第七話 龍神様の珈琲は特別です。
洗濯物を干してから、私は隣のシュゼンの部屋へと向かった。今日はゲームの総合イベントに行くつもりで半年前から準備していたのに、その予定はサ終と同時に消えている。
年に一度、都心の展示場で行われるイベントは、様々なゲーム会社が集まって新作ゲームのお披露目、現行ゲームの声優や、制作陣のインタビュー、物販等々が行われる。今年は推しのゲーム会社のスペースは無くなり、他のゲーム会社がスペースを広げていた。
インターホンを鳴らす前にシュゼンが扉を開いた。
「響歌、よく来てくれた」
だからその微笑みが、きゅんとくるからやめて欲しい。私は推し一筋の女。
「シュゼン、おはよ。もしかして、昨日はさっきの麒麟の相手してたの?」
麒麟は龍神を呼び出したと言っていた。昨日は、私が出勤する時に挨拶を交わしただけ。
「ああ。呼び出しを受けた」
「そういえば、ヨウゼンは?」
一昨日の宴会が終わってから、顔を見ていない。
「今日は何かゲームのイベントを見てくると言っていた。昨日から徹夜で入場列に並んでいる」
「え? もしかして?」
確認すると、それは私が行く予定だったイベント。一体何しにいったのか。
「こちらに来る準備をしている間に、ぞんびという物の怪を倒すゲームが気に入ったらしい」
「あ、そ、そうなんだ……ゾンビね……」
生きた死体を倒すゲームは、たくさんあってどれかわからないものの、何社かは参加していたと記憶している。ゲームをしていたから、私の推しゲーが終了したことも理解が早かったのか。
部屋に入ると、ふわりと珈琲の香り。白いキッチンボードに置かれた珈琲メーカーから漂ってきている。
「龍神様も珈琲って飲むのね……」
日本の神様なのにと何となく考えた所で、そういえばショートケーキを食べていたかと思い出す。ビールも飲んでいたし、ピザも食べていた。
「一緒に飲まないか?」
頬を微かに赤らめて、はにかむような顔で言われてしまうと反射的に頷いてしまう。
シュゼンはキッチンボードの扉を開けて、真新しい白いマグカップを二つ取り出した。見るからにお揃いのカップに珈琲が注がれる。
「砂糖は?」
「二杯」
私が答えるとシュゼンの手に砂糖壺が現れた。中身の砂糖は薄い茶色。
「これは沖縄産のサトウキビで出来た無漂白の砂糖だ。ミルクは? 生クリームもある」
「ミルクたっぷりでお願いします」
砂糖壺は消え、今度は牛乳が入ったガラス瓶が現れる。
「これは北海道産。珈琲の温度が下がらないように温めよう」
瓶の中、牛乳が一瞬で沸いたのが見えた。熱い湯気が出ているガラス瓶からマグカップに注がれると、珈琲が渦を巻いて混ざった。
「どうぞ」
微笑む龍神が淹れた珈琲。この特別感が凄まじい。差し出されたカップが眩しく輝いているような気がする。
「あ、ありがとうございます」
ソファで二人並んで珈琲を楽しむ。夏の朝とはいえ、居心地の良い温度の部屋で飲む熱い珈琲は最高過ぎた。
「あ、あの……麒麟の件は?」
なんだかほわほわとした空気の中では、この部屋に来た目的を忘れそう。そう思って口にした途端、シュゼンがはっと何かに気が付いた。
「そうだ。幸せ過ぎて、すっかり忘れていた」
忘れていたのか。その言葉はちょっと恥ずかしい。
「私が色を失くすことと、麒麟の姿が奪われたことは無関係だとは思うが、ほぼ同じ時間だったということが気にはなっている」
「姿が奪われたって、どういうこと?」
「姿を変化させられた場合、元の姿の記憶がその体に残っているから神気を使って再現できる。ところが、あの麒麟には残っていない。何らかの理由で元の姿を完全に奪われたことによって、記憶に強く残っていた姿になったということだろう」
「その姿が鯉なのね」
「……好物だそうだ」
口に含んだ珈琲を噴きかけた。よりによって、自分が食べている物の姿に変化するなんて。
「あの麒麟は、食い意地張ってるってことね。……姿を奪った相手を探すの?」
「ああ。一緒に異界に行ってもらえないか?」
「ん。今日、暇だからいいわよ」
部屋で参加できなかったイベントを思ってうだうだとしているよりは、きっと気がまぎれる。私は、マグカップに残っていた珈琲を飲み干した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます