第15話 白浜海岸
白い砂と関東屈指の透明度を誇る白浜海岸。巨岩に立てられた赤の大鳥居でも有名な場所だ。
日没まであと数分。
俺はその鳥居越しに水平線へ飲み込まれてゆく夕陽をただただ眺めていた。
迦具夜から指定されたのは白浜海岸のこの大鳥居だった。
ここで何が起こるのかは分からないが、行けば分かるという彼女の言葉を信じて俺はその時を待つ。
千年間、過去の後継者達もこの絶景を戦々恐々とした思いで眺めていたのだろうか。
それとも嬉々とした気持ちで臨んだのだろうか。
日没の時間を過ぎ、辺りが暗闇に包まれる。
夜に冬の海へ訪れる者はほとんどおらず、周囲に人影は見当たらない。
それでも俺はなるべく人目につかない場所を探して幽世に入り、大鳥居へと向かった。
これから何が待ち受けているのか。
期待と不安が入り交じる中、自分の選択が間違っていなかったことを信じて一歩一歩踏みしめながら歩いてゆく。
月明かりに照らされていた鳥居は、幽世の光芒を浴びて本来の朱色を取り戻していた。
鳥居に近づくにつれ、なにやら楽器の音色が聞こえ始める。
力強いが残響の少ないあまり聞き慣れない弦楽器の音。
べべんと楽器を鳴らし、赤鳥居の下に胡座をかいて座るのは一人の老人であった。
髪は無く、ゆったりした和服を着流し、姿勢良く真っ直ぐに前方を見据え弾いている楽器はおそらく琵琶だ。
「琵琶法師?」
現世と違うのはその老人のみ。
もっと大規模な施設が待ち受けていると思っていた俺は些か拍子抜けした。
「おぬしも一緒に拝みなさい。死者の弔いは活殺自在の境地なり」
いきなりなんだ?
教練が始まったのだろうか。
俺はひとまず言われるがまま無言で琵琶法師の向かいに座り、見様見真似で手を合わせる。
「おぬしにも死者の声が聞こえるじゃろ?」
死者の声。
俺がどんなに耳を澄ましても琵琶の音以外には何も聞こえてこない。
「いえ、今は何も。どのような声でしょうか?」
「無念を訴えるこれほどの数の声が何も聞こえないとは。薄情者めが」
そんな事言われても聞こえないものは聞こえないし。死者の声を聞くとは一体どういうことだ?
その後も言われた通り自分なりに拝んでみるも死者の声は俺の耳に届いてこない。
空が茜色に染まり、至る所に靈魂が飛び交ういつも通りの幽世の光景が広がっているだけだ。
変わったことといえば老人の琵琶の音だけ。
結局状況が変わることなく、無情にも時間だけが過ぎ去っていった。
時刻はすでに深夜二時。
「あの、今日はもう死者の声を聞くことはできそうにないので、明日また出直して来てもいいですか?」
明日は昼からバイトがあって、夕方からは陰陽生講義。さすがにそろそろ帰らないと。
そう思って琵琶法師にお伺いを立てたのだが、俺の言葉は琵琶法師の逆鱗に触れたらしい。
「なにを言うておるか!暇乞いなどしていて仙術の境地を知ることなど出来るわけがなかろう」
すでに八時間が経過して状況は何も変わらないのにこのまま続けるの?!
大学は春休みだし、一人暮らしだから親が捜索願を出すような事態にはならないだろうけど。
ただ、気がかりなのはバイトが無断欠勤になってしまうこと。
店長にまた怒られるよ~
「夜明けギリギリまで続けるということですか?」
「何を言うておる。死者に寄り添うことができるまで終わりなどない」
俺は幽世のことを勘違いしていたのかもしれない。
夜明けが来た時にどうなるのか気になったことはあったけど、そういえばちゃんと確認していなかった。
幽世に入っていられるのは日没から夜明けまでではない?!
日没から夜明けまで現世と幽世の扉は開かれているけれども、それ以外でも扉が閉ざされるだけで、そのまま留まることはできるということか。
今後の修行に活かせるかもしれないな。
とはいえ修練場は利用時間が決まっているし、俺が保護もなく幽世に半日取り残されたら、あっという間に取って食われてしまうだろうけど。
受けられなかった陰陽生講義はあとで補習してくれるのかなぁ
「雑念を取り払いなさい。さすれば死者も心を開くはず。ここは晴明殿が遺した高次結界の内側、神域じゃ。安心して修練に励むが良い」
雑念ね。
強くなりたい、霊力を上げたい、お金がほしい、彼女がほしい…
これらを取り除き、心から死者の冥福を祈り続けるということか。そうすれば声が聞こえるようになるのだろうか。
邪魔者が入ってこないから昼でも夜でも気にするなと。
よし、こうなったらとことんやってやる。
*
幽世に入って三日目。
俺は少しずつ死者の声を聞けるようになっていた。
幽世では疲労がないので睡眠も食事も必要ない。ただ、忍耐やストレスといったメンタル面への影響は現世となんら変わらない。
むしろ時間が長いぶん負担も大きい。
二日間飲まず食わず寝る間もなくひたすら死者の冥福を祈り続ける。
現世では考えられない貴重な経験であった。途中何度も意識が飛び、何度投げ出そうと思ったことか、、
しかし、長時間それだけを行っていると自然と雑念は取り払われ、霊との対話だけに喜びを覚えるようになってくる。
人の適応力とは大したものだ。
彼ら彼女らの思いは様々だが、多くは残された家族への思い、恋愛、仕事、友人関係など出来なかったことへの後悔の念が多く語られる。
そんななか出会った五歳の男の子も家族への思いが忘れられず懐かれてしまった浮遊霊だ。
かろうじて肉体は残っている状態だが、交通事故だったらしく、その体は原型を留めないほど損傷している。
無数に飛び交う一つ一つの霊体にもドラマがある。その一部の力を借りて陰陽師達は幽世で活動しているわけだ。
「パパとママはどこいったの?ぼくもおうちかえる」
「今までのおウチには帰れなくなっちゃったんだよ。だから、君は新しいおうちに行って先に待ってよう。パパとママも必ず来るから。ね?」
「ほんと?パパとママもくるの?」
「大丈夫。待ってればいつか必ず来るよ」
「うん。ぼくさきにいってまってる。ありがと。おにいちゃん」
残っていた左手の小指と指切りげんまんをすると、少年は天高く常世へと旅立っていった。
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