ぬるいココア
暖かくて甘い匂いはより強くなった。
冬の寒い日の公園のベンチでココアを飲んだ、そんなことを思い出す。甘い匂いは罠ではないかと身構えていた心がやんわりとほぐれていくのを感じる。
店内には女性が1人、本を読みながら店番をしている。カウンターに置かれたマグカップがかわいい。
入ってすぐは洋服が並んでいるから洋服屋さんだと思ったが、奥の方には雑貨や文具、そしてその奥にはなにに使うかわからないものが所狭しと並んでいる。
自由、その言葉がこの店にはぴったりだ。
そのなかでもぽつんと置いてある
ハンモックに惹かれた。これは売り物なのだろうか。何故だか普段から使われている気配が感じられるほど温かい。店番の隙をみて転がっているのだろうか、そう疑ってしまいたくなるくらいに。
客が来てもにこっとしただけで、ぬぼっとしている幼い顔だちの店主をみてそんな失礼なことを考える。
この店に、特に用事はない。
何となく匂いに誘われて入ってしまっただけ。だから、他の店のように
「なにをお探しですか〜?」
なんて声をかけられることがなくて、ほっとしている。でもその反面寂しい。そして無性に悲しい。何を話せばいいかわからないのに
何かを聞いて欲しい、そんな思いに苛まれる。
これからもう会うことのないような、わたしに全く興味などなくちょうど今、本のページをめくったばかりの店番の女性のような人に。
立っていても仕方がない。手当たり次第に洋服をみていく。面白いことに、どれもぼんやりしているようなのに誰かを待っているような強さを感じる。着なくても似合わないことが、なんとなくわかる。
このスカートも、このシャツも、このリボンでさえわたしのものにはならないというように指の隙間からすり抜けていく。
「あ。このセーター…。」
思わずつぶやいてしまう。
梨香子が私に似合いそうだと言っていたものに似ている。こっそり女性を確認するが幸い、こちらに気にもとめていない。胸をなでおろし、何もなかったように振る舞う。
一度手に取り、戻す。そしてもう一度手に取る。それを持って意を決して、小さく息を吸って読書中の彼女に近づく。
「あ、あの。試着しても、いいですか。」
出来るだけ邪魔をしないように、恐る恐る声をかける。
「え、」
突然本の世界から現実に引き戻された彼女は小さく言葉を発する。図書室に昔いたおばあちゃんを思い出させるような仕草でこちらを見上げ、頷いた。なんだか悪いことをしたようで申し訳なくなり、そそくさと奥の試着室に向かう。カーテンを閉めるとき無造作に並べられた雑貨のなかの食品のマスコットが目に入った。紗英が好きそうなチーズもあるかもしれない。あとで見てみよう、なんて考える。
後ろで店員さんが何か言っているような声が聞こえた、気がした。
ただ雑貨に目を奪われており振り向くことなくそのまま試着室に入った。
試着室の鏡に自分が映った。
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