第27話

十年前の自分を見ているかの様に、堤防に、キョトンと座っている。まだ、夕貴の隣には、耕貴の姿はない。日も傾き、もう夕刻になっていた。初春と云っても、まだ、日は短い。夕貴は、この浜に来て、二時間は経っていた。

“ダぁン・ドゥン・チャッ・チャッ…!”

舗装されていない凸凹道の方から、何やら、慌ただしい物音が聞こえてくる。ハッと、そちらの方に、視線を向ける夕貴。必死に、走ってくる男性の姿が、瞳に映る。年恰好は、夕貴と同じぐらいである。しかし、耕貴とは限らない。堤防の高い所から、半信半疑で、その男性を見つめる。スローモーションの映像の様に、その男性の姿が、瞳に映し出される。

「はっはっはっ、はぁッ…!」

夕貴が座る堤防の前で、腰を曲げ、手を膝に付けて、呼吸を整えようとしている男性。

『耕ちゃん?』言葉に出来ない。胸の内で、自分に問いかける。

「はぁッ、はぁッ、はぁッ…」

男性は、徐々に呼吸を整えていく。夕貴は、目を逸らさず、この男性を、ジィと見つめていた。

『耕ちゃん、耕ちゃん、やんな。』

まだ、言葉に出来ないでいる。記憶の中の耕貴とは違う。当たり前の事であるが、大人になったであろう耕貴の姿が、想像出来ないでいた。

「はぁッ、はぁッ…ごめん、和歌山まで、行ってもうて…」

呼吸を整えながら、そんな言葉を発した男性。何の戸惑いもなく、堤防に座っている女性を、夕貴だと信じている。

<えっ!>思わず、そんな言葉を発していた。まだ、目の前で、息を切らしている男性が、耕貴なのか分からない。一方的にそんな言葉を言われた夕貴の思考が止まってしまう。

「ごめん、寝過してもうて、和歌山まで、行ってしまって、遅れてもうた。」

そんな言葉が続き、男性の上体を反らし、夕貴を見上げる。男性の顔を凝視する。考えてみれば、耕貴の状況など、何も知らない夕貴にとって、目の前の男性が、発する言葉を理解できないでいる。

「耕ちゃん、耕ちゃんやね。」

しばらく見つめ合い、恐る恐る、そんな言葉を発する。

<えっ!>耕貴にとって、こんな夕貴の言葉を、想像していなかった。十年前と、変わりなく、言葉を交わせると思っていた。

「えっ!って、耕ちゃんじゃないの。」

「えっ、いや、木村耕貴やよ。夕貴ちゃんやんな。」

耕貴は、そんな言葉を発しながら、考えてみる。キョトンとする夕貴の表情を見つめながら、今の状況を考えてみる。

コクリと頷く夕貴を眺めながら、冷静に、自分を見つめ返していた。

「とりあえず、そっちに行っていいかな。」

堤防の方を指差して、そんな言葉を口にする。

<いいよ>素直な夕貴の言葉の後、梯子を上り、夕貴の隣に腰を下ろした。

「フぅー、完璧に、埋め立てられたなぁ。完璧に、樽井の浜が無くなってもうた。」

腰を下ろした途端、そんな言葉を発する耕貴。考えてみれば、十年と云う年月が流れているのである。

「さぁてと、何から、話しましょうか。」

隣に座る夕貴を見つめて、そんな言葉を続けた。現在の二人の状況など、お互いに知らないのである。少しずつ、十年と云う年月を埋めていかなければいけない事に気付いた。

「なぁに、大人ぶってんのよ。」

目の前の男性が、耕貴だとわかり、隣りに座った事で、何やら、感情が落ち着いてくる。夕貴も、耕貴と同じ事を考えていた。

耕貴は、視線を正面に向ける。何も、手入れされていない荒地が広がる。

「夕貴ちゃんは、まだ、京都やんな。」

<うん、そうやよ>夕貴も、空き地が広がる正面に、視線を向けた。

「今、西陣織の問屋で事務、やっているの。耕ちゃんは…」

「俺か、俺は、大学で、横浜におる。」

「へぇ~、横浜か。…で、さっき、寝過して、和歌山まで行ってしまったって、言ってたんや。」

「そうやねん、十年前のこの約束事を思い出したのが、今朝やったねん。朝まで、ツレと酒飲んでいてな、大変やった。ちょっとしたきっかけで、夕貴ちゃんとの約束を思い出して、慌てて、新幹線に乗ったもんやから、新大阪に着いた時、気分悪くなって、吐いてもうたわ。」

笑いながら、悪ぶることもなく。素直に、そんな言葉を口にしていた耕貴。

<ひどい!>穏やかな雰囲気であった空間に、そんな夕貴の言葉が突き刺さる。

「ひどいよ、耕ちゃん。私は、ずっと、この日を待っていたんやよ。耕ちゃんとの約束を、ずぅ~と、覚えていたんやよ。最低、耕ちゃん。」

咄嗟に、身体を夕貴に向けると、鋭い視線が、胸に突き刺さる。

「そうやんな。俺、最低やねん。」

素直に、そんな言葉を口にする。弁解をしようとは、思っていなかった。

「今朝、約束事を思い出した時、どうしようもない後悔が襲ってきた。なんで、こんな大事な事、忘れるんよって、自分を責めた。」

また、正面を向く耕貴。車が走っている道路よりも先、海を見つめていた。

「いつぐらいまでかなぁ、ここに来ていたのは…中学に入ったぐらいから、ここら辺の、埋め立てが始まったんよ。年を追う毎に、樽井の浜が無くなっていく。夕貴ちゃんとの思い出の場所が、無くなっていく。そう思ったら、自然と、この場所に来る回数が減っていった。足が遠ざかっていった。」

耕貴は、忘れてしまっていた記憶を思い出しながら、記憶を追いかけながら、言葉にする。

「この海が埋め立てられていくと、同時進行で、自分の気持ちも、埋めていたんだろうと思う。この場所が無くなってしまうのが辛くて、夕貴ちゃんの事を思うのが辛くて、大事な事を、記憶の引き出しの奥の方に、しまいこんでいたんだと思う。」

哀しそうに、悔しそうに、そんな言葉を口にする耕貴の横顔を、見つめていた夕貴は、徐々に、怒りが治まっていた。

「そうやね。十年やもんね。私も、友達に言われたねん。子供の頃の約束なんて、覚えているわけないよって…この場所が無くなってしまう年月やもん、しゃぁないっか。でも、きてくれた。それで、よしとしますか。」

夕貴は、笑みを浮かべ、素直に気持ちを言葉にする。自分は、この場所から、離れて暮らしていた。大事な場所が、無くなっていくのを、直に見ていない。そんな自分が、耕貴の事を責められない。

その後、静かな時間が流れる。二人とも、遠くに見える海を眺めていた。改めて、十年の年月の重さを感じている二人。自然と、お互いに、無口になっていた。

夕貴の方は、喋りたい事が山ほどあった筈なのに、言葉が出ないでいた。

「夕貴ちゃん、これから、どないするの。」

陽が夕日になりつつあった。このままじゃぁいけないと思う耕貴の方から、そんな言葉を投げかけていた。

「明日、仕事やから、帰ならきゃ。」

まだ、この場所に居たいと想いを、抑えつつ、そんな言葉を口にした。

「そうか、夕貴ちゃんは社会人やもんな。俺みたいな、気ままな学生とはちゃうからな。」

一気に、悲しみが襲ってきた。折角、逢えたのに、このまま、さようならとは切ない。

<うん>耕貴が言う、社会人と云う言葉に、頷いた夕貴。十年待った耕貴と、さようならをしなければいけないと思うと、夕貴も切ない。

<あっ、そうや!>突如、そんな声を上げる。耕貴は、いいアイディアが頭に浮かんだ。

「そうや、そうや、俺も、京都に行けばええんや。そしたら、電車の中でも、喋れるし、向こうで飯でも食えば、その間も、喋れるやん。あっ、そうか、泊まるとこ、まぁ、どうにかなるやろ。」

そんな言葉を、勢いよく、続ける。思わず、そんな言葉を、どや顔で喋っている耕貴の横顔を、凝視してしまう。

<フぅん>そんな夕貴の視線に気付いたのか、不意に、夕貴の方を見た。お互いに、見つめ合う二人。耕貴の勢いも止まり、口止まりしてしまう。

<じゃあ>今度は、夕貴の方が、いいアイディアを思いついた。勢い良く、こんな言葉が続く。

「うちに、来えばいいやん。お母さんも喜ぶし、おばあにも逢わせたい。ねぇ、それ、いいやん、そうしょ。」

そんな言葉を口にすると、夕貴は立ち上がり、天いっぱい手を伸ばした。色づき始める夕陽を見つめて、行こう。と口にする。

躊躇する耕貴に対して、手を差し出した夕貴。満面の笑みを浮かべて、耕貴を見つめる。

<ああ>そんな夕貴の気持ちが伝わったのか、飛び切りの笑みを浮かべて、手を取り立ち上がる。そのまま、二人は、堤防を下りていく。手を繋いだまま、駅に向かって歩き出す。

(そうや、耕ちゃん、家に寄らなくていいの)

(いいよ。今は、夕貴ちゃんとの時間を埋めな)

(おじさんや、おばさんが、悲しむよ)

(今日も、連絡していないし、別に、ええよ)

(耕ちゃんが、そうゆうなら…)

(夕貴ちゃんは、そんなに、気にせんで、ええよ。それよりも、夕貴ちゃんのことが聞きたい)

(それを言うなら、私のほうが、耕ちゃんのことも聞きたいよ)

(別に、普通やよ)

(私のほうこそ、普通…こうゆうのを、堂々巡りやんね)

(夕貴ちゃん、俺から、お題を出すから、それら答えていくって、どう…)

(お題って、じゃぁ、一問一答で…)

そんな言葉を、二人は交わす。昔の様に、しっかりと手を繋いで、笑みを浮かべながら、ゆったりと足を進める。焦る事はない、ゆっくり、ゆったりと、十年の年月を埋めていけばいい。

このまま、手を繋ぎながら…


                         了

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手をつないで 幼き頃、抱いた殺意 一本杉省吾 @ipponnsugi

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