第六話 黄金の鯉は麒麟です。

 夏の空はぎらぎらと熱くて、洗濯物もすぐ乾きそうで嬉しい。一週間分の洗濯物をベランダに干していると、からからと隣の窓が開く音がした。シュゼンは何をしているのかと、ふと気になる。


 隣に越して来たのが二日前。当日はピザとビールで宴会の後、昨日は朝の挨拶を交わしただけで、一日中気配が無かった。ヨウゼンはさらに隣の部屋なので気配も何もわからない。


 隣りから、ぴしゃりと水音がして、ばしゃばしゃと魚が暴れているような雰囲気。どうしようかなと迷いつつ、そっと身を乗り出して覗き込む。


「……シュゼン? 何してるの?」

「響歌、おはよう」

 ほんわかと微笑まれると、どきりとするからやめて欲しい。私は推し一筋の女。


 Tシャツにジーンズという、ごく普通のカジュアルな姿が似合う龍神にめまいがしそうで困る。美形は何を着ても美形なのだと痛感する。


 その手に持った木製のタライの中から乗り出した大きな金色の鯉が私をじっと見つめているのは、気にしてはいけないかもしれない。


『おい。お前が龍神の嫁か』

「違います」

 鯉がしゃべった。即座に返答すると、鯉が胸びれでタライのふちを叩きながら笑い始める。


『いーひひひひっ。おい、龍神。お前の情けないウワサは本当だったのか』

「何そのウワサって」


「あ、えーっと、何でもないから気にしないで欲しい」

 少々焦るような口調でシュゼンが言うと、増々気になってくる。


『新たに誕生した龍神が、嫁に逃げられそうになっているというウワサだ』

 実際は逃げられそうではなくて、逃げてきた訳だけれども。ちりりとした罪悪感と同時に、笑い続ける鯉の態度にムカついてきた。


「シュゼン、その鯉、食べるの? 刺身? それともから揚げ? 煮つけもいいんじゃないかな」

『はぁっ!? お、お前、俺を誰だと思ってる?』

 笑い転げていた鯉の動きがぴたりと止まった。ぎろりと睨まれても、鯉は鯉。


「何って、鯉でしょ。錦鯉とはちょっと違うみたいだけど」

 金色と言っても、金属のような色。明らかに錦鯉ではない。


『俺様は麒麟だ。瑞兆をもたらす稀有な存在だ』

 タライの中の鯉がふんぞり返っても、それは滑稽でしかなく。

「キリンって、あの首の長いアフリカにいる動物?」

『ちがーう! お前、俺を馬鹿にしているのか?』

 ばしばしと尾びれでタライの縁を叩く度に、苦笑するシュゼンへ水しぶきが掛かるものの、流石龍神というべきか、撥水加工されたように水滴が丸くなって転がり落ちていくからノーダメージ。


「突然この姿になってしまったそうだ。……私が神の資格を受け、色を失った日だ」

「それって一カ月半くらい前の話でしょ? 何か関係あるの?」


『他の理由を探したが、何も見つからなかった。だから何か関係があるのではないかと思ったから龍神を呼んだ。そうしたら屋敷ではなく、人界に連れて来られた!』

 叫びながら憤慨しているけれど、それは押し掛けというものではないのだろうか。


「ふーん。で、何でベランダに?」

『日の光を浴びる為だ! 人界は光が弱すぎるからな。日光浴が必要だ』


「シュゼン、そうなの?」

 もう記憶の彼方に過ぎ去ろうとしている異世界の太陽はもっと弱かったような気がする。 

「ああ。日の光の眩しさは、光が内包する力の強さと同等ではない」


「体調とか、大丈夫?」

 何となく異世界とは雰囲気が違うと感じていた。言葉にはできない何かが違う。神々しさというか、清らかさが薄くなっていると思う。それが太陽の光の強さだとしたら、ここにいるべきではない。


「心配してくれてありがとう。こちらの世界に合わせる為に、少々神気を抑えているだけだ」 

「抑えるって……無理はしてない? 力を使うんでしょう?」


『逆だぞ。常に発する神気を抑えれば、それだけ神力を蓄えておける。神が人界に降りて人に紛れるのは、神格を上げる為の修行でもある。……何だ。嫁に逃げられそうという訳ではないのか。おもしろくないな』

 鯉が胸びれで頬杖をつき、うんざりとした顔で言う。


 シュゼンはタライをベランダの床に置き、鯉は白いお腹を空に向けてひっくり返って日光浴を楽しんでいる。

「その麒麟、元に戻れるの?」

「これから、原因を探ることになる。響歌、手伝ってくれないか?」


「いいけど……私なんかで役に立つ?」

 何の特技もないのに。そんな疑問は飲み込んで、私は承諾することにした。

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