第九話 再びの異世界行きなのです。

 シュゼンに待ってもらって、私は自分の部屋から小さな肩掛け鞄を持ってきた。中にはハンカチとアルコールティッシュとカラーリップ等々。最重要はスマホと予備バッテリ。しっかりとたすき掛けにすれば、ジーンズのポケットに突っこんでおくよりは安心。財布は不要だろうけど、小銭入れに少しだけ。


「お待たせしました!」

 シュゼンの部屋に戻ると黒いデスクトップ型パソコンの電源が入れられていて、白い壁に掛けられた巨大なモニタには屋敷の庭が映っている。自分が色を付けたからなのか、懐かしいと感じるのが不思議。


「……ちょっと待って。これって、私が向こうに行ってる間に電源が切れたらどうなるの? まさか戻ってこれないとか?」

 昔、そんなSFかホラーの小説を読んだことがあるような気がする。入り口と出口、両方のスイッチを切られ、時空の狭間に閉じ込められて終わりという話だった。


「それは大丈夫だ。もしもこのパソコンが無くなったとしても〝境界の門〟であることは変わらないから戻ってはこれる。こちらから向こうへ行くことができなくなるだけだ」

 シュゼンもいるし、安心してもいいか。


『俺はどうしたらいいんだ?』

 金色の鯉が窓際に置かれたタライから顔をのぞかせている。体を折り曲げ、全くもって器用な姿。鯉の骨を思い出しても、その姿勢ができるような構造ではなかったと思う。


「ここで待っていて欲しい。話をして元の姿を返してもらうつもりだ」

 シュゼンはそう言うけれども、乱心している神が果たして素直に奪った姿を返してくれるものなのだろうかという疑問は沸く。麒麟も同じことを思ったのか、頭を傾げる。めっちゃ器用過ぎ。


『……頼んだぞ』

 偉そうな口ぶりではあっても、どことなく不安が滲むのがわかるから可哀想になってきた。


「響歌は必ず無事に返すから安心して欲しい」

「ちょっと、その不穏なフラグ立てないで」


「フラグ?」

「そーよ。龍の角折って私を助けるとか許さないんだから」

 角を折ることで、何が起きるのかは怖くて聞いてはいない。これ以上、シュゼンに対して責任を負いたくないという気持ちが強いから。異世界のルールで嫁になっているとしても、こちらの世界では推し一筋のままでいたい。


「よく聞いて。帰ってくる時は、絶対二人で無事っていうのがお約束よ」

 私の言葉を聞いて、緊張の色を見せていたシュゼンの表情が和らぐ。頬を赤くしながら微笑んだ美形にぐらりと心が揺らいだ。あな恐ろしや、超美形。


「ああ。約束しよう。必ず二人で戻ろう」

 差し出された手に指先を乗せると握られて、冷やりとした体温に包まれる。


 巨大なモニタの前に立ち、シュゼンが画面に手を触れる。ゆらりと水面に波紋が広がるように異世界の景色が歪む。


「響歌、行こう」

「ええ。行きましょう」


 右手はシュゼンに握られているから、左手を画面につく。触れた瞬間は普通の液晶モニタの感触だったのに、ぐにゃりと手が沈む。


 同時に体の細胞一つ一つがスキャンされて、何かに変えられているような不思議な感じ。人の世である物質界から、神の世界へ。アップデートという単語が頭に浮かんできた。


「アップデート?」

『次元上昇のことだろう。三次元世界から、多次元世界へと移動するには体を光へと変化させる必要がある』


「祖母が私を異世界に送った時には、こんな感じは無かったんだけど」

『嫁取りの場合は、迎え入れる嫁の不安を取り除く為、神の力を使って一瞬で終わるようにしている』


 シュゼンの着ている服が狩衣へと変化して髪が伸び、黄金に輝く龍の角がカッコイイ。一方の私の服は何も変わらず、ピンクの半袖カットソーにジーンズで少々寂しい。十二単でなくても、小袿姿に変化するとか、異世界に合わせた服装になりたいような気がする。


「あ。靴は?」

 玄関に置きっぱなし。流石にモニタが設置されたリビングまで、土足では入ってこれなかった。

『取り寄せよう』

 ぱちりとシュゼンが指を鳴らすと、赤いスニーカーが私の足を包む。シュゼンの方は黒い沓。靴が現れると同時に、足元がシュゼンの屋敷の庭に変化して、私はしっかりと地面を踏みしめていた。


 再びの異世界は青い空。優しい太陽の光が広大な庭と池に降り注いでいる。

「また来るとは思わなかったな……」

 これから何が起きるのか、わくわくと期待してしまう自分の心を隠しつつ、私は呟いた。

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