、二人が調理にとりかかる。

 萱代さんは、寸胴に水をはって火にかけると、持ち込んだクーラーバッグの中からなにやらラップに包まれた塊を取りだした。ラップをはがしていくと、中から白い粘土のようなものが姿をあらわす。

「ほぉ。生パスタで勝負か……」

 スタッフの一人がつぶやく。

 生地を棒状に伸ばすと、スケッパーでゴルフボールくらいの大きさに切りわけていく。そしてそのうちの一個を手にとると、打粉をした麺台の上で転がして紐状に伸ばしはじめた。指先と手の平をたくみに使って一本を伸ばし終わると、また一本、そしてまた次の一本と、次々に麺を形づくっていく。

「なんだか、うどんみたいね」

 季里さんも巧いことを言ったものだ。言い得て妙とはこのこと、萱代さんが伸ばしている麺はスパゲッティよりはるかに太いし、色も白いからうどんのように見える。

 雷火さまはどんなパスタを作っているのかと見やれば、寸胴を火にかけただけで「いまはまだそのときではない」とでも言わんがばかりに、腕を組んで静かに目をとじている。

 麺を伸ばしおえた萱代さんは、クーラボックスからパンを取りだした。見た目、短いフランスパンといった様子のパン……あれが先日教えてもらったトスカーナのパンなのだろうか。

 萱代さんがパンをスライスして、さらに小角切りに刻んでいくのだけれど、乾いてかなり固くなっているように見える。

 時計をみ見やれば、すでに一〇分ほどが経過していた。調理時間の半分が終わってしまったのだ……二人はあと一〇分で、パスタを仕上げることができるのだろうか。

「動き出したわよ、雷火さん」

 季里さんに教えられて雷火さまを見れば、スパゲッティの乾麺を鍋の上にかかげるところだった。スパゲッティの束を絞るようにひねッたかと思うと、次の瞬間には鍋の中に放っていた。鍋底についたスパゲッティの束は、まるで花が咲くかのように寸胴の中で美しく広がった。

 スパゲッティをすべて湯の中に沈めると、雷火さまは再び腕を組んで静かに目を閉じる。パスタを茹でる意外なにもしていないようだけど、大丈夫なのだろうか。なにを作ろうとしているのか、まるで見当もつかない。

 萱代さんは、フライパンでオリーブオイルを熱したところへ小さく刻んだパンを入れて炒りはじめていた。パンの焼けるいい匂いが辺りに漂っている。さすがにこれはわかる。ブリチョレってヤツを作っているのだ。そう、炒ったパン粉を、チーズの代わりにふりかけるつもりなのだ。

 炒り上がったパン粉を皿に移すと、萱代さんはクーラーボックスの中から、白いタマネギのようなものを取り出した。しかし、タマネギにしては小さく、エシャロットとも違うように見える。

「もしかして、あれってニンニク!?」

 小房に分けていく様子を見ながら、季理さんがつぶやく。言われてみればニンニクに見えないこともないのだけど、どう考えても大きすぎる。普通のニンニクの五倍以上の大きさがあるのではないだろうか。

 見る間に房が分けられ、皮がむかれていく。皮をむいた姿を見ると、やはりニンニクのように見える。そしてやはり異様に大きい。

 萱代さんは巨大なニンニクを潰してみじん切りにすると、唐辛子、オリーブオイルとともにフライパンに入れて火にかけた。きっとアーリオ・オーリオ……つまりはニンニクとオリーブオイルのソースを作っている。けれども、あの大きなニンニクからどんな味わいが生まれるのか、まるで想像がつかない。

 やがてニンニクが焼けるいい匂いが漂いはじめる。香りもやっぱりニンニクだ。この香りを嗅いでいると、どうもお腹がなってしまいそうになる。どうしてこうもニンニクの焼ける匂いというのは、食欲を刺激するのだろうか。

 ここへ来て、やっと雷火さまが動きだす。半分に切ったニンニクの切り口をボウルの底に摺りつけ、みじん切りにした唐辛子を入れる。そしてオリーブオイルとともに、小瓶に入った薄茶色の調味料をボウルに加えた。

 なんだろう、あの調味料は。醤油にしては色が薄いし、ビネガーのたぐいにしては色が濃い。香りがヒントにならないかと思ったけど、ワタシたちが居る場所までは匂ってこないようだ。雷火さまは寸胴からパスタの茹で汁をとると、ボウルに加えて混ぜはじめた。

 萱代さんは、寸胴の沸きたつ湯の中へ生パスタをさばき入れているところだった。再沸騰を見とどけると、火を弱めてフライパンへともどる。彼もまた寸胴からパスタの茹で汁をとり、フライパンのソースに加えて混ぜはじめる。

 二人がパスタを引き上げるタイミングは、ほぼ同時だった。

 萱代さんはオリーブオイルと刻んだイタリアンパセリををふりかけてフライパンをあおると、皿に盛りつけて炒ったパン粉をちらした。

「ピチ・コン・レ・ブリチョレ、完成だ」

 雷火さまはボウルでよく和えた後に皿へと盛りつけ、くし切りにしたレモンを添えた。

「スパゲッティ・コン・コラトゥーラ、完成だ」

 こうして、二人の皿はほぼ同時に完成したのだった。

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