第三十一話 赤は燃える生命の色。

 強い風が吹いて、ゴンドラがぐらぐらと揺れた。スピーカーからは、すぐに復旧するので落ち着いて下さいとアナウンスが流れ続けている。何度も繰り返される言葉が逆に焦りを感じさせて怖い。


 下を向いてはいけない。そう思って天井を見上げると、今度は天窓から覗く青い空が気になってくる。くらりとめまいがした時、シュゼンが隣へと座って少年は向かいの席に瞬間移動した。


「響歌、大丈夫か?」

 シュゼンに肩を抱かれて、手放しそうだった意識を取り戻す。

「あ、ありがと。だ、大丈夫」

 ゴンドラがぴたりと止まって揺れなくなったのは、シュゼンが力を使っているらしい。


『高所恐怖症を克服せぬと、龍神の嫁は務まらぬぞ』

「嫁として、十分以上に務めてくれています。これ以上の戯れはお止め下さい」

 向かいの席に座って、にやにやと笑う少年にシュゼンが強く言い放つ。鋭い声と表情で、シュゼンが完全に怒っているのがわかった。


『ほうほう。お前も随分と感情が増えたな。嫁取りをするまでは、我が何をしても感情を動かさなかっただろう? これでは彼奴あやつに消されるのではないかと思うておったが、杞憂だったようだな』

 少年が彼奴と呼ぶのは、ナマズ神のことだろうか。


「これも試験だと仰るのですか?」

『いいや。我の趣味だ』

「良い趣味とは思えません」

 シュゼンの怒りはまだ収まらず、その瞳が赤みを増していく。赤い瞳は怒りの色であり、力強く燃える生命の色でもある。常に優しく穏やかに微笑むシュゼンが内包する本当の力の強さを感じて、どきりと胸が高鳴った。


『そう怒るな。乱神になるぞ。…………女、我が悪かった』

 少年が私に向かって謝罪を口にすると、シュゼンの怒りがすっと引いたことを感じた。シュゼンの揺れる視線が戸惑いの感情を示している。


『……お前……我が謝ることが、それ程動揺することか?』

「はい」

 少年はシュゼンの前で謝罪したことがないのかもしれない。シュゼンが力強く肯定し、今度は少年が視線を揺らす。少年がシュゼンを新神ではなく、お前と呼んでいることに気が付いた。


 ゴンドラがゆっくりと降り始め、ぐらりとゴンドラが傾く。

「あ!」

 咄嗟にシュゼンに抱き着くと、シュゼンの頬が赤く染まるから恥ずかしくなる。シュゼンの腕が私を抱き締めた。


「えー、えっと。離れなきゃ」

「もう少しだけ……」

 心臓が爆発しそうなくらいに鼓動が早い。恥ずかしくて頬をシュゼンの胸に当てると、シュゼンの心臓の音も早くてどきどきしてしまう。


 風でゴンドラが揺れると、抱き締めるシュゼンの腕の力が強くなる。見上げたシュゼンの瞳は赤くなっていて、このまま離してくれなかったらどうしようなんて考えた時、至近距離での視線に気が付いた。


『我のことは気にせず、さぁ、続きを!』

 きらきらと目を輝かせる少年と視線がばっちり合って、頭が急速冷凍。シュゼンの胸を押し、向かい側の座席へと移る。シュゼンが寂しそうな顔をしていても、ここは心を鬼にしなければ。


 またもや少年が私の膝の上に座ってご満悦。ゆるゆると降り場に到着して、ようやく観覧車から脱出できた。


 観覧車の周囲はレトロなミニ遊園地が広がっている。

『よし、次はあれだ!』

 少年は次々と遊具を指さし、三人で一緒に乘るを繰り返す。ティーカップでは少年と私が酔ってふらふらになったのを、シュゼンが介抱。


 小さなジェットコースターで絶叫し、少年が運転するゴーカートに乗せられて、その卓越したハンドルさばきに感心する。合間に夢カワイイ色の綿あめや、ソフトクリームを食べて口元を汚す少年の口をハンカチで拭いたりと忙しい。


 幼い少年に求められるまま、手を繋いではっとした。これでは完全にシュゼンが父親で私が母親の三人家族の姿にしか見えない。


 一通りの遊具を堪能すると、空は夕焼けに染まり始めた。三人で沈む夕日を眺めていると屋上のライトが次々と点灯して周囲の闇と切り離され、昼間とは違った煌びやかで眩しい空間へと変化していく。子供連れの人々は減り、カップルの姿が目立つ。

 

『ふむ。今日は楽しかった。礼を言うぞ。では、またな』

 白髪に赤い髪へと変化した少年は、口の片端を上げ、意味深な笑顔を残して消えた。


 後に残されたシュゼンと二人、ベンチに座って宵闇へと移る空を見上げる。初デートは、よくわからないままに終わってしまった。


「響歌、今度は二人きりで出掛けよう」

 誰にも邪魔されないように。私の耳元で囁いたシュゼンに、私は笑顔で頷いた。  

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