第37話 稲佐の浜

 集術の二回目は現在の島根県出雲市。

 出雲国『稲佐の浜』だ。この情報は影獅子が教えてくれた。


 岩の上に神様の祠がある『弁天島』は、死ぬまでに一度は見ておきたいと言われる絶景スポットだ。


 毎年旧暦の十月に海路を通り出雲へ来るとされる神々の降り立つ場所がこの『稲佐の浜』。八百万の神々が集う場所としても有名である。


 幽世に入ると鳥居の下には前回同様の法師が琵琶を奏でていた。


「お久しぶりです」


「来たか。その後もさぼらず祈りを捧げておるかな?」


「もちろんです」


 曲調は以前の荒々しいものから、穏やかなものへと変わっていた。


「結構結構。して、集術の続きを習いに来たわけじゃな」


「はい。また宜しくお願いします」


「することは前回と同じじゃが、今回はもっと実践的な内容になるぞ。覚悟はよいか?」


「大丈夫です」


 覚悟は常にできている。

 幽世内で彷徨う不幸な霊魂や厄を心安らかな場所に送り届ける。俺はそんな仕事に誇りを感じてきていた。


「結構結構。集術の真髄は如何に死者からの信頼を得るか。それに尽きる。一時のものではなく、常に安定した霊力の確保がその証となるのじゃ。言うとる意味が分かるかな?」


「はい。常に死者を敬う気持ちを持つことが重要ということでしょうか?」


「うむ。まぁ、そんな感じじゃな。ただ、言うのは簡単じゃが、実践するとなるとなかなかできていないものでな」


「確かに」


「ということで、今回のテーマは『逆立ち』じゃ」


「さかだち?!逆立ちって、あの逆立ちですか?」


 なんか急に現実的な話になったなぁ。


「あの逆立ちじゃ。ただし、十二刻のな」


「じゅうにこく!、、ってなんでしたっけ?」


「十二刻とは今の単位でいう六時間じゃ」


「六時間!」


 そういうことか。現世でやろうと思ったら、とてもじゃないがそんな長時間の逆立ちはできない。


 一定の霊力を常に注ぎ続けることで持続性を鍛えると。それができれば常世への敬畏を証明できる、そんな感じかな。


 もともと逆立ちができる俺で良かった。

 そこからだったら余計大変だったよ。


 まずは普通に逆立ちの確認。


 「よっと!」


 よし!できるできる!


 操術で霊力を使った身体強化もしているから楽勝だ。これなら六時間でもいけるかも。


「そう。常に霊力を流し続けることが最大霊力、ひいては回復霊力の向上にも繋がるのじゃ」



 逆立ち開始から

 三時間経過


 さすがに腕が少し痛くなってきた。普通だったら腕や頭に血が昇って、ぶっ倒れるところだろうけど、幽世内ではそういう概念がない。

 一番大変なのは絶えず意識を霊力確保に向けること。簡単なようで難しい。言ってた意味が分かってきた。



 五時間経過


 だいぶ腕がプルプルしてきた。

 これは筋力の問題というよりも、ずっと同じ体勢をしていることによる忍耐力の問題。


「すみません。あの、動く分には問題ないのでしょうか?」


「動くのは構わんよ。むしろ現実的にはそのほうが自然じゃからの」


「良かった」


 俺は逆立ちしながら、屈伸、回転などをして体の状態を確認した。



 六時間経過


「もういいでしょうか。私の時計では六時間が経ったと思いますが」


「うむ。いいだろ!合格じゃ!逆立ちを解いて休むが良い」


 俺は言われるがいなやすぐに逆立ちを終了する。


 ふう。合格か。しんどかった。

 確かに今まで以上に霊力の流入を感じられた気がする。初段の次だから、これで二段か。


「ありがとうございました。おっしゃっていた通り、実際に実践するのは大変でした」


「そうじゃろ。休憩が済んだのなら、次に行くぞ?」


「え!終わりじゃないんですか?!」


「これで終わりなんて思ってないじゃろうな」


 いや、俺は思ってたんだけど。


「そうですか。次は何でしょうか?」


「次はもちろん片手逆立ち六時間じゃ」


「片手!」


 両手でもしんどかったのに、今度は片手かよ。


 そもそもやったことないのに、できるかな。


「よっ!、お、おっと!お!」


 俺は念のため片手逆立ちを試してみる。

 最初はバランスを取るのに戸惑ったが、動きながら霊力をコントロールすることで意外にあっさりとできた。

 さっきよりも神経を集中する必要はあるが、しんどさはさほど変わらない。



 二時間経過


 かなり難易度が高いものの、きつさは変わらない。左と右を切り替えるのは問題ないとのことだったので、だいぶしんどさが和らいだ。



 六時間経過


 動きながら手を交互に切り替えなんとか

無事に完了できた。結局集中力さえ途絶えさせなければ両手とあまり変わらない。霊力コントロールが少しシビアになるだけだった。


「ふぅ、何とか完了しました。これで認めてもらえますか?」


「うむ。霊力の流れていく樣を感じるじゃろ。その勢いであと一息。次行くぞ。指逆立ち。十二刻じゃ」


「嫌な予感がしたけど。やっぱりか。もう何でもやってやる」


 つい。不満が口に出てしまった。


「指はどれでも良いし、ただし、使えるのは二本までとする」


「分かりました。やります!」


 こうなったらとことん付き合って全て消化してやるぞ。


「指二本というのはバランスが難しいなぁ」


 片手までは何とかなっていたが、指となるとほぼ筋力ではどうにもならない。バランスコントロールは完全に霊力頼みだ。


「どうした。今日のところはやめとくか?」


「いえ。大丈夫です。やらせてください。」


 やはり支える面積が単純に少なくなるとバランスが難しくなる。親指がしんどくなったら人差し指や中指に切り替えて一定の霊力を常に維持しなければ。



 三時間経過


 俺はいま人差し指一本で逆立ちをしている。もう指には意味がなく一点に霊力を流すことで重さを軽減している。


 四時間経過


 体がかなり悲鳴を上げてきた。霊力の回復よりも消費が上回りどんどんと霊力量が減っている。すでに指以外はあまり霊力を流せていない。

 あと二時間がまさに地獄だ。指は二本ずつ使えるので五分おきに切り替えて凌ぐか。



「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、終わりました!いいですか?」


 すでに全指の感覚がない。激痛が走り何本か折れてそうだ。


「そうだな。良くやった。完了にしよう。両手、片手、片指と段階ごとに霊力の量や操作が変わってくるがどうだった?

分かってきたかな。継続的な霊力の受け流しの仕方の重要性が理解できたか」


「はい。よく分かりました。普段からもっと練習にも取り入れたいと思います」


 右の人差し指と中指は折れている。動く気配がない。幽世内での怪我は精神的な苦痛のみ現世にも引き継がれる。


 例えば幽世で左腕が無くなった場合、現世では残っているものの、不随になり動かなくなる。痛みも同様に残るので、如何に幽世内で早めに治癒するかが先決だ。


「うむ。じゃが、今回の教練はまだ終わりではないぞ。最終目標は触れない逆立ち。徐々に接地面積を減らしてきたと思うが、今回の最大の目的は無接触逆立ちじゃ」


「これからそれを行う気力はあるか?」


「むせっしょく、ですか」


 俺の体は無意識に逆立ちを行う。

 両手から片手、片指、そして無接触。

 俺の体は地面を転がる。


「もう一度」


 両手から片手、片指、そして無接触。

 俺の体はまたも地面を転がる。


 この動作を三十回ほど繰り返したが、結果は変わらず。

 後半は片指、片手の時点で転がってしまい逆立ちもできない。

 快符は霊力回復なので怪我に効果がない。

 怪我の回復に効く霊符の作成を怠っていたのも敗因だ。それだけではないが。


 気付けば小指以外の八本の指と右腕は折れていた。激痛でまともに頭が働かない。


「今日のところは止めじゃ。そんな状態ではもう不可能。今のお主には負担が大きいようだ。体の回復を待ち、無接触逆立ちについて今一度練習してから、またチャレンジすると良い」


「•••」


 俺は何も言う気力が出ず、会釈だけして幽世を後にした。ため息だけが暗い境内に木霊する。


 家に戻り『鎮宅七十二道霊符』から応急処置の霊符を右手と唯一動く小指で一日かけて作成した。

 その効果もあり痛みは残るが、ある程度動くまでには復活。


「くそ!!」


 もう少し回復を待ったらリベンジだ。

 次こそは絶対にクリアしてやる!

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