第25話

―樽井の浜―

三月十九日の正午。【新大阪】駅の新幹線ホームに、耕貴の姿が見える。耕貴にとって、懐かしい風景。中学、高校の修学旅行、幼き頃の家族旅行。最近では、二年前のこの時期に、大きな荷物を持って、このホームに立っていた。横浜に出てから、帰省していない耕貴は、このホームに立つのは、二年振りである。

<十二時か>慌てて、新幹線に乗り込んだ耕貴は、何の荷物も持っていない。ホームの長広い空間を歩いていると、急に気分が悪くなり、トイレに駆け込む。

ジャァー…大のトイレの水の流れる音。青白い顔の耕貴が、出てくる。手洗い場で、自分の姿を、鏡に映し出す。

「ヒドイ顔や。ドないしょ。」

今朝まで、飲んでいたのである。鏡に映った耕貴の表情が、想像できよう。

「失敗した、新幹線で、寝とけばよかったわぁ。」

香を部屋に残して、慌てて、【新横浜】に向かい、新幹線に飛び乗った。今朝まで、気づかなかった夕貴との約束。忘れてしまっていた自分を、責めていた。気が張っていたのだろう。あと先の事を、考える余裕がなかった。【新大阪】駅に着いた途端、気が抜けてしまったのか、今朝までのツケが、耕貴の身体に圧し掛かってきた。

「目も真っ赤やし、酒臭いし、最悪やな。」

鏡に映る自分の姿を、まじまじと見つめ、そんな言葉を呟く。こんな姿のまま、夕貴に会う事を考えると、気が滅入ってしまう。

「とにかく、このまま、寝たら、絶対に起きれへんし、行くしかないよな。」

考えてみれば、十年前の約束の中に、時間の指定はない。今、この時間にも、【樽井の浜】に、夕貴が来ているかも知れない。そんな事を考えていたら、くたびれた表情が、シャキっとしてきた。

<さぁ、行きますか>そんな言葉の後、両手で頬を、軽く叩き、気合いを入れる。ここ【新大阪】から【樽井】まで、二時間ほどの距離。改札に、足を向ける。夕貴も、そうであるが、耕貴も、【樽井の浜】にお互いが来ると、確信している。来ないと云う事は、考えていなかった。

<あっ!>トイレを出た所で、立ち止まり、ジーンズの後ろポケットに手を当てる。財布を取り出し、中身を確認する。

「とりあえず、ATMやな。」

そんな言葉を口にすると、歩き出す。【約束の場所】に向かって、歩を進める。心なしか、きりっとした表情を浮かべている。

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