第三十四話 ひよこ饅頭はもふもふです。
赤くなった空の下、周囲の建物やアトラクション、木々も道路もアイスクリームのように溶けて一面の黒い大地が広がった。
「これ……」
寂寥感漂う風景は、何故か心がしくしくと痛む。シュゼンの手をしっかりと握り返し、いつもはひやりとした体温が熱いことに気が付いて胸がどきりとする。何か大変なことが起きようとしているのだろうか。
強い風が吹いて、黒い土煙が周囲を襲う。シュゼンが張った空気の膜が狂暴な風から護ってくれた。
ずしーんと重い地響きが遥か彼方から聞こえてくる。ゆっくりとしたそれはきっと足音。土煙の中、地平線の向こうから、山のような影が動いているのが見える。
土煙が徐々に治まり、影の姿がくっきりと見えるようになった。そのシルエットは……。
「…………ひよこ饅頭?」
それは巨大すぎる朱色に近い橙色のひよこ饅頭。距離があるから良くわからないけれど、十五メートルは確実にありそう。空に向かって顔を上げているからか、こちらの方は見ようともしない。
百メートル先を横切っていく超巨大ひよこ饅頭を睨みながら、少年が口を開いた。
『朱雀だ』
「あ、あの……人界でのイメージと随分違っているのですが」
その言葉からは華奢で炎をまとった美しい鳥の姿しか思い浮かばないのに、実物はひよこ饅頭もどきだったのか。
『朱雀は瘴気を喰らって浄化する。自らの能力を超えた量を喰らいすぎて、変化してしまったのだろう』
「どうなってしまうのですか?」
『……瘴気が増殖して腹が破裂するか、瘴気に内部から汚染されて自らが祟りとなって災厄を起こす存在となる。……よって、見つけた者が処分するしかない。おい、龍神。どうだ? いけるか?』
「はい。やってみます」
緊張した表情のシュゼンが、少年を地面へと降ろす。処分……それは朱雀を殺すという意味なのか。
「あ、あの、食べた瘴気を吐き出させるとか、どうでしょう? お腹押してみるとか」
『ん? 腹を押す? あの巨体だぞ?』
「こう、何と言いますか……マンガとかアニメで空気を固めて弾にするとかあるんですけど、それをお腹に叩き込む……とか」
必死に説明しようとしても、上手い言葉は出てこない。それでも、シュゼンに朱雀を殺させたくはなかった。
「響歌、わかった。やってみよう」
私の拙い説明でも、シュゼンはわかってくれたらしい。十メートルくらい先に移動して息を整える。背中しか見えていなくても、極度に集中していることを感じた。
『……空気を固める……か……面白いな』
少年が口元に指を当て、興味深く見守っている。両手を大きく広げたシュゼンの前に広がる空間に異変が起きた。球形に切り取られた透明な空気が渦巻きながら圧縮されていく。圧縮された空気の球の中、透明な何かが渦巻いていた。
『龍神、集束はそこまでにしておけ! それ以上の力では消し飛ばしてしまうぞ!』
少年が叫び、シュゼンは空気を圧縮するのをやめた。
『我がカウントダウンしてやろう! よいか! ……三、二、一、撃て!』
透明な空気の球が、白い稲光を帯びて撃ちだされた。ひよこ饅頭の、おそらく腹にシュゼンの放った空気弾がめり込んだかと思うと、ひよこ饅頭の口から何かがきらりと光りながら空高く飛び出した。
『あれは何だ?』
「何でしょうか……」
見上げていると、くるくると回転する何かがこちらに落ちてくるのがわかった。そのスピードは速すぎて逃げられない。少年を庇うように抱きしめてしゃがみ込む。
「あ、あれ?」
何の落下音もしないし、衝撃もない。恐る恐る目を開くと、私に背にしたシュゼンが巨大な銀色のハサミを右手で掴んでいた。その背中は凛々しくて頼もしい。
「ハサミ?」
それは私の背丈よりも大きくて、美しい花々が彫られている。鈍く光る刃先はとても鋭く、刺さったら命の危険もあったかもしれない。
『命の糸を切る死神のハサミだ。これを喉に詰まらせておったから、瘴気が消化できなかったのだな』
死神のハサミと聞いて、運命の三姉妹が思い浮かぶ。運命の糸巻きから糸を紡ぎ、運命の糸の長さを測り、運命の糸を切る。人の寿命を決める女神たちが死神と言われているのだろうか。
四歳くらいの姿だった少年が、十歳くらいに変化してシュゼンに手を差し出した。髪は白く目は赤く。その取り巻く空気は圧倒的な威圧感で重い。
『龍神、そのハサミから手を離せ。お前の力が引きずられて変質してしまうぞ』
「……」
巨大なハサミを杖のように持って握りしめたままのシュゼンの様子がおかしいと気が付いた。その赤い瞳は鋭く、少年を睨みつけている。
引きずられる。その意味はわからなくても、シュゼンがそのハサミを持っていてはいけないと思った。シュゼンに駆け寄ってハサミを持つ手とは反対側の手を握っても、シュゼンは少年を睨んだままで私を見ようともしない。
「シュゼン? そのハサミ、どうするの? 渡した方がいいんじゃない?」
私が声を掛けると、シュゼンがはっと息を飲んで目をしばたたかせた。
「……響歌? ……私は……」
『龍神、早く我に渡せ』
促されたシュゼンが少年にハサミを手渡す。その身長よりも大きなハサミにも関わらず、少年は軽々と持った。
『どんなに惹かれようとも、お前は死神の道具に触れぬ方が良い。……その光を捨てたくはないだろう?』
「……はい」
シュゼンの顔色は蒼白で、心配してしまう。握る手の力を強めると優しい微笑みが返ってきた。一体シュゼンに何がおきていたのだろうか。
『我が教えてやろう。このハサミは人の運命を断ち切る強い力を持っている。こういった道具は持ち主以外に合わぬものだが、稀に適合してしまう者もいるのだ。あのまま持っていれば、死神となっておった。お前も夫が死神になって欲しくはなかろう?』
「え……」
シュゼンが死神になったとしたらと考えてみても、別にいいかなと思ってしまうのは浅慮すぎるか。
ぽふっ。という気が抜けたような音がして、三人の視線が巨大ひよこ饅頭へと向けられた。しゅーっと音をたてながら、ひよこ饅頭が小さくなっていく。
『瘴気を浄化している音だ。もう近づいても安全だろう』
ハサミを杖のように持った少年が三メートルくらいになったひよこ饅頭へと近づいていくから、シュゼンと手を繋いだまま後を追う。
朱雀を近くで見ると、細かい羽毛に包まれていて、見た目はもふもふ。その体に顔をうずめたい。なんて思っていたら、どんどん変化して、遂には炎の色をしたクジャクのような姿になった。
『……助かるとは思いませんでした。ありがとうございます』
朱雀の声は、落ち着いた若い男性の声。何となく朱雀は女性と思っていたから、違和感がある。
『龍神の嫁のおかげだ。我らだけなら、助けられなかった』
『ありがとうございました』
朱雀が私に頭を下げると、美しい炎の粒が煌めく体を包むように舞う。不死鳥のイメージとも重なって、その姿は神々しい。それでもやっぱり、さっきのひよこ饅頭もどきの方が可愛かったと心の底では思ってしまって、もふらせてもらえば良かったと後悔しきり。
『このハサミを届ける。冥界まで我を運べ』
少年が声を掛けると、普通のクジャクくらいの大きさだった朱雀が大きくなった。少年がその背に飛び乗ると、まさにファンタジー。
『残念だが、今日はここで別れだ。また会おう。……良い嫁だな、龍神』
「はい。ありがとうございます」
少年の言葉をシュゼンが即座に肯定したことが恥ずかしい。嫁ではないと思っても、褒められると悪い気はしない。
朱雀が飛び立ち、赤い空の中、黒い穴が現れた。
「あれは?」
「冥界へ繋がる門だ。玄武や朱雀、許可された者しか呼び出すことはできない」
炎の色の朱雀が穴の中に消え、赤い空は夕焼け色へと変化した。溶けていた建物やアトラクションが視界に戻り、行き交う人々の姿も賑やか。
「……今、何時かな……」
スマホで時間を確認すると、午後五時前。多くの人々の流れは駅へと向かっていて、水族館の営業時間は午後六時まで。
「響歌、夕食を食べて帰ろうか。この近くに……」
きらきらと目を輝かせるシュゼンの表情で察した。海に囲まれたリゾート施設なら、どこかに結婚式場があるに違いない。
「それは却下。ラーメンかお寿司!」
しょんぼりとするシュゼンの手を引いて、私は駅へ向かって歩き始めた。
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