おにぎり

男の人が泣いているのなんて

久しぶりに見た。

おそらく何回見ても

私はその姿に動揺するのだろう。

前はいつだったのか、

思い出してしまいそうになる

その記憶を奥の方へもう一度押し込む。


触れず、話しかけず

彼が落ち着くのをその隣でじっと待つ。

2人がけのベンチは

静かにお互いの様子を

そのかすかな振動を逃さずに伝えてくれる。

落ち着いてすっ、とはき出す呼吸、

こみ上げてきて吸い込む空気。

その1つ1つに合わせて、

寄り添おうとする。

泣いている人に共感しようとするとき

私はその人の一部になっていくような

気がする。


「大切な友人を傷つけてしまいました。」


何度かすっ、と息を吐き出したあとに

彼はそうつぶやいた。

その一言で涙は蒸発し、その空気に

ふわりと私達は包まれた。


「ずっと夢を追いかけているやつなんです。

すごいな、と思ってて。

周りが就職して、結婚して、

子どもを育ててとか

やっているなか脇目も振らずに、

バイトをして

その夢だけ追いかけて。」


この町には、夢を追いかけている人が多い。

劇場やライブハウス、サブカルチャーを

集めたような店がたくさんあるから

だろうか。

それとも彼らがそのような店をつくったのが先なのだろうか。

たまの友達との飲み会で

この辺りの店に入ると

夢を語っているキラキラした空気に触れる。

大人になるにつれて

寂しさから身を守るのと

引き替えになくしていった

それらはとてもまぶしい。


「はい。」

話し続けてくれるよううながすように

相づちをうつ。


「でも俺の方に、いろいろあって

余裕がなくなってしまって。」

彼は深くうつむいて、またなにも話さなくなってしまった。


「人のことを応援するのって

意外と難しいですもんね。」

当たり障りのない答えをそっとその肩に

添える。


この気持ちはよくわかる。

応援を受け取るのも応援をするのも

簡単なことのようで難しい。

自分の心がすさんでいるとき、それはただのとげにしかならない。

うけながすことも、聞き流すこともできず

言わなくてもいいことを言い

望んでいない結果を招く。


冬が近づいていて

夜になると風が冷たい。


じっと動かなくなったかと思えば、

彼はその風で少し冷えてしまったであろう

手のひらのおにぎりをおもむろに

食べ出した。


「本当においしいです。」

また3口ほどで食べ終えて

満足そうにほほえむ。

久しぶりに合った目を見て

笑うと目尻にしわが寄ることに気づく。


「おにぎりって

いつでも裏切らないですよね。」

「本当にそうです。」


驚くほど落ち着いた彼は

ありがとうございました、

また来ます、と言って

虫の音が聞こえるの夜のなかに

消えていった。

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