第三十七話 それは間違いなく変態です。

 宵闇色の空には、白い半月。ふわふわとした落下感にも少しずつ慣れてきた。

「……装束は替えなくていいの?」

『ヨウゼンも言っていたが、この方が動きやすい。誰が呼んだかはわからないが、多少の無礼は見逃してくれるだろう』

 呼ばれたと聞いて、真っ先にあの少年神を思い出した。


 着地はふわりと柔らか。それでもシュゼンは私をお姫様だっこしたまま。

「シュゼン、降ろして。何があるかわからないし、両手が空いてないと困るでしょ?」

 そう言うと、渋々という顔で優しくシュゼンは降ろしてくれた。


 冥界と聞いていたのに、普通の夜の森なのは意外。

「……この世界の空は、いつもこの色なの?」

『ああ。怖いか?』

「いいえ。綺麗な色だなって思う」

 そう感じるのは、青空も夕焼けも知っているからかもしれない。様々な色が存在するから、世界は成り立っている。


「どこに行けばいいのかな?」

 呼び出されたにしては、誰もいない。時折吹く風が、そよそよと葉を揺らすだけ。

『そろそろ迎えがくるだろう。寒くないか?』

「ん。そういえば、少し寒いかな」

 しんしんと染込むような冷たさが空気から伝わってくる。それでいて、吐く息が白くはならない不思議。元の世界とは、物理法則や常識が違うのだろう。


 繋いでいた手が離れ、背中から抱きしめられてどきりとする。

『……すまない。私の体温は低いから神気で温めるまで少し時間がかかる』

「シュゼン、力を使わなくてもいいから。空気に触れていないだけで全然違うし」

 コートの中、ひやりとした体温と爽やかな森林の中にいるような香りを感じて、鼓動は爆上がり。


「冥界って寒いのね」

『ああ。……だから……あまり好きではないんだ』

 耳元で密やかに囁かれた本音に笑ってしまう。シュゼンにも苦手な物があると知って、なんだか嬉しい。


 月を見上げていると、鳥が飛んでいく。遠くから物悲しい笛の音が聞こえてくると、さらに寒さを感じてしまう。

「悲しい笛の音って、悲しい気分をさらに強く感じさせるだけだなーって思うの」

『時には悲しい気分を盛り上げたいと思うのだろう。毎晩吹かれると迷惑極まりないが』

「そうね。毎晩だったら、心配になっちゃうかも」


 他愛のない話をしているとシュゼンが何かに気が付いた顔をして、抱き締めていた腕が離れて寂しい。木々の影から、静かに姿を見せたのは白い虎。動物園で見るような虎とは違っていて、首回りと手足の先の毛が長い。

『待たせた。我が案内しよう』

 その声は重々しい壮年男性の声。渋みがあってカッコイイ。もしかしたら、この白虎も猫になるのかと考えてみても白い虎柄の猫になるだけか。


 森の中の道を歩いていると視界が開けた。辺り一面、赤い彼岸花が揺れる花畑。

 私たちを待つように立っていたのは、白く長い髪に赤い瞳、黒の直衣を着た美形。夜の闇より黒い直衣を着ているというのに、周囲から浮かび上がったようなはっきりとした輪郭を保っている。シュゼンより少し年上の二十七・八歳くらい。きりっとした切れ長の目が攻撃的で、好戦的な雰囲気。


『我だ。久しぶりだな』

 声には聞き覚えがある……そう考えた所で、あの少年神と結びついた。

「えええっ?」

 ちょっと待って欲しい。あの可愛らしい少年が大きくなるとこうなるのか。と、思わず口を開けたまま見上げてしまう。……幼児に化けてぎゃん泣きするとか、膝の上に乘るとか、特殊性癖過ぎないだろうか。


『待て待て待て。我を変態扱いするな』

 まごうことなき変態ですと答えそうになって必死でこらえる。シュゼンがこの正体を知っていたなら、死んだ魚の目をしていたのも、ものすごーく理解できる。


 いくら可愛らしい外見でも、実物はこれ。どうせなら、知らないままでいたかった。


『これ、とは何だ。これ、とは』

「そのままですが、何か?」

 思っていることが伝わるのなら、もう開き直ることにした。どんなに偉い神様でも、変態。一度持ってしまった印象は、どんなに美形でも拭いきれない。


『何か御用でしょうか』

 シュゼンが問いかけると、白髪の青年が視線を向けた。

『龍神ではなく〝五色ごしき彩姫さいひめ〟に用があるのだ』

 青年が人差し指で空に円を書くと、広がった円の先が別の場所に繋がった。


 円の中から見える部屋には石畳が敷かれていて、中から唐突に投げつけられた鉄の鎖をシュゼンが掴む。


『俺は嫁なんかいらんと言ってるだろ! 早く俺を消してくれ!』

 若い男性の怒鳴り声が周囲に響き渡った。

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