第15話
―ほーむ・るーむ―
キンコーン・カンコーン…
「では、HRを、始めましょうか。」
金曜日の放課後、夕貴にとって、この学校の最後の授業が終わっていた。
「みんなも知っていると思うが、今日は、小野夕貴が、この学校を去る事になりました。では、最後の挨拶をしてもらおうか、夕貴さん、前に出てきてくれるかな。」
そんな担任の言葉の後、夕貴は、教壇に上がる。この一週間は、あっという間に流れいいた。耕貴とは、顔を合わせるが、なぜか、言葉を交わしていない。
「私は、明日、京都に行く事になりました。このクラスのみんなとは、約二年間、楽しく過ごしてきました…」
教壇に立ち、あらかじめ、用意していた文章を口にする。スピーチの最中も、頭の中から、耕貴の顔が離れないでいた。耕貴の瞳と合わせるだけの一週間。耕貴に話しをしなければいけない事を、今、口にしている。
この一週間は、数ヶ月前の夕貴に戻っていた。耕貴に対する気持ちを、押し殺して、明るく振る舞っていた。明日、住み慣れたこの土地を離れ、母親の実家である京都に行ってしまう。もう、耕貴と一緒の思い出は作られなくなってしまう。そんな事を考えていると、沈んでしまう自分もいた。だから、明るく振る舞う事で、耕貴との別れの悲しみを、寂しさを、誤魔化そうとしていた。
「…京都に行っても、私も、頑張りますので、みんなも、頑張ってください。」
パチ・パチ・パチ…!クラスのみんなの拍手の中、自分の席に戻っていく夕貴。そして、いつもの様に、HRの時間が流れていく。
下校時、夕貴は、幾人かの友達に囲まれていた。父親が、仕事を辞める前の風景が、広がっている。
ワイワイ、ガヤガヤ…友達との最後を、惜しんでいるのか、ジャレあう様に、正門に近づく。校門の前で、見慣れた姿が瞳に映る。耕貴である。夕貴の事を、見つめていた。何かを、言いたそうな雰囲気が漂っている。夕貴の視線も、耕貴の方に向いていた。この一瞬が、二人にとって、とても長く感じている。そのまま、言葉を交わさず、通り過ぎてしまう二人。夕貴の周りには、友達の談話が飛び交っていた。視線だけ、外さない。耕貴には、何とも云えない哀愁。夕貴の前に、立ち塞げない自分に、苛立ちさえ、感じ出ていた。とにかく、どうしようもない二人が、ここにいた。
―でんわー
その日の夕刻、夕貴は家の電話の前で、椅子に座りこみ、ジィと見つめている。かかってくる筈もない、耕貴からの電話を待っていた。耕貴と、約束したわけでない。
(もしかしたら、電話のベルが鳴るんじゃないか)そんな淡い期待を抱き、この場で、電話を見つめている。
<夕貴、荷物、まとめたんか>この一週間、父親の顔から、笑みがこぼれ落ちる回数が、数段に増えていた。自分から、夕貴に話しかけようとしなかった時期が、嘘の様に全く違う父親の姿。
<ううん、まだ、してない>夕貴も、気楽に言葉を返している。余裕と云うものが出てきたのだろう、一週間前のギスギスとした空気は、もう流れていない。
「今、しとかな、明日の朝、慌てるやろ。」
明日から、離れ離れになる親子の会話とは、思えない。父親と母親の会話もそうであった。離婚をする夫婦とは、思えない雰囲気が漂っていた。
「夕貴、あんた、どうしたの、電話と睨めっこなんかして、掛けたいところがあるんやったら、早く掛けなさい。」
脇の方から、母親も、会話に加わってくる。夕貴は、昔の雰囲気の空間を楽しんでいる様である。
<夕貴、もうすぐ、ご飯やからね>母親のそんな言葉が付いてきた。夕貴の顔から、ニコリと笑みが、こぼれ落ちた。
<はーい>無意識なのだろう、心なしか、声が明るく聞こえてくる。
<これで、いいやんな>スポーツバックに、三日分の荷物を詰め終わると、そんな言葉を、ポツリとこぼす夕貴。三畳の部屋の角には、段ボール三箱が積んである。ゆったりと、部屋の中を見渡した。ゆっくりと、視線を上下左右に移動させて、見つめている。今、詰め込んだバックを、床の上に置くと、そのまま、ベッドに身体を沈めた。
<フぅうん…>沈めた身体を仰向けにして、天井を見つめる。
「この部屋、狭すぎ!あぁ、お別れやね。」
この部屋にも、たくさんの思い出が詰まっている。この三畳の部屋、ベッドと机だけの、何もない部屋。色んな出来事があった。母親に怒られて、このベッドで顔を埋めて泣いた事。漫画を読みながら、笑い転げた事。初めて、もらったお年玉の中身を密かに見て、喜んだ事。幼稚園の入る頃まで、物置として使われていたスペース。(今日から、お前の部屋だ)父親からそんな言葉を言われて、与えられた自分だけのスペース。そんな事を考えていると、しんみりとした気分になってくる。
<あぁ、明日か>この言葉に、どんな気持ちを込めているのだろう。しばらく、ベッドの上で、仰向きになり、天井を見つめていた。頭の中に、色々な映像が流れている中、夕日が差し込みで、オレンジ色に染まった部屋が、ゆったりと暗くなっていく。
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