第4話

―こうきのへや―

 ギィ、ギぃ、ギィイ!耕貴が、部屋のカーテンを閉める。半年ぐらい振りだろうか、この部屋は、団地住まいの夕貴にとって、憧れの一人部屋。一軒家に住む子供の特権である。夕貴にも、自分の部屋と云うものがあるのだが、玄関横の三畳のスペースに、ベッドと机があるだけの、お粗末なもの。ちなみに仕切りは、ドアではなく、カーテンであった。

 耕貴の部屋には、夕貴が憧れているものが、全てある。自分専用のTV、エアコン、ラジカセ。八畳ほどの広さで、仕切りは、もちろんドアである。自分のプライベートと云うものが、ここにはあった。

 太陽の光を遮り、真剣な顔で、夕貴に近寄る耕貴。思わず、身構え、目を閉じてしまう。

 「色々、考えたんよ。夕貴ちゃんが、なんで悲しい顔をするのか、泣いたりする原因は…」

 言葉を丁寧に発している耕貴。目を開けて正面を見てみると、耕貴の姿はなく、机の椅子に座っていた。

 「…おじさんって事やろ。おじさんがおるから、夕貴ちゃんは、泣いたりするわけよ。だから。その原因が居なくなれば…」

 そんな言葉を続けて、口にする。確かに、今の夕貴には、父親と云う存在は必要がない。働きにも行かず、毎日、毎日、昼間っから、酒をか喰らっている様な父親なんて、いらない。

 「そうだよ。耕ちゃんの言う通り、あのクソ親父さえいなければ…」

 顔をしかめ、吐き捨てる様に、そんな言葉を口にする。そして、耕貴は、この夕貴の言葉を待っていた。今、考えている事は、独りよがりでは、行動に移せない。

 「そうやねん、夕貴を悲しませている、その父親に、死んでもらえばいいんよ。」

 耕貴の口から、とんでもない言葉が出てくる。自分の耳を疑う夕貴。耕貴は、(殺人)をしようと云うのである。思いがけない耕貴の言葉に、大声を出してしまう。

 「えっ、何言ってんの!」

 夕貴の返しの言葉。当たり前であろう。憎くても、死んでしまえばいいと思っていても、父親は、父親。その父親を、殺そうと云うのである。

 耕貴は、今日一日、真剣に考えた。夕貴の笑顔を取り戻す為には、どうすればいいのか。夕貴の家族が、今のように荒れ始めた理由は、言葉を濁したまま、聞いてはいないが、何となくではあるが、わかっていた。母親の話し、夕貴を取り囲む環境。いつも、夕貴の事を見ていた耕貴には、なぜ、笑わなくなったのか、おのずと、わかってしまう。失業中のおじさん、あの人が居なくなれば、全てがうまくいく。そう思い込む。人を殺すと云う殺意にも似た、感情が芽生え始めていた。

 「耕ちゃん、あいつを、殺そうと言うの。」

 力強く頷くと、立ち上がり、夕貴に歩み寄る。夕貴の両手を、力強く握り締め、真剣な眼で、見つめてくる。

 「夕貴ちゃん、僕なぁ、もう、夕貴ちゃんの悲しい顔、苦しんでいる顔、見たくないねん。夕貴ちゃんは、ずっと、笑っていてほしい。その為なら、僕は、何でもする。」

 耕貴の真剣な眼差し。夕貴の両手を握り締める手から、耕貴の本気度が伝わってくる。しかし、事が事だけに、どんな顔をしていいのか、どんな言葉を返していいのか、わからない。耕貴の言葉には、嘘偽りはない。自分の為に、真剣に考えて、【殺人】と云う言葉を口に出したのだろう。正直、気持ちは嬉しい。でも、自分の父親を殺そうと云うのである。戸惑うのも当たり前である。

 「戸惑うのは分かる。僕は、とんでもない事を言っている。でも、よく考えてみて、何で、夕貴ちゃんが、苦しまなあかんの。夕貴ちゃんは、何も、悪い事しとらんやろ。」

 何か、興奮しているように見える。こんな言葉を続けた。

 「この計画は、まだ、漠然としたものやし、僕一人ではできない。夕貴ちゃんの協力が必要なんよ。やるからには、もちろん、完全殺人にしなきゃあかん。それには、行動に起こす時期、方法なんか、二人で話しあわなぁ。」

 頭の中で、【殺人】と云う言葉を繰り返し、こだまさせている。

 「最終的な結論は、夕貴ちゃんに任せるよ。よく考えてみて、僕は、夕貴ちゃんの味方やから…」

 そんな言葉を最後に、耕貴は立ち上がる。独りよがりな事を言っている耕貴。【殺人】と云う言葉を口にした自分に酔っているのか、とにかく、興奮していた。

 夕貴に背を向けて、閉めていたカーテンに手をかけ、自分の部屋に、太陽の光を入れてやる。そして、二人は、言葉を交わさないまま、時間が流れていた。

 「耕ちゃん。私、そろそろ、いぬね。」

 沈黙の時間、夕貴のそんな言葉が、部屋に響いている。そろそろ家に帰らねばいけない、夕刻の時間。耕貴は、片手を上げるだけで、言葉を発しようとしない。夕貴は、そのまま、部屋を出て行った。

 赤いランドセルを背にして、帰り道をトボトボと歩いている。耕貴の想像すらしていなかった(殺人)と云う言葉が、頭から離れない。耕貴の家から、十分足らずの道。元気のない赤いランドセルが歩いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る