第十六話 もふもふは正義なのです。

 帰りは雲の速度を上げ、一時間でシュゼンの屋敷へたどり着いた。シュゼンが透明なドーム状の防風壁を作ってくれたので、時速六十キロでも何とか耐えられた。


「あ、スニーカー忘れた!」

 屋敷の階に雲を寄せ、降り立った時に気が付いた。微笑むシュゼンがぱちりと指を鳴らすとスニーカーが現れる。

『私が預かっておいた』

「ありがとう」

 お礼を言って気が付いた。今の私は小袿姿。元の服に戻る方法をナマズ神に聞くのを忘れていたのを思い出す。


「この装束、どうやったら元の服に戻るかな? 〝赫焉かくえんぎょく〟の力で着替えたの」

『そうか。だから元の服が見えなくなっていたのか。おそらく、玉に声を掛ければ解いてくれるだろう』

 言われるままに、服の下に隠れていた赤い玉に元の姿に戻りたいと願うと装束が普通の服へと戻った。


「この玉、どうしたらいいかな?」

『響歌が持っていればいいと思うが』

 そうは言われても元の世界で使うことはない。塗籠の棚に置こうと一緒に屋敷へと入る。


「あ、そういえば、シュゼンが色を失った時と麒麟の姿を奪った時が何故同じだったか、聞いた?」

『ああ。神獣や瑞獣は警戒心が強いが、麒麟は特に敏感らしい。通常はその姿を奪う前に逃げられてしまう。だが、新たな神が現れる瞬間、この世界にいる神や神獣に何らかの報せが来る。その報せに気を取られた瞬間を狙ったそうだ』


「あ、じゃあ、シュゼンへの嫌がらせとかそういうのじゃなかったのね。良かったー」

 美鈴の相手が悪い神様じゃなくて本当に良かったと思う。脳内お花畑を視覚的に体験したのは衝撃だったけど。


「お酒飲んで何話してたか聞いていい?」

『自分は嫁に嫌われていると思い込んでいたらしい』

「そっか……だから心を乱して、乱神になってたのね……」

 結構単純なことで神様は闇堕ちしてしまうらしい。……シュゼンは大丈夫だろうかと、ちょっと気になって見上げると、優しい微笑みが目に入って、どきりとした。……ダメダメ。私は推し一筋の女。


 私が拒否しても闇落ちすることのない優しさに、ぐらぐらと揺れる心が頬を熱くしていく。


『もしよかったら、私がその玉を預かろう』

「お、お願いします」

 絶対に顔は赤くなっている。恥ずかしさを隠し切れない。首に下げていた玉を手渡すと、嬉しそうな表情をしながら大事な物を扱う手つきで狩衣の懐にしまう。そんな姿を見せられると、どきどきが止まらない。


『帰ろう』

「はい」

 手を繋ぐと目の前に黒い画面のような物が現れて、元の世界のシュゼンの部屋が映っている。


 画面を通り抜け、部屋の窓から見える空は夕焼け色。待ちわびていたのか、窓際に置かれたタライの中から叫び声が上がった。


『おい、首尾はどうだ?』

「ああ。取り戻してきた」

 随分と高慢な物言いの鯉に対しても、シュゼンは丁寧で優しい。ぱちりと指を鳴らすと、三センチくらいの金色の光球が現れた。


 光球はふわりと優雅な曲線を描いてタライの真上へと飛ぶ。鯉が自ら跳び上がって光球をぱくりと食べた。

『やっと、元の姿に戻れる!』

 歓喜の声を上げて空中に浮かび上がったままの鯉の全身が光り輝き、大きな光球へと変化していく。体長二メートルの巨体が現れたら困るので遠巻きに眺めていると、光はそれ程大きくならずに鎮まっていった。


「え? あ、あれ?」

 眩い光が消えた後、タライの横に鎮座していたのは薄金茶色のもふもふした長毛種の猫。耳が妙に尖っているのを除けば、普通の猫にしかみえない。猫は軽やかに駆けて、二人掛けのソファの上へと飛び乗った。


「ね、猫?」

『失礼な。俺は麒麟だぞ』

 イラついているのか、ふっさふさのしっぽが左右に揺れる。そんな姿も愛らしい。なんということでしょう。そんなフレーズが心に浮かぶ。


「ちょ、ちょっとだけ撫でてもいいかな?」

 もふもふ。これは完全なもふもふ。まさかあの麒麟が、この世界では猫だなんて知らなかった。シュゼンとセンカはこの姿を見ていたのか。


『ふん。人間ごときが俺を撫でようなどとは無礼千万。千年早いぞ』

「そ、そんな……」

 ぴしゃりと拒否られると悲しい。こんなにみごとなふさふさもふもふが目の前にいるのに触れることも出来ないなんて切ない。


 心の中で葛藤していると猫の隣にシュゼンが素早く座って、私を見上げる。

「……シュゼン?」

「私ならいくらでも撫でていい。響歌の好きなだけ撫でて欲しい」

 きらきらと期待に満ちた目で見られても困る。さらさらとした黒髪の誘惑は凄まじい。長い時も綺麗だけど、短い時も素敵。こんなに期待されてるし、少しだけなら許されるかも……と盛大に迷う。


 無言で見つめ合い、誘惑に手を任せかけた瞬間、勢いよく玄関ドアが開いた。

「シュゼン! 見てくれ、俺の戦利品!」

 いきなりドアを開けて入ってきたのはヨウゼン。迷彩柄のシャツに深緑色のカーゴパンツ。髪のオレンジが厳つい印象を増していて、ゾンビや格闘ゲーム等々の絵柄が描かれた巨大な紙袋をいくつも肩と手に下げている。そのうちの一つに目が留まった。


「ちょ! そ、そ、その紙袋っ!」

 私が間違うことはない。それは私の推しが登場するゲームタイトルが描かれた紙袋。


「潰れた会社の社員が、悲壮感漂わせながら福袋を売ってたから買ってみた。何でも、先月の給料が支払われてないらしくてな。多少なりとも人助けだ」

 許可を得て中身をテーブルに出してみると、このイベント用に作っていたと思われる、アクキーやアクスタ、ヘアアクセサリーやハンドタオル等々、推しだけでなく主要キャラ全員分が揃っていた。きっと潰れる前に注文していた物だろう。


 参加予定や会場マップからは綺麗に会社名が消えていたし、まさか物販参加しているとは思わなかった。運営と直接話ができる貴重なチャンスを逃してしまったのが、とても痛い。痛すぎる。


「ああああああああ! イベント行けばよかったああああああああ!」

 私の絶叫が、マンションに響き渡った。 

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