第二十一話 超馬好きなお方なのです。

 月も星もなく、暗い道を雲に乗って進む。百メートル先を走るヨウゼンが乗った雲は、脚にしがみ付く薄金茶色の猫、麒麟が発する金の光が雲に乱反射して輝いている。とにもかくにもうらやましいったらありゃしない。背中にぶら下がるマンチカン姿の青龍だけでも譲ってほしい。


 ふと足元を見ると、私が乗っている雲は淡い水色の優しい光を発している。これはきっとシュゼンの光。温かな春の空を感じて、どきりとする。


 理性を取り戻した私が適切な距離を取るように求めたので、シュゼンは私を支える程度に手を添えるだけ。残念とか思ってはいけない。私は推し一筋の女。


 道を囲むのは広い広い草原。ほのかな光を発する草花が、そよそよと風で波が立つ。静かで美しいとは思っても、どこか寂しくて胸が痛む。昼間の光の下では、こんな気持ちは感じなかった。


 綺麗過ぎる水に魚は住めない。そんな話を思い出す。私はきっとこの異世界で生きることは難しい。騒々しくてネットがあって、誰かといつでも交流できる元の世界が合っている。だから、正式にシュゼンの嫁になって、ここで生きるという選択はできない。


 しんみりとした気分を引き裂くように、派手な地響きが地面を揺らす。怖くなって雲の速度を落として止めた。

「な、何?」

『大丈夫。馬の蹄の音だ』

 シュゼンの微笑みが不安を散らしていく。そうはいっても、普通の馬の足音とは思えない。周囲の草花もその地響きで揺れている。


『新しい馬を入手されたのだろう』

 それが誰なのか、シュゼンにはわかっているらしい。のほほんとした笑顔の後ろ、砂煙を上げる何かが近づいてくる。姿が徐々に大きくなって、八本足の異形の馬が見えた。上空に雷を帯びる黒い雲を引き連れ、赤黒い炎が全身を包んで禍々しいことこの上なし。先日の乱神の暗雲よりも、遥かにこっちの方がヤバそう。


「ス、スレイプニル?」

 北欧神話に出てくる神獣に騎乗しているのは、逆立つ黒髪に赤い瞳の凛々しい日本人の中年男性。紫苑色の直衣っぽい装束と大鎧を掛け合わせたような服装で、袴は見る角度によって黒に変わる紅緋色。派手派手しくも重々しくて高貴。金の大太刀を佩いている。


 男性が手綱を引き絞り、八本足の馬が移動雲の隣で急停止。空気の圧が凄まじくて、貼りつけた営業スマイルが引きつる。


 男性は大きな口を歪めて笑顔を見せた。それは歌舞伎役者のようなカッコよさ。

『おう、新神しんじん、良い夜だな!』

 空気が振動する程の大音声でありながら、うるさいとは感じない不思議な声。すっと人が耳を向けてしまうような魅力を感じる。


『はい。貴方も良い夜を』

 そう返したシュゼンの顔を見て、男性が満足そうな笑顔で頷いた。短い言葉でも、二人のやり取りが神々しく感じるのは神様だから当たり前なのかもしれない。


 男性はスレイプニルの腹に蹴りを入れ、うははははと笑いながら駆け抜けていく。前方のヨウゼンは道の脇へと雲を寄せ、頭を下げていた。


 あっという間に、その姿は遥か彼方の地平線。豪放磊落ごうほうらいらくという熟語が具現化したような印象を受けた。


「い、今の方はお知り合い?」

『ああ。とても世話好きの方だ。馬がお好きだと聞いている』

 神様の名前を聞いて、血の気が引いた。日本史で聞いたことがある人物。


「た、祟られる方……よね?」

『それは良く言われているようだが、滅多にない。余程気に障った時だけと聞いている』

 怒らせたら徹底的にというのが、悪目立ちしているのだろうか。そういえば、勝負に関するご利益を授けてくれる神様とも聞いたことがある。


「そ、そうなんだ……」

 ほんの数瞬の邂逅でも、失礼が無かったか反芻する。挨拶だけでもすれば良かったと思いつつも、普通の人間が口を開くのもおこがましいような気もする。祟られないだけでも助かったと安堵の息を吐く。


『良く馬で駆けていらっしゃるから、また会うこともあるだろう。行こうか』

 促されて見れば、ヨウゼンはすでに遥か先に移動している。私は慌てて雲の速度を上げた。

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