第24話
ー京都―
トン・トン・トン…
古風の日本、京都の趣が残る京町の台所で、まな板の上で包丁を叩く音が、聞こえてくる。夕貴は、自分の部屋のベッドの上にいた。
<おばあや>ベッドの脇にある時計に視線を向けると、午前六時ちょっと前。ベッドの上に、ちょこんと座り、ボーとしていた。
<早いわ。おばあ…>訳のわからない言葉を口にすると、足が、台所に向いていた。
<おはよう、おばあ>夕貴に、背を向けて、朝食を作る小町に、声を掛ける。
「お、おはよう。夕貴ちゃん、今日は、早いんやね。」
<うん、起きてしもうた>いつもは、七時ぐらいまで、起きてこない夕貴の姿に、驚いている小町であったが、手は休めない。
「そぉね。まァ、朝御飯出来るまで、まっとき。」
そんな小町の言葉が、耳に届く。台所に立つ、祖母の後ろ身を、久し振りに目にする夕貴。幼き頃の記憶を思い出す。小学校の時、中学の時、高校の時、朝、起きてくると、いつも、台所に立つ祖母の後ろ身を目にしていた。十年、ずっと、小町の後ろ身を見てきた。そんな事を考えていると、自然に、小町の傍に、歩み寄っていた。
「おばあ、手伝うよ。」
「珍しい事、あんねんなぁ。」
二人並んで、台所に立つ。夕貴は、家事をしていなかったわけではない。学生の頃は、よく手伝っていた。高校を卒業して、就職してからは、めっきり、その回数が減っていた。
「ほな、煮干しの頭を取って、味噌汁のだし、取ってや。」
小町の指示で、水をいれた鍋を、ガスコンロに置いて、火をつける。鍋の水が、沸騰するまでの合間に、煮干しの頭を取り始める夕貴。みそ汁の具、白菜と大根を切り終えた小町は、お米を研ぎ始めていた。
「夕貴ちゃん、もうちょっと、綺麗に黒い所も取りや。」
煮干しの頭の取り方に、文句をつける小町。そんな祖母のお小言にも、懐かしさを覚える夕貴。
お湯が、沸騰してきたところに、頭を取った煮干しを入れた。しばらくして、ガスコンロの火を弱火にする。少しずつ、煮干しから出てくるだしで、淡く、お湯の色が変わっていく。火を止めて、鍋の中の煮干しを、穴開きのお玉で取り上げ、別の入れ物に入れておく。鍋のだし汁を、お玉二杯分だけ入れ物に入れ、冷やしておく。小町が、切っておいた味噌汁の具を、鍋の中に入れる夕貴。
「夕貴ちゃん、アクとるんやで…」
「おばあ、わかってるよ。」
鍋の中のアクを取り、最後に、味噌を溶かした。小町に、教えてもらった作り方。千鶴子は、だしの素などの化学調味料を使い、ひと手間を省くのであるが、小町は、それをしない。拘りと云う、大袈裟なものではないのであろうが、八十年近く生きてきた人間の、習慣的なものなのであろう。
お米を研ぎ終わる小町は、炊飯器のスイッチを入れる。
「おばあ、味噌、溶いたよ。あとは…」
「高菜と、煮干しを炒めて…」
<わかった>小町の指示に、身体がついていく。昔の手伝いが、身に沁み込んでいるのだろう。徐々に楽しくなってくる。
味噌汁の鍋を、後ろのテーブルの上に置き、フライパンを、ガスコンロの上に置いた。油を引き、タカの爪を一本割って、弱火で炒める。小町は、漬物の高菜を、まな板の上で、ざく切りにしている。もちろん、高菜の漬物は、小町がつけたものである。
「おばあ、煮干し、入れたで…」
“ザぁー!”
何も言わず、ざく切りした高菜を、軽く絞り、フライパンの中に入れる。
<混ぜといて…>小町の指示に従い、菜箸で、フライパンのものを炒め始める。味付けは、夕貴がした。少量の醤油と味醂を垂らし、胡麻油を入れて、完成する。あとは、朝食に、必ず出てくる、出汁巻き玉子。みそ汁の作る際、だし汁を覚ましておいたものに、醤油と味醂、少々の砂糖を咥えて、混ぜておく。卵五個を割り、だし汁と合わせる。長方形、玉子焼き用のフライパンを用意した夕貴。
「これは、おばあのお仕事。」
そんな言葉を口にして、出汁巻き玉子を焼く作業を、小町に任せる。菜箸を使い、器用に玉子を巻き始める小町。手際よく、二本の出し巻きを、仕上げていく小町に、小さく、手を叩いている夕貴。ヘラを使い、玉子焼きを巻く事は出来るが、小町みたいに、菜箸で巻く事は出来ない。いつ見ても、その手際の良さに感心してしまう。あとは、ご飯が炊き上がるのを待つだけである。台所に居た二人は、居間のコタツに移動する。熱いお茶を啜りながら、ご飯が、炊き上がるのを待っていた。
「そう云えば、夕貴ちゃん、会社の支度てええの。」
「フぅん、今日、有給とったんよ。」
お茶の入った湯呑みを手に取り、口に運ぶ夕貴。
「どこか、行くんか。あぁ、そうか、十九日か…いい人が、できたんのか。」
<何、ゆうているんよ>三月十九日。夕貴の誕生日に気付く小町。耕貴の約束など知らない小町は、そんな言葉を言って来る。
「休みを取るぐらいやから、デートやろ。夕貴ちゃんにも、いい人が出来て、良かった、良かった。」
勝手に、話しを進めている。
「何で、そうなんの。おばあ、勝手に、想像せんで…」
ちょっと、熱を持つ。小町の言う通り、デートと云えば、デートかもしれない。十年前に、約束したデート。
「はぁあん、だから、珍しく、早起きやったんやなぁ。緊張して、目が冴えてもうたんやろ。」
「勝手に、話し、進めんでや。デートでもないし、緊張もしていません。休み、取りたかったかったから、取っただけです。」
顔に、益々、熱を持つ。十年前の約束事で、緊張して、緊張で眠れなかったのは事実。
「夕貴ちゃん、恥ずかしい事じゃぁないんやから、夕貴ちゃんも、もう大人なんやから…」
「おばあ、そんなんとちゃうの、勝手になぁ、話しを…」
“ぴぃー!”
炊飯器が炊き上がりを、知らせる音が鳴る。
「ほな、ご飯も炊き上がったから、千鶴も起きてくるやろうから、朝御飯にしようかね。」
夕貴の話の途中で、そんな言葉を口にして、立ち上がる小町。
「ちょっと、待ってよ。おばあ、ホンマに、そんなんじゃないんやから…」
必死に、否定する勇気を無視して、朝食を、並べ始める小町。
白菜と大根の味噌汁、煮干しと高菜の胡麻油炒めに、出汁巻き玉子、白米。以上が、三月十九日の朝食になる。
「夕貴ちゃん、ちょっと、早いけど、千鶴、起こしてきて…朝御飯にしよう。あんたも、色々あるやろうから…」
「おばあ。ちゃうって…」
そんな言葉を口にするが、小町の耳には届いていない。
『もう!』
否定する事を諦めたのか、そんな言葉を口にすると、立ち上がり、千鶴子を起こしに向かう。
十年前の約束の日。寝つけないまま、迎えた朝。おもいもよらず、祖母小町と台所に立った。久し振りに、小町の手伝いをした事で、懐かしさを感じてしまう。
三時間後には、【樽井の浜】に向かう夕貴。三月十九日、二十歳の誕生日、朝の出来事であった。
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