第13話
―がっこう―
翌日。
キンコーン、カンコーン…
朝のホームルーム、夕貴の姿は、教室になかった。
バタ、バタ、バタン!急いで、廊下を走る足音。そして、勢いよく、後ろ側の教室の引き戸が開けられる音が、響いていた。引き戸の前には、めちゃくちゃ焦っている夕貴の姿がある。兎の目のように、真っ赤になった瞳。朝方まで眠れず、完璧に、寝坊をしてしまった。
「おお、小野、遅刻とは、珍しいな。どうした。」
クラスメイトの注目を浴びてしまう夕貴。担任の教師の言葉に、クラス中が、軽い笑い声に包まれる。
「まァ、いい。セーフと云う事にして、早く、席に着きなさい。」
夕貴は、クラスメイトの笑い声の中、顔を真っ赤にして、自分の席に向かう。確かに、夕貴が遅刻をすると云う事は珍しい事であった。クラスメイトよりも、早く来る事はあっても、遅刻をする事はなかった。それだけ、昨晩の出来事が、夕貴の胸に突き刺さっていた。両親の離婚の事、一週間後には、京都に引っ越さなければいけない事、そして、殺人計画の事を、耕貴に、どう切り出せばいいのか悩んでいた。
とにかく、長い今日と云う日が始まった。
夕貴は、休み時間でも、極力、教室から出ようとしなかった。なぜかと云うと、耕貴と顔を合わせづらかったからだ。クラスが別である事が、今の夕貴には救いである。
自分の為に、父親の殺人計画まで、一緒になって考えてくれた。この一ヶ月半、幼い頃の様に、一緒にいてくれた耕貴に、申し訳ないと思っている。雑音の中、みんなのいる前で、頭を下げたくなかった。一対一で、お互いの顔を見て、謝りたかったのである。つまり、放課後、二人きりになる時、あの図書室で、頭を下げたいと思っている。夕貴の中で、そう決めていた。
昨晩、幼い時のアルバムを手にして、捲りながら、ある気持ちが芽生えてきた。その気持ちの変化を、ありのままに伝えようと思う。耕貴は、怒るかもしれない。しかし、わかってもらえると信じて、放課後を待つ。
キーンコーン・カーンコーン…
パン・パン・パン!担任の教師が、両手を叩く。
「ほら、早く席につく、終礼始めるよ。」
そんな担任の言葉が、教室内に響いている。日直の男女二人が、黒板の前に立ち、明日の時間割の確認、明日の注意事項。今日の反省を述べて、担任にバトンタッチする。つまらない担任の話が始まる。そんな中、夕貴は、ヤキモキしていた。
(この話が終われば、図書室や。耕ちゃん、怒るやろナ。でも、いわな。男は愛嬌、女は度胸や。逆とちゃうか。そんな事どうでもええわ。ちゃあんと言って、頭さげな)
そんな言葉を、心の中で唱えている。しかし、夕貴の中には、迷いがある。頭を下げる事は分かっているが、どう切り出せばいいのか、まとまっていなかった。
「じゃあ、日直、帰りの挨拶!」
「起立、礼、さようなら!」
『さようなら』日直の二人の号令で、<さようなら>の言葉が、教室に鳴り響く。クラスメイトがざわめく中、各々が、ランドセルを背負い、教室を後にする。そんな流れの中に、夕貴もいる。足早にも図書室に向かう。出来れば、耕貴よりも先に、図書室に居たかった。今日は、待たせるよりも、待つ立場の方でいたいと思う。その方が、スムーズに話しが運べるような気がしていた。
「夕貴ちゃん、今日は、早いやん。」
図書室のいつもの席に、夕貴の姿を見つけた耕貴。今日は、立場が逆であったので、思わず、そんな言葉を発してしまう。
「ごめん、待たせて、早速なんやけど…」
背負っているランドセルを、机の上に置いて、そんな言葉を発しながら、殺人ノートを取り出す耕貴。昨日、行き詰まっていた実行時期について、いい案が浮かんでいたのだろう。
『耕ちゃん、話しがあるの。座って…』
耕貴のランドセルに手を置いて、身を乗り出し気味に、そんな言葉で、耕貴が発した言葉を止める。下の方から、睨みつける様に、耕貴の事を見つめていた。
「言われなくても、座るけど…」
そんな夕貴の言動に、少し違和感を覚える耕貴。ゆったりとした速度で、腰掛ける。夕貴の方は、身を乗り出した身体を、元に戻し、背筋を伸ばし、深く息を吸った。
『耕ちゃん、ごめんなさい。父さんと母さんが、離婚をする事になったねん。』
息を吐き出す勢いを借りて、畳み掛ける様に、そんな言葉を口にする夕貴。
<…>深々と、頭を下げる夕貴の姿。耕貴は、一瞬、何を言っているのか分からなくなる。思いもよらない言葉に、困惑をしている。
『耕ちゃんと、一緒に練ってきた、この計画も、パぁになってもうた。ホンマに、ごめんなさい。』
続け様に、そんな言葉を口にする。言葉を止めてしまう事が、怖くなっている。
『耕ちゃん、どう話したらいいのか、昨日、帰ったら、父さんと母さんがいて、いつもは、鼾かいている筈の父さんが、座って待ってんねん。無精髭面だった父さんの髭が、綺麗な剃られていたんよ。そしたら、父さんと母さんが、並んで座って、私に言うねん。私の為にも、別れる事に決めたって…』
違和感を覚える。夕貴が喋り続ける言葉の違和感に、耕貴は気づいた。【あいつ】から、【父さん】に変わっていた。この一ヶ月半、父親の事を【あいつ】と表現していた夕貴。言葉にしている本人も、気づいていないが、【父さん】と言葉にしている。この時点で、耕貴の肩の力が抜けていた。
耕貴の瞳には、必死に、話しを続ける夕貴の姿が映っている。そんな中、突然、立ち上がり、机に手をつく耕貴。その状態で、身を乗り出して、前方に体重を掛けた。上から、夕貴を鋭い目つきで見つめていた。
<…>早口で、必死に言葉を並べていた夕貴の動きが、ピタリと止まる。耕貴は、そんな夕貴を確認すると、ゆったりと、腰を下ろした。
「夕貴ちゃん、おじさんとおばさんが、離婚すると云う事を、もうおじさんを殺さなくていいって事を言いたいんやろ。」
静かに、そんな言葉を口にする。正直、さっきまで、困惑をしていた。夕貴が、必死に言葉を発している中、もう一人の自分が、冷静に見つめていた。夕貴には、もう父親を殺そうなんて事は、考えていない事を感じ取っていた。殺す必要がなくなったわけではなくて、殺人をしたくないと云う想いが、感じ取れる。
「僕の事は、気にせんでええよ。夕貴ちゃんが、それでいいと思えば、僕は、何も言うこと出来へんよ。」
突っぱねるような口ぶりであった。耕貴自身は、そんなつもりはない。
「耕ちゃん、怒っているよね。怒っているよね、やっぱり、私が、自分勝手だよね。」
冷静に、言葉を聞いている耕貴であったが、腕を組んで、目を閉じている態度の耕貴が、どうしても、怒っているようにしか見えなかった。どうにか、今の気持ちを分かってもらえるようにと、早口になってしまう。
そんな夕貴に対して、身を乗り出して、顔を近づける耕貴。
「夕貴、この顔が、怒っているように見えるんやったら、これならどうや!」
左手の人差し指で、鼻の頭を押しつけ、右手の親指と人差し指で目尻を吊りあげる。耕貴の変顔に、目が点になり、しばらく、見続ける夕貴。
ワッハハハ…!静かにしなければいけない図書室に、夕貴の笑い声が響き渡る。
「何なん、その顔。何、耕ちゃん。はっはは!」
周りの視線など、気にならないほど、夕貴は笑っていた。そんな夕貴の笑顔を見ていると、自然と笑みがこぼれてくる耕貴。
<夕貴ちゃん>周りの視線が、散っていく。周りのことなど、気にしない夕貴に呆れているのか、そんな頃合いに、静かに口に開く。
「気にせせんといて…怒ってなんかないから…ホンマは、ホッとしているんよ。この計画が進むにつれて、完璧に近づいていく。やるなら、実行したら、どないな事になるんやろうって、ホンマは、怖かったねん。」
静かに笑みを浮かべながら、そんな言葉を口にした。耕貴にとって、この殺人計画は、どうでもよかった事かも知れない。只、夕貴と一緒にいる時間、昔みたいに,過ごせたらなんて、そんな事を思っていた。それが、たまたま、夕貴の取り巻く環境が、こうであったと云うだけの事。大それた【殺人】と云う事になってしまった。
<耕ちゃん>夕貴は、そんな耕貴の言葉を嬉しく思う。そして、これ以上は、何も言えなくなってしまう。耕貴に、もう一つ言わなくてはいけない事。一週間後、母親の実家である京都に、転校をする事を言わなくてはいけない。
<じゃぁ、行こう>そんな耕貴の言葉で、図書室を後にする。耕貴の後に着いて、正門までの道程、とても、長く感じた。喉まで、言葉は出てきている。しかし、言葉に出来ない。夕貴、耕貴の後ろ身を見つめながら、どんな事を考えていたのだろう。
「じゃあ、また、明日。」
もう、耕貴の部屋に行く必要はなくなった。正門の前で、二人は向かい合い、それ以上は、言葉を交わさなかった。何も言わず、コクリと頷くだけの夕貴。耕貴は、夕貴に背を向けて歩き出す。気持ちの中で、手を差し出していた夕貴。【振り向いて、振り向いて…!】と、心の中で叫んでいる。耕貴の姿が見えなくなるまでの短い時間。夕貴にとって、どんな長く感じられた事であろう。
真っ赤に染まる夕刻の空、哀しげに、夕貴の姿が、ポツリとある。赤いランドセルを背負い、寂しげに、帰路を歩いている。まだ、冬の寒さが身に沁みる。三月上旬の出来事であった。
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