第二十五話 サプライズ好きは迷惑です。

 神様の離縁。それは一体、どんな儀式になるのだろうか。不安な気持ちが表情に出てしまっていたのか、海の女神は私の手を優しく包む。


『どんな文言でも良いから別れの言葉を告げ、夫の着ている装束の色を取り消せば良いのだ。そうすれば、離縁となる』

「あ、あの……それでは、降格になってしまいませんか?」

 〝誓色〟した色を取り消す。それでは、神様ではなくなってしまうのではないだろうか。


『婚姻の儀と露顕ところあらわしの儀がつつがなく終われば、神の位は確定しておる。再び色を失っても、それは嫁がいないという証明になるだけだ。……我が夫も、喜んで他の女の所に行くだろう』

 女神の笑顔の中、微かに寂しさを感じて、きゅっと胸が痛む。


「男性が離縁を望む場合は、どうするのですか?」

『……この世界では、男から離縁はできんのだ。……だから我が夫も、我に離縁をさせる為に女遊びをしておったのかもしれんな』

 シュゼンからは離縁できないと聞いて、何故かほっと安堵する自分の心を感じて戸惑う。


 女神の愚痴を聞いていると、突然部屋の扉が開いて男性が駆け込んできた。ふわふわとした白金の少し長めの髪に灰色の瞳の美形。女神の青い上着と同じ布で出来た天平時代の男性の装束を着込んでいる。


『オトちゃん! 僕と別れるってどうしてっ?』

 女々しすぎる美形の叫びに内心戦慄する。女神は冷たい瞳のまま、男性を見上げた。


『我と離縁したいのだろう? 望み通り離縁するのだから、喜ぶが……』

『僕はそんなの望んでないよ』

 女神の言葉を遮って、瞬間移動した男性が女神の両手を握る。


『手を離せ。五十年も我を放置しておった癖に』

『僕は毎晩、オトちゃんに添い寝してたよ』


『はぁっ?』

 あ。何だか状況が変わってきた気がする。混乱する女神の手を握ったまま、男性は涙を流す。

『オトちゃんが五弦琵琶欲しいって言ったから、僕は楽神に弟子入りして朝から晩まで琵琶を作ってるんだ。日が出る前に出て、夜遅くに帰って来てる。ほら、今日もお揃いの装束でしょ』

 確かに青い布地は同じ。二人が並ぶと、まごうことなきペアルック。

 

『何故、侍女たちは知らぬのだ?』

『気が付かれないように、宮の出入りには力を使っているからね。……だって、オトちゃんにサプライズで僕が作った琵琶をプレゼントしたかったんだ』

 サプライズ好き。ああ、そんな軽い雰囲気があるある。本人に一切相談しないで暴走していたのか。


『……帰って来ていたのなら、起こせば良かったのに……』

『オトちゃんの寝顔が可愛くて』


 語尾にハートが付きそうなセリフを聞いて、お茶を噴かなかったのは奇跡。美形は美形でも好みと外れると背筋が寒くなると痛感した。女神の頬は真っ赤になっていて、人の好みは千差万別だなぁと妙に達観した気分で、お茶を飲み干す。


 良い雰囲気で揉めている二人を残し、私は玉を持って静かに部屋を出た。控えていた鯛にお願いして、門の外へと案内してもらう。


 扉の外にでた途端、ぎゅっと抱きしめられて空気のドームに包まれた。薄雲をまとった春の空、淡い淡い青緑。青白磁色の狩衣で視界が埋め尽くされる。


『響歌、無事で良かった』

「お待たせしてごめんなさい」

 そうだった。私もシュゼンを待たせていたんだった。抱きしめる腕の強さがくすぐったい。


「シュゼン、青龍の声を返してもらったから、皆に声を戻して帰りましょ」

『ああ。そうだな』

 腕の力は緩んでも、その腕は解けない。見つめあう距離が近すぎて、胸の鼓動が早くなる。ひやりとした絹の感触に緊張してしまう。


『響歌? 大丈夫か?』

 シュゼンの気遣う声は優しくて。……この装束の色を取り消せば、離縁できる。そうは思っても、今はただ迷うだけ。


『おい。そろそろ日が落ちるぞ』

 麒麟の声で我に返った。シュゼンから視線を逸らして周囲を見ると、海宮わたつみのみやを包む青い水の色が、ほのかに橙色を含んで煌めいている。海に入ってから、一体何時間滞在していたのかわからない。


 青龍の声で出来た玉を持ち、私はシュゼンたちと一緒に海宮から離れた。  

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