第12話
―だんちー
季節も、三月の上旬。冬の悪あがきも、もう少しと云ったところ。夕貴と耕貴の殺人計画は、確実に、完成に近づいていていた。最近の夕貴といえば、必ず、放課後に、耕貴の家に立ち寄っていた。もちろん、計画を完璧なものにする為である。
<じゃあ、明日…>部屋の窓から、手を振る耕貴に向かって、そんな言葉を発しながら、手を振っている。耕貴の姿が見えなくなると、夕貴は駆け足になる。
<やばい、いそがな>夕貴は、帰宅をすれば、家の手伝いが待っている。強制されているわけではないが、母親の事を想うと、自分から進んで、自主的にやっている事。自然と、駆け足になってしまう。
カタ、カタ…いつもの様に、一気に、団地の階段を駆け上がる足音。
ガったん!重い鉄製の扉を閉めて、玄関に入ると、いつもとは違う空気を感じ取った。ゆったりとした動作で、台所の方に視線を向けてみると、母親の姿が瞳に映る。
「母さん、もう帰ってたん。今日は、早いんやね。」
そんな言葉を口にしながら、靴を脱いで、自分の部屋に向かい、ランドセルを机の上に置いた。
「母さん、洗濯物、取りこんじゃうね。」
そんな言葉を発して、足を居間に向けると、今度は、父親の姿が瞳に映る。一瞬にして、動きが止まってしまう。いつもは、この時間には鼾をかいている筈の父親が、目の前にいる。
<…>父親も、夕貴と目が合っているのだが、お互いに言葉を交わそうとしない。
「夕貴、今日は、洗濯物も終わっているから、いいのよ。それよりも、大事な話があるから、座って…」
母親は、どうしていいのか分からない夕貴の後方から、エプロンで手を拭きながら、そんな言葉を掛ける。
<夕貴、ここに座りぃ>父親の声を、久し振りに聞いた様な気がする。母親の温かい手が、夕貴の肩にかかる。そして、座る場所に導いてくれる。二人並び、父と母の姿が、目の前にある。こんな光景も、久し振りであった。
<あのね、夕貴…>母親が、身を乗り出して、夕貴の瞳を見つめた。手の平を、母親の前に出して、言葉を止める父親。
「俺の方から、言わしてくれ。」
<…>一瞬、何とも言えない空気が流れる。この時、いつも無精髭を生やしている父親が、綺麗に髭を剃っている事に気付く。背筋を伸ばして、話しのタイミングを計っている父親。
「夕貴、これから、話しをする事は、大事な事やから、よく聞いてほしい。」
だらしない父親の姿は、ここにはいない。堂々とした父親が、口を開いていた。
「父さんと母さん、離婚をする事にした!」
<えっ!>小学四年、十歳になろうとしている夕貴でも、(離婚)の意味ぐらいは分かっていた。この一ヶ月半、父親の殺人計画をたてて、もう少しで実行しようとしていた。母親を守るには、これしかないと信じ込んでいた。(離婚)と云う言葉が、夕貴の頭から放れなくなる。
「夕貴には、母さんと一緒に、京都に行ってもらう。父さんは、無職やし、これからの夕貴の事を考えたら、その方がええと思うんよ。」
淡々と、言葉にする父親。自分の想いを、愛娘である夕貴の瞳を見つめて、言葉にしていた。
「正直、このまま、母さんと夕貴と一緒に暮らしていたら、わしは、お前らに甘えてまう。夕貴には、これ以上、父さんの情けない姿見せたくないねん。わしの為にも、お前らの為にも、離婚する事が、いいと思うねん。」
「夕貴、あんたには、大変な思いさせるかもしれへんけど、わかってくれるよね。」
母親が、父親の気持ちを補足するかのように、そんな言葉を添える。両親の離婚と云う現実は、夕貴にとってショックではあるが、それよりも、あるもののショックの方が大きかった。
(何なん、離婚って…この二人が離婚するって事は、耕ちゃんとの計画、どないするん。意味ないやんか!)
この一カ月と半月、進めてきた父親の殺害計画ありきの言葉を、胸の内で叫ぶ。その後の両親の言葉など、全く耳に入ってこない。
両親が、熱く語っている最中、立ち上がり、部屋に戻っていく始末。唯一、頭に残っているのは、一週間後、母親の実家である京都に引っ越しをすると云う事だけ、後は何も残ってはいない。
夕貴は、夕食も食べず、ベッドの中に潜ったまま、何度か、母親が顔を見せるが、頑として、ベッドから出ようとしなかった。そして、両親が床に付いた事を、気配で察すると、ムクッと起き上がり、勉強机の灯りをつける。ベッドの脇に座りこみ、窓のカーテンに手をやり、開いてみると、でっかい満月が顔を出していた。弱々しく、淡い月光が、夕貴の部屋に差し込む。
<何で、なんでなんよ>そんな言葉を発する夕貴。涙が、溢れてくる。両親が別れる哀しさなのか、耕貴と別れてしまう寂しさなのか、夕貴自身でもわからないでいた。こんな時、大人だったら、お酒でも飲むんだろうなんて、思ったりもする。
夕貴の足が、押し入れの方に向いていた。押し入れの中から、一冊のアルバムを手にすると、灯りのついた机の椅子に、座っていた。幼い頃の自分の写真、色んな思い出が詰まったアルバムを、一枚一枚、捲っていく。
<あっ、耕ちゃんや…>三歳ぐらいの写真から、一緒に写る耕貴の姿が見え始める。
「ちっこいナぁ、お互い…耕ちゃんと、ばっかりやわぁ。」
幼い自分の写真。耕貴とのツーショットばかりであった。
「この時分は、耕ちゃんとばっか、遊んでいたんやなぁ。」
そんな言葉を口にして、少し笑みがこぼれた。
<あっ!>耕貴との写真を見つめていると、夕貴は、ある事に気付く。幼い時の写真。耕貴との写真を見つめていると、必ず、父親の身体の一部が、写っている事に気付いてしまう。子供達だけで、写真は撮れない。自分の父親であるのだから、当たり前のことである。さっきまでの涙とは違う涙が、頬を伝わり、写真の上に落ちていた。
掴まり立ちをした頃の夕貴、小さな手で、尻もちをつかない様に、必死で掴まっている父親の足。歩き始めた頃、小さい手をしっかりと握っている大きな手。お風呂の中、小さな身体を預けている大きな胸。そして、満面の笑みを浮かべている夕貴の身体を、ニコニコと笑いながら、抱き上げる父親の笑顔。
<父さん>拭っても、拭っても、溢れてくる涙。満月の明かりに照らされた部屋。自分がやろうとしていた事に、自分の愚かさに、自分の大事なものに気付いた。父親を、殺害しようと考えていた自分への、後悔と悔しさが、涙として流れてくる。そんな夕貴の姿を、月の明かりに照らされていた。
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