第10話

―京都―

梅見月、陰暦で、二月の事を云うらしいが、ここはあえて、この言葉を使いたい。二月二十五日、【菜種御供】北野梅花祭とも云う。北野天満宮での祭礼である。夕貴は、高校卒業後、西陣織の問屋に就職した事もあり、この祭礼に参加していた。

(西陣の帯の売り行き 梅花祭)この句は(星島野風)が詠んだもので、この梅花祭の賑わいで、西陣織の景気が左右されると、詠んでいる句である。

<では、お先です>今日の仕事も終えて、会社を後にする。昼間に訪ねた【北野天満宮】に、足が向いていた。友人の紀代美と、待ち合わせをしている。京福北野線で、北野白梅町に向かっていた。

「今年も、梅の季節が来ましたねぇ。」

道端を歩いていると、思わず、そんな言葉を発してしまう。夕貴は、季節の中で、この梅見月が、一番好きであった。夏の油照り、冬の底冷え、と云われる京都の風土の中で、耐えて、耐え抜いた冬の時期から、やっと、春の兆しが出始める梅見月が、大好きなのである。京都に来てからの、この十年。毎年、この梅祭には、足を運んでいた。会社から、二十分足らずの京都観光。千二百年の古都、街の風景そのものが、味わいのある、素敵な街であった。

<夕貴、待った>白梅町駅前、友人の紀代美を待つ夕貴の耳に、そんな言葉が届く。

「遅いやん、さむぅて、堪らんかったわ。」

「ごめん、バイトで、遅くなってもうた。かんにんな。」

紀代美とは、もう、十年来の友人なる。京都に引っ越して、初めて友人。紀代美とは、小、中と、同じ学校に通っていた。高校は違ったが、一緒に遊ぶ親しい友人である。

「そんなに、怒らんといてなぁ…夕ご飯、おごるから…」

紀代美は、大学の二回生。社会人と、学生では、時間が合わなくなりがちであるが、お互いに、時間を合わせて、遊ぶのであるから、それだけ、気が合うのであろう。

「そんなら、ええわ。おもっきり、高いもんにしたろ。遅刻した、罰に…」

「夕貴、また、そんなイケズ、ゆうて…8そんな事よりも、はよ、梅、見にいこ。」

話題を逸らして、夕貴の背中を押しながら、北野天満宮に向かう二人。

北野天満宮の祭神、菅原道真は、梅を愛した人で伝わっている。(東風、吹かば匂ひおこせよ梅の花・あるじなしとて、春な忘れそ)と、詩を残している。大宰府(福岡)に、流される前に、住居であった紅梅殿の庭に咲く、梅を想っての詩とされている。そんな詩の事など、知っているのか。夕貴達は、鳥居の前で、一礼をして、社内に入っていく。

「まだ、満開とは、いかんね。」

紀代美は、そんな言葉を口にして、梅見をしている。まだ、蕾が多い梅の木をゆったり、じっくり見て回る二人。周りには、合格祈願であろう学生達の姿も、チラチラと目につく。

「私は、これ位の時が、ええわ。何か、情緒がある。」

露店が並ぶ、社道に入っていく。冬の寒さに耐え、花を咲かせようとする蕾達。古風を感じる歴史に、酔っている夕貴。

「ええな、この感じ…上手く言えへんけど、落ち着くわ。ここに来ると…」

「そうやね。天神さんって、お腹、空いてきたわ。」

紀代美は、車道に並ぶ露店に、目が行っている様である。色気より、食い気とは、よく言ったもの。

「紀代、あんたは、難儀な子やね。」

夕貴は、そんな言葉を口にしながら、笑みを浮かべている。

「紀代、ほな、お参りして、上七軒にでも、行こうか。」

「そうやね。それがええわ。はよ、行こう。夕貴。」

紀代美は、そんな言葉を口にすると、足早になっていく。夕貴は、そんな紀美代の後ろ身を、呆れ顔で笑みを浮かべている。二人は、お参りを済ました後、鳥居の斜め前で、一礼をして、北野天満宮を後にした。

上七軒は、北野天満宮を収蔵する際、余った建材で、七軒の水茶屋を建てた事が、始まりである。京都でも、最も古い色町であった。現在は、老舗の茶屋、スィーツなどのカフェ、和洋中のお食事処が、建ち並ぶ町になっている。

夕貴と紀代美は、京都の街並みらしい雰囲気の中から、ハンバーグを目当てに、洋の店に入っていく。

(少々、お待ちください)

和服を着た店員さんが、そんな言葉を掛けて、下がっていく。

「早く、来ないかなぁ。お腹が空いて、背中の皮とお腹の皮が、くっつきそうやわ。」

「紀代は、イラチやね。今、頼んだばかりやないの。」

「そやかて、しゃぁないやん。我慢出来へんのやから…」

若い二人が、店内で、そんな会話をしながら、盛り上がっている。細い路地の奥にある元お茶屋を、内装も、そんなにいじってはいない洋食の店。日本らしく、京都を感じさせる、店内になっていた。

「あっ、そうや、夕貴の誕生日、もうすぐやね。」

夕貴は、【誕生日】と云う言葉に、反応してしまう。十年前から、密かに、想い続けていた事が、頭に浮かぶ。

「後、一カ月で、彼氏作らへんと、私みたいに、寂しいバースデーになってまうよ。」

紀代美は、続け様に、そんな言葉を口にする。十年前の約束事が、頭にある夕貴は、何も言葉を返せず、聞き手になるしかなかった。

「夕貴、奥手やもん。覚えとる。高校の時の和馬君。女の子から、結構人気あったんよ。告白されといて、勿体ない…わかってんの、夕貴。」

いつもの紀代美のマシンガントークが始まる。料理が、運ばれてくるまでの時間潰しなのだろう。聞き手に、徹する夕貴の姿が見える。

「そうや、まだ、スカタンな事、信じているじゃ、ないやろね。」

<えっ!>

「えっ、じゃなくして、誰だったけ、あの、引っ越してくる前の小学校の、何々君の事。」

<…>紀代美は、またまた、言葉を何も言えなくなる。紀代美は、昔、夕貴から聞いていた、耕貴との約束事。

少し、目を丸くする夕貴の表情を目にした紀代美は、身を乗り出して、顔を近づけてしまう。

「もしかして、まだ、信じているとかないやろね。十年前の約束なんて、小学生の約束なんて、誰も、覚えているわけないやろ。」

紀代美は、言葉を止めて、夕貴の様子を見てみる。何か、言いたそうな夕貴に対して、こんな言葉をぶつけていた。

「ホンマ、あんだらやね、夕貴は…そんな夢みたいな事、考えていたら、いつまでたっても、彼氏ってもん、出来へんで…まだ、子供やな。」

「子供でもええ。耕ちゃんは、絶対、来てくれるもん。」

さすがに、我慢できなくなったのか、夕貴は、言葉を発してしまう。紀代美も、負けじと、言葉を並べる。

「夕貴の云う通り、十年前は、とても、優しくて、いい子だったのかもしれへんよ。十年やよ。十年経ってんよ。夕貴も、二十歳になるんよ。十年経てば、人なんて変わるんよ。そんな夢物語を、信じていたら、前なんか、進めへん。」

紀代美は、夕貴の事を、親友だと思っている。夕貴が、転校をしてきてから、ずっと、夕貴の事を見てきた。話しが合って、気が合って、この十年、友人として付き合ってきたからこそ、夕貴の事に、親身になってしまう。お互いのいい所も、悪い所も知っている。たくさんの喧嘩もして、同じ時間を共有したから、心配で仕方がないのである。夕貴の性格を知っているから、あえてこんな言葉を口にする。

「夕貴、ほな、来んなかったら。どないするん。あんたの事やから、落ち込むやろね。きれいな夢を見るのもええよ。その耕ちゃんって奴が、約束の場所に、こうへんかったら…思い出は、思い出なんよ。わかる、昔には、もう戻れへんのよ。」

夕貴と紀代美が、共有する記憶の中に、(いじめ)と云う言葉がある。夕貴が、京都に来て、間もない頃。転校生にありがちな(いじめられる)と云う事が合った。母子家庭と云うのも、原因の一つだったのかもしれない。転校をして、一カ月ぐらいは、うまくいっていたのであるが、人間は慣れてくると、気が抜けるもの。ちょっとした事で、夕貴は、クラスのみんなから、仲間外れにされた時期がある。あの時の苦い思い出。そんな時の夕貴を見ていたから、紀代美は、力強く、キツイ言葉をぶつけていた。

「来るよ。耕貴は、耕ちゃんは、絶対に、来てくれる!」

「夕貴、あんな…」

(お待たせしました)

耕貴が来ると、言い切る夕貴に、続けて、ものを言おうとするタイミングに、和服の店員が、注文をしたハンバーグが運ばれて来た。紀代美の言葉が止まる。二人の目の前に、厚い鉄板の上においしそうなハンバーグと、白い皿に盛られたご飯が、並べられる。

「さぁ、食べようよ。とても、おいしそう…」

和服の店員が下がり、夕貴が発した言葉。このタイミングで、言い足りなく、不満そうな表情を浮かべる紀代美。

「ありがとうね、紀代。心配してくれて…でも、この約束は、信じたいの。だから、食べよ。紀代のおごりだから…」

こんな言葉を、口にする。苦笑いをする紀代美は、これ以上、何も言えなくなる。納得はいっていない様だが、目の前のハンバーグに、箸を入れた。

梅見月の終旬。梅の花を見に行った夕刻。ゆったりと時間が流れ、春の香が近づいている京の都。二十歳を目の前にした、夕貴の出来事。

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