第2話 陰陽師

 彼女の話によると俺が引き込まれたこの世界は幽世かくりよと呼ばれる物心共存世界だという。


 生者が住む物的世界の現世うつしよ

 死者が住む心的世界の常世とこよ

 その中間にある幽世かくりよ


皆この三つの世界を行き来するのだとか。


 生あるものは死を迎えると、現世うつしよから幽世かくりよを通って常世とこよに誘われる。物体は失われ霊体へと変化するのだ。

 肉体は無くなって、白いふわふわとした霊魂に変化するみたい。


 霊魂については今まで散々見てきた人魂を思い浮かべれば何となく想像しやすい。


 ただ、全ての物体が予定通り霊体へと変化するわけではなく、現世うつしよへの恨みや妬みなど思い残すことが強い場合、霊体は突然変異することがあるという。


 その変異した悪い霊体のことを総称して『厄体やくたい』と呼ぶそうだ。


 こいつらが幽世かくりよや時には俺達の住む現世うつしよにまで問題を引き起こす元凶になっているんだとか。


 なんだかスピリチュアルな話過ぎて、まだ現実世界に起きているとは思えないけど、ひとまず空が茜色になった今いる世界が『幽世かくりよ』という世界であることは分かった。


 そして、厄体やくたいと呼ばれるものがヤバいということも分かった。ガン細胞みたいなものだろう。困ったやつらだ。


 霊的なものは散々見てきたから今更疑うつもりはないけど、今まで俺が見てきたのは幽世かくりよに存在する何かだったってことなのか。


 などと一人考えていると、少女は小首を傾げ顎に指を添えながら俺の顔を見ている。


 さっきまで若干の畏怖と女性への免疫の無さから、まともに目を合わせることが出来ないでいたが、よく見ると少女は目鼻立ちの整った世間一般でいう美少女だった。


 艶のある黒髪、切れ長のクリっとした大きな目、人形のように小さな顔。

 全身が淡い光に包まれ、まるで天使のよう。


 人間だったら、将来が非常に楽しみだったのに。惜しいなぁ。


「陰陽師の家柄なら常識なんだけど、君のうちはごく普通の家庭なのよねぇ。どうしてそんなに潜在霊力が高いのかしら」


 そんなこと、ちょっと霊感が強いだけの彼女すらいない俺に分かるわけないではないか。


 父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんも婆ちゃんもそんな能力があるなんて聞いたことないし。

 何故だか知らないが、家族で唯一自分だけ生まれつき異常に霊感が強かったのだ。


「そうすると、陰陽師達がその厄体やくたいっていうのを祓ってるということ?」


 話を聞いているうちに漸く頭の中が整理されてきた俺は質問してみた。


「そう。陰陽師の主な仕事は厄体やくたいの浄化作業。常世とこよに行かず幽世かくりよに留まる霊体。君達の世界でいう幽霊ってやつね。それらを自ら幽世かくりよに入って浄化して、常世とこよに送り届けるのが陰陽師達のお仕事よ」


「浄化なんて。俺にそんなことできるのかな」


「最初は皆できないわよ。ちなみに現世うつしよで行ってる厄除けや厄払いは根本的な厄の浄化ではないの。

厄除けは厄が付かないようにする事前対策だし、厄払いや厄落としというのは付いた厄を取り除く作業。

本人達にとってはそれで十分だから、それはそれで大切なことなんだけど、厄を完全に浄化する『厄消やくけし』を行えるのは陰陽師だけなのよ」


 厄消やくけし?

 そんな言葉は初めて聞いた。


 しかし、話を聞いているとますます不安になってくる。

 安倍晴明だなんてビックネームの後継者候補って、今日まで何も知らなかった俺には荷が重すぎるのではなかろうか。


「まぁ、なるかどうかはあなたの自由よ。私は初代の遺したこの能力の後継者を探してるの。彼と約束したからね。この千年間で全部受け継げた人は結局一人もいないんだけど」


 自由と言われても。

 いきなり見ず知らずの人?に後継者になれとけしかけられたってなぁ。


「少しずつ分かってきたけど、それで君はいったい何者なの?」


 俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。

 陰陽師という感じでもないし、幽霊や妖怪の類ともちょっと違いそう。この少女は一体何者なのだろうか。


「何者か? うーん、晴明の友人みたいなものかな。迦具夜かぐやって呼んでくれればいいよ。この世界で分からないことがあったら何でも聞いてね」


 ニコッと微笑む迦具夜かぐや


 思い切って聞いた割にはほとんど情報を得られなかった。

 安倍晴明に続いて今度はかぐや姫?もう何がなんだか。


「とにかく私を信じて陰陽師になりた〜いと思ったなら、なんでも協力するよ。

この時代で彼の遺した試練をクリアできる可能性が一番高いのが、君!ってことなのよ!」


 そう言いながら、迦具夜かぐやは人差し指を俺の方に勢いよく向ける。


 本当に信用していいのだろうか。


 今のところ「なりた〜い」とはならないが、彼女を作って大学を卒業して良い会社に就職してという普通の人生を夢見ていた俺に、思いがけず開けた新たな道。


 これを断れば彼女は次の候補を探すのだろうか。そうなるともう二度とこんなチャンスはないかもしれない。


「陰陽師になる素質があるのは万に一人。幽世かくりよに入れるだけの霊力を持っている人でなければなれないの。世間には全く知られていないけど、今でも数千人の陰陽師が密かに活動してるのよ」


「ふーん。ちなみに、俺が陰陽師になりたいと思ったらどうすればいいの?」


「そうねぇ。まずは『陰陽反転おんみょうはんてん』の技術を習得しないと幽世かくりよに入れないからぁ。

今回は私が入れてあげたけど、現世うつしよのほうのごちゃごちゃしたルールはよく分からないし、やる気があるなら三日後ここに行ってみて」


 と言うと、迦具夜かぐやは何やら紙切れのようなものを渡してきた。

 そこには達筆な字で都内某所の有名神社の名前が書かれていた。


陰陽反転おんみょうはんてん』というのが俺のいる現世うつしよからこの幽世かくりよに入るための儀式的なものってことか。


 迦具夜かぐやが渡してきた紙切れを俺は無言で受け取った。

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