第21話

デザートのあんみつと抹茶を食した後、座敷を後にする三人。お食事処の玄関先。

「おおきに、また、おこしやす。」

女将さんの、少し長めの会釈で、三人を見送ってくれる。タクシーを拾える大通りの道で小町は、二人にある提案をする。

「渡月橋、渡っていかんか、タクシーは、ええ。」

タクシーを、使わないと云う事は、電車になる。渡月橋を渡ると云う事は、阪急嵐山線【嵐山】駅まで、歩く事になる。結構、長い距離を歩かなければいけない。

「大丈夫、おばあ、ちょっと飲んでいるし、結構、歩くよ。」

夕貴は、小町の身体の事が気になったのか、そんな言葉を掛ける。

「大丈夫。まだまだ、丈夫や。」

「もう、おばあちゃんのきずいが、始まったわ。」

「ええやろ、千鶴…少し、風に当たって、行きたいいんよ。」

そんな小町の要望で、散歩がてら、阪急【嵐山】駅に、向かう事にした。

大井川の河川敷を歩いていると、まだ冷たい夜風が、春の香りを運んでくる。

「もう、桜の蕾が出ている様やね。」

小町に手を貸して、歩いている千鶴子に、そんな言葉を掛ける。

「お婆ちゃん、まだまだ、桜は早いわよ。」

そんな言葉を発しながら、桜の木に目にやると、所々に、蕾が頭を出している事に気付く。

「ほんに、あら、なんでわかったん。もう、蕾が出てきとる。」

千鶴子は、半分、小町の言葉を聞き流そうとしていたが、すぐさま、訂正の言葉を入れる。小町は、自分の鼻を指差した。

「香りやよ。春の香りがしたんよ。」

こんな言葉が、何か、小馬鹿にされた様な気がした千鶴子。

「年寄りは、老い先短いから、敏感になっているとちゃうん。」

そんな皮肉を言いながらも、小町と並んで歩いている。そんな二人の姿を、後ろから眺めている夕貴。何か、温かいものを感じる。

渡月橋、元の名は、法輪寺橋と云う。朱塗の橋は、月が渡る様だと、亀山上皇が、名づけたと云う。渡月橋の上流を大井川、下流を桂川、渡月橋を境に、呼び名が変わる。

「そう云えば、ここ、昔、よく渡ったやんな。」

渡月橋の途中、千鶴子が、そんな言葉を口にした。

「千鶴、よく覚えているね。」

小町が、囁く様に、視線を千鶴子に向ける。

「当たり前やろ。兄さんに姉さん、父さんと、家族で渡ったよね。懐かしいわ。」

「毎年、清涼さんにいっとったからね。そう云えば、小さい時、千鶴は、よう泣きよった。」

千鶴子と小町の思い出話が始まる。

「泣いてないわ。あれは、兄さんと姉ちゃんが…」

「いや、泣いていたで、いつもわしの膝に、顔を埋めとった。」

千鶴子は末っ子と云う事もあり、兄や姉と遊ぶ時は、玩具にされる。必ず、一日に一回は、小町の腕の中で、大泣きをしていた。

「千鶴は、負けん気が強くて、お兄ちゃんやお姉ちゃんがやる事、出来んもせんのに、出来ると思い込んで、無茶ばっかしよった。喧嘩になると、負けるのをわかってんのに、何回も、何回も、向かっていとったもんな。悔しかったんやろな。」

そんな小町の言葉に、顔をしかめて聞いている。千鶴子は、自分から、思い出話を、振ってしまった事に後悔をしている。

「嫌やわ。お婆ちゃん、夕貴の前で、恥ずかしいやん。」

二人の後ろを歩いている夕貴を、チラ見しながら、そんな言葉を口にする千鶴子。

「二十歳になる娘の前で、恥ずかしいわ。イケズせんといて、お婆ちゃん。」

そんな言葉を発して、軽く笑い声を上げる。渡月橋を渡り切り、前の二人の足向きは、法輪寺の方に向いていた。中之島公園を通り、駅の向かうのか、最短距離だと思われるが、あえて、遠回りの道筋を選んでいた。祖母と母の共通の思い出が残るこの場所を、散策してみたくなったのだろうし、初春と云う季節を満喫したがったのだろう。

「まさか、末っ子の千鶴が、今、わしと一緒におるとはね。」

【嵐山】駅が近づいてくる。そんな時、小町が、千鶴子にこんな言葉を掛けていた。

<何、言うてんの>何を思ったのか、小町の言葉を、軽く流そうとする千鶴子。

「父さんが、逝ってもうて、千鶴子と夕貴と、こうやって暮らすとは、思わんかった。」

「何よ。私らとじゃ、不満だっていうの。私が、出戻りやから、不満なん。」

流そうとするが、軽く怒りを覚えた千鶴子が、こんな言葉を口にする。

「いや、その反対じゃよ。お兄ちゃんが、家を出ていってもうて、お姉ちゃんが嫁に行って、千鶴、あんたも嫁に行った。父さんと、ゆっくりと、暮らしていくつもりやったのに、あの人は、すぐに逝ってもうた。」

<…>千鶴子は小町が言おうとする事を理解する。歩く歩幅を、小町に合わせながら、黙って、小町の話に耳を傾けた。

「ああ、わしも、一人なってもうたと、思っていた矢先に、千鶴、お前が出戻ってきた。ほんに、あの人の後を追いかけてもええなぁと、思っていたのに、お前が、夕貴を連れて、出戻ってもうた。」

千鶴子に対して、ちょっとした皮肉も込めている。

「夕貴も、まだ幼かったしなぁ。千鶴、お前には、働きに行ってもらわんとあかんし…のんびり、生きて行こうと思っとのに…夕貴の世話はわしがせなあかんし…老体の身には、しんどかったわ。あの人が逝ってもうた時、わしの役目も、もう終わったと思った。でも、終わってなかったやなぁ。千鶴と夕貴が、ここにおると云う事は、まだ、役目は終わとらんかったんやなぁ。」

言葉の節々に、皮肉も込められているが、隣を歩いている千鶴子にも、二人の後ろを歩く夕貴にも、祖母小町の気持ちが伝わっていた。

「お婆ちゃん、何、しんみりした事ゆうてんの。しゃちもない事、言わんといて…。」

千鶴子は、そんな言葉を口にする事が、精一杯であった。

小町は、今こうして、三人で居る事が、うれしいのだろうし、楽しいのであろう。連れ合いが他界して、孤独になった時、出戻りではあるが、娘が孫を連れて、帰ってきてくれた事に、感謝をしていた。

「夕貴ちゃんが、大人になった姿を見れて、終わっていた人生を、もう一度、体験させてもろうて、忙しなかったけど、しんどかったけど、楽しませてもろうた。おおきに。」

別に、跡取りを取らなければいけない、大それた家系ではない。昔から、京都に、住まいを構えているだけの小市民である。バラバラになった子供達が、それぞれに幸せを見つけてくれれば、いいと思っていた小町。京都と云う土地にこだわらず、生きてくれればいいと思っていた。毎年、足を運んでいたこの場所、三月十五日には、京都にいるかぎり、千鶴子は足を運んでくれるだろう。もしかしたら、夕貴も、続けてくれるかもしれない。そんな思いが、小町に、こんな言葉を言わしていた。

夕貴は、清涼寺での、小町の言葉を思い出す。

“~続けていく、残していくと云う意って~”

真っ赤に、燃え上がる大松明を前にして、言葉にした小町を思い返してみる。小町にとって、母千鶴子が、夕貴を連れてきた戻ってきた事が、思いもよらない(幸福)と云う意味だったのだ。老体の身で、夕貴の世話をする。見守ると云う事は、疲れると云う事で、辛くはなかったのだ。夕貴は、そんな事を考えながら、目の前の親子を見つめていた。

(いいなぁ)と云う感情が、芽生え始める。理想の親子像を見つめていた。

「お婆ちゃん、しようもない事、言ってないで、駅、見えてきたから、急ぐで…」

千鶴子は、駅の看板を目にすると、照れ隠しに、そんな言葉を口にする。

「お婆ちゃんには、もうちょっと、長生きしてもらわな。今まで、苦労かけた分、返さなあかんし…」

正面を向いたまま、そんな言葉を口にする。

「千鶴、わしは、まだ死なんで、あんたに、親孝行してもらうまでは、死られん!」

「もう、ええわ。」

阪急【嵐山】駅を目の前にして、普段の二人に戻っていく。仲がいいのか、悪いのか、理想の親子なのか、そうではないのかは、夕貴の胸の内にある。とにかく、二十歳の誕生日を前にした、三月十五日、初春。夕貴にとって、今まで、お世話になった祖母と母の、ちょっとした一面を見れた出来事。もうすぐ、桜の蕾が、次々と頭を出し始める。

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