裕貴也

試着室に入り、

持っている3着を壁に掛ける。


「試着室なんて、いつぶりだろう。」

1人、小さくつぶやく。

バンドの収益はほぼなかったから、

収入はバイト代だけ。

家賃を払って、ガス光熱費、通信費、食費とバンドの活動費活動費を払うと手元には何もほとんど残らない。

だから、服を買う余裕はなく、もともとだぼだぼった服は時間の経過と共にみすぼらしさが加わって、さらに着ている者をだらしなくみせてしまう。


街中の鏡も嫌いだが、

試着室の鏡はもっと嫌いだ。

狭い個室には行き交う人もおらず、

自分のだめなところをまざまざと見せつけられるだけだから。

鏡を一目見て、すぐに目を逸らし、

着ていた服をいっぺんに脱ぎ散らかした。

脱いだ服を足で隅に寄せて、チノパン、ワイシャツ、セーターの順に着ていく。


全てを着た後、

鏡の前には見慣れない自分が立っていた。


似合っていない、

という次元ではもはやなかった。

おかしい。ただ、おかしい。


色が似合っていないのか、

そもそもこういう服が似合わないのか。

それともこれまでの生活で似合わない人間になってしまったのか。


自分の事が嫌いになりそうだった。


どんなときも、自分はかっこいい、と

信じて前に進んできたはずなのに

最近、わからなくなっている。

自分は、社会から見たらきっと“だめな人達”に部類されるのだろう。


この歳まで会社勤めをしたことがなく、まともな給料を手にしたこともない。

毎月家賃はギリギリで、大家さんが優しいことに甘えている。

こんな俺にできること、って

本当にあるんだろうか。

速水さんに迷惑をかけてしまうのではないか、と何も始まっていないのに自己嫌悪に陥る。


香織も今は構ってくれているけれど、

気がついたら平日はスーツが、

休日はこんな服が似合うやつと結婚してしまうんだろうか。


……って、俺は何を考えているんだ。

香織の気持ちにずっと気づいていながら、ないがしろにしていたのは自分ではないか。


でも、ここ数年近づいてきてくれるファンの女の子やバイトの女の子と仲良くなると必ず香織の笑った顔がちらつく。

そして、悲しそうに眉毛を下げている顔に切り替わって離れない。

学生の頃に、香織ではない子と付き合っていたとき、会う度に香織はよくこの顔をしていた。


「なんで、なんで、私じゃだめだったの。私のことはそういう風にみれなかったの?」

何回か、そう攻められた。

俺は曖昧にしか答えられなかった。

「そういうんじゃないじゃん。」と。


その子と付き合っている間に、

香織と頻繁に会っていたときの気持ちを

今はよく思い出せない。

でも彼女にも香織にもよく怒られていたのは覚えている。それにも、意味がわからん、とへそを曲げていた自分の事も。


なんだか自分が情けなくなって、拳を鏡に押し当てた。


鏡は固いはず、その固定概念は途端に崩れた。


鏡はぐにゃりとゆがみ、

気がついたときには鏡の中に落ちていた。

罰が当たったんだろうか、と薄れゆく意識のなかで考えた。










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