第二十九話 亀の歩みは猛スピード。

 突然過ぎるデートの誘いに乗ってから気が付いた。これが私の人生初デート。いきなり手を繋いで歩いてしまっているのが恥ずかしくても振りほどくことは無理。


 一度部屋に戻って、軽めの茶色の上着と小さな鞄を斜め掛け。シュゼンもカジュアルな焦げ茶色のジャケットを着ている。

「響歌、どうした?」

「え、えーっと。あの……その……デートって初めてだから……何したらいいのか……」

 映画や遊園地。そんなド定番しか頭に思い浮かばない。ゲーム内での推しとのデートイベントは、ファンタジー過ぎて参考にはならなかった。


「私も初めてだ」

 嬉しさ全開。そんな笑顔をされたら、心臓に悪い。


 時間はお昼前。どこかでご飯を食べる間に、今日の予定を決めることにして駅前へと向かう。

「車で遠出も可能だ」

「あ、そうか。運転免許取ってるんだっけ。車は?」


「マンションの駐車場に止めてある」

 シュゼンの車の運転に興味はあっても、いきなり車でドライブはハードル高い。二人きりの密室で何を話していいのか全然想像ができなかった。


「車は、また今度。お昼ご飯、何食べる?」

「駅前にフレンチレストランがある」

「そんなにフランス料理が食べたいの?」

 凝った料理を食べたいのだろうかと顔を見上げて気が付いた。このきらきら顔は、何かある。駅前のフレンチレストランと考えて、高層ビルに空中庭園と呼ばれる結婚式場があるのを思い出した。


「却下。式場は忘れて」

 私の一言でしょんぼりされても、ここは心を鬼にしなければ。流されてはいけない。私はまだ推しを諦めてはいない。


「いつも夕食を作ってくれているお礼をしたい。何でも構わない」

「そ、そう言われても……」

 シュゼンたちとご飯を食べるようになってから、幅広い食材が手に入るのでいろんな料理を作っている。


 駅前の商業施設をうろついて、赤いレンガの壁がレトロな雰囲気を醸し出す洋食屋へと入った。扉の中は、まるで外国。木の床は濃い飴色で、温かみのある黄色っぽい光を放つランタンがあちこちに吊るされている。テーブルと椅子は重厚な木製。観葉植物の大きな鉢が隅に置かれていて、その艶やかな緑の葉が不思議な空間を彩っていた。


 お昼には少し早いからか、人はまばら。店の奥、レンガの壁で囲まれた二人席へと案内されて向かい合って座ると、まるで店の中に二人だけと思えて恥ずかしい。


「え、えーっと。何にする?」

 店構えはレトロでも、注文方式はタッチパネル。壁に固定されたタブレットを二人で覗き込むと、顔が近くてどきどきする。暗めの照明が顔に陰影を作り、明るい光の中では見ることのない物憂げな表情がカッコ良くてどきりとした。


「どうした? 響歌?」

 光と影の中。明るく微笑むシュゼンの表情は同じでも、受け取る印象が違うことに驚く。照明の違い一つで、見ている物も受け取る物も違うのかと、今更ながら再確認。


「何にしようかなって思っただけ」

 憂い顔もカッコイイなんて口にはできない。寂しい表情よりも、明るく笑う表情の方がいいと思う。


 散々悩んで、結局ランチメニューを選択。私は海老グラタンで、シュゼンはオムライスのセット。オムライスを食べるシュゼンを見ながら、そういえばまだオムライスは作っていなかったと気が付いた。


「オムライス、好きなの?」

「初めて食べたが、良い味だ」

 嬉しそうに微笑むシュゼンを見て、ちりりと心が焼けたのを自覚した。帰ったら美味しいオムライスを特訓しよう。


 海老グラタンとサラダ、デザートのバニラアイスを食べて私たちは店を出た。


      ◆


 初デートの行き先が決められなかった私たちは、とりあえず映画館へと向かっていた。商業施設の一角、複数のスクリーンがある巨大シネコンがある。


 いくつものビルを繋ぐ渡り廊下は、まるで迷路。壁に設置された地図を見ながら、あっちだこっちだとうろうろとするのは、手を繋いでいるからか意外と楽しい。時折、顔を見合わせては、微笑んでしまうのは何故なのか。


「あれ? 人がいなくなった……」

 曲がり角を過ぎると、突然誰も人がいない渡り廊下。シュゼンの表情が引き締まる。

「響歌、静かに」

 私の口を手で押さえ、抱き込むようにしてシュゼンは廊下の柱の陰に隠れた。


 ごぼがぼと、水が泡立つような音が聞こえた後、どすどすと地響きのような足音をたてて渡り廊下を走るのは、乗用車より大きな黒いワニガメ。体には大蛇が巻き付いているから神獣の玄武かと思っても、想像よりも百倍狂暴そうな見た目が怖い。


 亀の歩みは遅いなんて幻想。足を動かし猛スピードで私たちの横を駆け抜けて、行き止まりの壁へと消えた。


 もう大丈夫だろうと体の力を抜いても、シュゼンはそのまま影に隠れたまま。何かあるのかと玄武が出現した方向を見ると、鉄紺色の半ズボンの制服姿の六歳くらいの白髪の少年が現れた。白髪に赤い瞳。幼い顔立ちなのに、背筋が寒くなる威圧感がある。


『……気配を消しても無駄だ、新神。隠れずとも良いぞ』

 声は成人男性でアンバランス。そんな呑気なことを考えながら、私はシュゼンの腕の中にいた。

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