第20話

清涼寺の門を抜けて、京福嵐山線【嵐山】駅に向かう、三人の姿を見つける。この十年、毎年、行われているもう一つの行事。いい話しの後で悪いが、二人の年配の女性が、お腹を空かせている為の行事なのかもしれない。京懐石のお食事処に、向かっていた。

『おこしやす』和服の、母親と同じぐらいの年配の女将さんが、店先で、深々と頭を下げる。毎年の事なので、女将さんに、顔を覚えられている。

「小町様も、お元気そうで、今年も、ご予約、ありがとうございます。」

女将は,小町の身体を気遣いながら、三人を座敷に通した。ちょっとした格の高い料理屋。座敷からは、明かりに照らされた中庭が眺められる。しばらく、小町、千鶴子と世間話をした後、座敷を下がる女将の姿。その世間話の中に、夕貴が二十歳になると云う話題が入っていた。

「そや、夕貴ちゃん、二十歳になるんやなぁ。」

そんな言葉を口にする女将が、懐の袂から、小さな包みを差し出す。

「私からのほんの気持ちやから、これ、受け取ってくれやす。」

包みの大きさから云って、万年筆か、そのようなものであろう。夕貴は、予測もしない贈り物に、受け取っていいものか、どうか戸惑ってしまう。

「えっ…どうしたらええの。」

「夕貴ちゃん、おばちゃんからの気持ちやから、受け取って…」

気持ちのいい笑みを浮かべる女将さん。手を出していいのか、躊躇してしまう夕貴に、こんな言葉が届いた。

「夕貴、気持ちよく、もらっとき。ほんま、ご丁寧に、ありがとうございます。」

千鶴子が、女将さんに、深々と頭を下げている。

「ほんまに、こんな事まで、気を使ってもらって、おおきに。大事に、させてもらいます。」

続けて、小町が、丁寧な言葉を付け加えた。夕貴は、包みを受け取り、恐縮する。

「めっそうな、お礼ゆうてもらうもんとちゃいます。」

そんな女将の言葉で、年配者、三人の世間話が始まる。夕貴は、何か、不思議な感じがする。一年に一度だけしか、顔を合わさない女将さんと、呼ばれている女性。只、顔だけ、知っていると云う間柄。この店の女将と、お客と云うだけの関係なのに、突然、贈り物を貰ってしまった。十年、通っているだけに、夕貴の年齢を知っていたのだろう。もしかしたら、千鶴子と同じぐらいの年齢なので、自分の子供が、夕貴と同じ年の子供がいるのかもしれない。正直に、うれしかった。女将さんの心使いが、とても、心地よく感じている。女将さんが、座敷から下がる時、心を込めて、軽く頭を下げていた夕貴。


一時間ほどの夕卓の時間が流れ、今日のメインである食事が終わる。仲居さんが、お膳を下げていた。

「どうどした。」

「ほんに、おいしく、いただきました。」

仲居さんの、下げ間際の一言に、小町は、そんな言葉を添えて、各々が、軽く頭を下げる。

夕貴は、キチンと手を入れられた中庭と、季節感があふれる座敷との調和を、改めて感じている。ここ十年、続いているこの場でのお食事会。夕貴の場合、口にする食事内容も、全く違うものになっていた。去年あたりから、祖母小町、母千鶴子と、同じ京懐石が出てくるようになっていた。幼い頃は、お子様ランチ的なものであり、女将の気遣いで、毎年毎年、夕貴の年齢に合わせた料理内容が、夕貴の膳に、運ばれてきていた。

「夕貴ちゃんも、もう大人やなぁ。おばあ、うれしいわ。」

少しのアルコールが、小町にそんな言葉を言わせる。

「そうやね。夕貴も、もう二十歳やし、知らんうちに、私らと、同じものが、お膳に出る様になったんやね。」

「そうやで、そうや、いつの間にか、わしらと一緒や。」

千鶴子も、そんな言葉を口にしていた。二人も、各々に、この十年間の事を思い返しているのだろう。

「何よ。もう、二人とも、ちょっと、飲み過ぎとちゃう。」

照れているのであろう。そんな言葉で、雰囲気を誤魔化そうとする夕貴。四日後には、二十歳の誕生日を迎える夕貴には、感慨深いものがある。

「あっ、忘れとったわ。これ、プレゼント…」

千鶴子が、そんな言葉を急に発する。正直、夕貴は驚いた。この十年、誕生日に贈り物など、貰った記憶はない。

「えっ、何、急に…」

「これは、おばあから、おめでとう。」

千鶴子に続いて、小町からも、差し出された贈り物。熱いものが、胸の奥から、込み上げてくる。正直、裕福な家庭とは言えない。千鶴子が、働いたお金だけで、生活をしていた。誕生日を、祝ってもらった事などなかった。

「何よ。おばあまで…」

「これまで、何も、あげれんかったから、二十歳は、節目やろ。大したもんとちゃうけど…」

千鶴子は、そんな言葉を付け加えた。込み上がってくるものが、瞳に溢れ出す。返す言葉が見つからない夕貴。

「おばあも、大したこと出来んかったからな。もう、夕貴ちゃんも、大人の仲間入りするんやから、わしからのけじめ。もらってもうて…」

小町も、そんな言葉を口にする。もう、止まらない。止めようとしても、溢れてくる涙。言葉に出来ない感動が、夕貴を包む。

思い返してみれば、誕生日を祝ってくれなかった母に対して、不満はなかった。自分の家が、貧しいと云う自覚を持っていたかもしれない。考えてみれば、毎年のこのお食事会が、夕貴にとっての誕生日会だったのだろう。

家とは違う、手の入れられた中庭、古風と云える季節を感じるこの座敷。大きなケーキはないが、年に一度の大贅沢。この場所でするお食事会が、夕貴にとってのお誕生日会だった。

「ありかと。おばあ、母さん。」

「こんな事で、泣きなさんな。」

「わしまで、泣けてくるやろ。」

涙を堪える千鶴子。夕貴の涙を見て、堪え切れなくなる小町。溢れてくる涙を、止められないでいる夕貴。三者三様の姿が、この場にあった。夕貴は、幸せだと云える。幸福だと云える。夕貴の事を、こんなに想っている祖母と母が、育ってくれたのだから…


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