第41話 閑話(1)
裏遍路巡り 七箇所目 始式凝術二段
志摩国『天の岩戸』
志摩国がおよそ三万石と狭いのは「御食国」だったことが関係していると言われている。
御食国とは平安時代まで朝廷に貴重な海産物を中心とした食料を貢いだ国のこと。
また、戦国時代に志摩国の一部を伊勢国に併合したため、より狭くなったとも言われる。
何にせよ海の要衝としての重要度は高く、九鬼水軍でも有名な国である。
『天の岩戸』は天照大神が隠れ住んでいたと言われる伝説の場所だ。
初代の頃からここがそう呼ばれていたかは定かでないが、少なくとも裏遍路の一箇所として選ばれた地であることは間違いない。
古事記にも登場し、
この地を流れる「恵利原の水穴」は名水百選にも選ばれ、特に霊気が強い場所としても名が知られているのだ。
幽世に入ると鳥居の下にはまたもや虚無僧の姿があった。まだ二回目だが、すでに定番のスタイル。どうせまたこのまま着いて行って、いつの間にかバトンタッチのパターンなのではないか。
「宜しくお願いします」
「吸わずに感じろ」
返事などないだろうと思っていた予想を裏切り、虚無僧は妙なことを呟く。
全く意味が分からないまま立ち尽くしていると、彼は俺の横を通り過ぎ、神社とは逆の方向に消えていった。
「え?説明終わり?今ので一体何をすればいいんだ」
これまでは彼の言葉も何とか理解できていたが、今回は情報が少なすぎる。せめて主語は必要でしょ〜。
吸わずに感じる。
凝術の教練だから言っているのはおそらく呼吸のことだろう。でも、呼吸法なのに息を吸わずに感じ取る。これが全く分からなかった。
「まぁ、とりあえず先に進んでみるか」
俺が大きな石の鳥居を通り抜けると空気が一変し、キンと空気の張り詰めた世界に一瞬戸惑った。
木立の参道に茜色の木漏れ日がとても美しい。
だが、そんな景色はすぐにどうでも良くなってしまった。
一歩、二歩と進むにつれて空気がどんどん薄くなる。
「はぁ、はぁ」
空気ではなく霊気か?
歩いているだけなのに霊力が急激に減っていく。視界も掠れ、足が鎖に繋がれたように重くなる。
「だめだ。一旦、引き返、、」
次の瞬間、俺の視界は完全に闇に包まれた。
*
気が付くと倒れていたのは鳥居の外。
気を失っただけ。
どうやら死んではいないようだ。
しかし、そのまま放置されていたら俺は絶対常世行きだっただろう。
入るとだんだん苦しくなる。現世でも火災現場なんかだと一酸化炭素中毒などで意識を失う人の話を聞くことがあるけど。こういう状態なのかな。
「吸うな。感じろ」
ふと後ろを振り向くと、そこにはまた虚無僧が立っていた。彼はそれだけを言い残し、また何処かへと去っていった。
「チクショー、どこかで聞いたような名言ばっか言いやがってぇぇ」
小声で愚痴る俺。
とはいえ、何かあればあの虚無僧さんが助けてくれるんだったらひとまず安心なのかも。
普通に鼻や口から呼吸するのは良くないと。今回はそれとは違った呼吸法を習得する必要があるわけか。
それ以外で聞いたことのある呼吸といったら皮膚呼吸くらいだが。
現世だと皮膚呼吸で摂取できる酸素量は微々たるもの。普通に考えると肺呼吸しないわけにはいかないのだが。
ここは幽世。『感じろ』か。
無意識で行われている皮膚呼吸を感じ取り、極少量の霊力でも麗質を上げることで一定時間の活動を可能にする。
そういった理解でいいのかな?
聞きたくても教えてくれないので、ひたすら試すしかない。まず鳥居を入ったら呼吸を止めてみるか。
俺は早速息を止めながら鳥居を潜る。しばらくは呼吸しなくても問題ない。
寧ろ鳥居の外であれば無呼吸でも二十分ほどは活動できるくらい俺の霊力量は増えている。
しかし、鳥居内部は肺呼吸をするたびに霊力を一気に吸い取られてしまう。
だから鳥居内部では肺呼吸を絶対にしない。それ以外の呼吸を感じ取る必要があるのだろう。
そうと分かれば、無愛想だけど子供の頃から見守ってくれている虚無僧さんを信じて、行けるところまでいってみようかな。
幸い鳥居から『天の岩戸』まではそう遠くない。頑張れば無呼吸で往復できなくもないだろう。そこがゴールかも分からないが、鳥居からは一本道だ。虚無僧が立っていたということは奥へ進めと示唆しているのだと思う。
俺は呼吸を止め、鳥居を潜る。
相変わらずの張り詰めた空気だが、やはり呼吸をしなければ倒れることはない。
とっとと奥まで行って状況を確認し、何かを手土産に持って帰ればいいか。
参道をしばらく行くと、両脇に狛犬と石灯籠を配した「二の鳥居」が見えてきた。
それらを一気に通り抜けると、また何やら様子が変わる。
(こんな時に!左に三体、右に二体。脅威度は3程度か。教練中に厄体は出現しないんじゃないのかよ!それも講師次第なのか)
本来であれば大した事ない相手だが、今は霊力をほぼ吸収できていない状態。回復どころか何もしなくても少しずつ霊力が削られている。
式神達も召喚できないし、流し雛なんてとても打てる状態じゃない。鬼切丸の出力を抑えて対抗するしかないか。
こちらの状況などお構い無しに厄体達が襲いかかってくる。
五体の同時攻撃に俺は防ぐだけで精一杯だった。三体ほど斬り伏せたところで霊力が残りわずかとなるも、視界の先には新たな援軍の姿が。
そして、また俺は意識を失うのであった。
*
結局、教練開始から一週間が経過した。
俺は皮膚から霊力を吸収する『深皮呼吸』なるものを習得し、最奥にある修印帳を鳥居まで持ち帰ることができた。
何十回意識を失ったか分からないが、そのたびにスタート地点の鳥居まで虚無僧さんが俺を運んでくれていたのだと思う。
たまに姿を見せても相変わらず喋るのは「吸うな。感じろ」ばかりだったけど、技の名称だけは最後にボソッと教えてくれた。
皮膚呼吸による酸素吸入量は肺呼吸の0.6%。幽世内での霊力も同じく本来はその程度の集量にしかならない。
この教練で皮膚からの霊力集量は以前の数十倍になったと思われる。参道の厄体との戦いでも苦しむことなく浄化できるまでになった。
デバフのないここ以外で使用すれば霊力の量、質ともに大きく向上していることだろう。
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