第42話 閑話(2)

裏遍路巡り 八箇所目 始式操術二段

対馬国『神ノ島』


 対馬空港からレンタカーで一時間。

壱岐対馬国定公園に指定されている浅茅湾は日本でも有数のリアス式海岸地帯だ。

 そこから北西に少し行ったところに教練の地『神ノ島』がある。


 本島から離れたその島は現世だとボートでもなければ辿り着けない。

 ただ幽世では泳ぎの名手『百水』がいるので、背中に乗せてもらい、ものの数十秒で到着。


 日没とともに幽世に入ってから待つこと十分。まだ辺りには誰も現れない。


「場所間違えたかな?虚無僧さんの話だと『神ノ島』で間違いなかったと思うんだけど」


 志摩国で聞いたのは「つしまのくにかみのしまへ」。あの人が国名まで言ってくれたんだから、間違いないだろう。 


「こっち側にいないとすると反対の方か」


 この島くらいの広さであれば幽世ならあっという間に一周できる。


 俺はのんびりと西側に移動した。


 それらしき人物は見当たらず辺りを見回すと、右手の浅瀬の方で蠢めく何かが。


「ん?誰かいますか?」


 目を凝らしよく見ると、そこにいたのは困り顔の人魚だった。


「おお、そなたが迦具夜の言うておった後継者か。ちょっと手を貸してはくれんかえ」


 話し方とのギャップが印象的だが、茶色がかった黒髪に透き通るような白い肌。見た目は麗若き乙女といった半人半妖の生物がそこにいた。

 下半身の感じからすると魚というよりは鰐なのかもしれない。


 浅瀬を泳いできたのだろうか。ところどころ擦り傷があり、岩に座れず藻掻いている。


「これ、どうぞ」


 俺はうまく座れるよう手を貸し、持ってきていた『治癒の霊符』を手渡した。


「あれま、顔に似合わず優しいのう。有難く使わせてもらうぞ」


 人魚が霊符をペタペタ貼り付けると、傷はみるみる消えていった。


「あなたが始式操術を教えていただける講師の方ですか?」


「いかにも!儂はこの地一体を治める豊玉姫命!、、の使徒である」


 キリッみたいな顔をしているが、ついさっきまで岩に座れず傷だらけで藻掻いていたことをもう忘れているのではないか。

 

「ただあれじゃ。我が主は最近、引き継ぎしたばかりでな。まだこの地域を治めるようになってたったの百五十年ほどしか経っておらん」


 神からすると百五十年も一時か。

 確かに始式の教練だったら当時の関係者が適任ってことになるのかな。


 江戸時代までこの地域を治めていた八幡神は『八百万の神』とも言われ、日本の神社において最も多く祀られている神様である。


「八幡神も忙しいお方じゃからな。声をかけてもいつ返事があるかどうか。良く滞在しているのは京方面なんだが」


「すると、あなたから始式について教わることはできないのでしょうか?」


「いんや、儂の技術で良ければ伝授できるぞ。お主の先代達もそうしてきたからな。八幡神には別の場所でも会えるであろう」


「そうですか!では、是非お願いします」


「儂は龍族といっても大した技を持っていなくての。できるのは体を硬化させることくらいなんじゃが、それでも良いか?先代達は『極硬』などと呼んでおったが」


「はい。宜しくお願いします」


「うむ。承知した。実は教練はすでに始まっておった。霊符をくれた時点で後継者としての適性はグーじゃ」


 といって人魚は親指と人差し指で輪っかを作る。


「あれも教練なんですか」


「儂に限らずそうしている者は多いと思うぞ。強大な力を悪用されては困るからな。何かしらの方法で人となりの確認もせねばならん」


「なるほど、そういうもんなんですね」


 良かった。前回の試験で傷だらけになったから『治癒の霊符』を多めに作ってきたのが功を奏したようだ。


「まぁ、やることは至ってシンプルで、操術を使って瞬間的に一箇所へ霊力を集めて硬化するだけじゃな」


 簡単そうに仰ってるけど、これは確実に難しい。

 田沼式で言う『霊衣』を一箇所に集めて層にするイメージかな。


 こうして、こうして、こうか。

 ん?こうかな?


「考えているだけでは出来るようにならないからの。準備が出来たら確認するから言うておくれ」


 見ると、人魚の脇には二メートルくらいありそうな分厚い刀が地面に突き刺さっている。


「そ、それはどう使うおつもりで?」


「ん?これは『龍斬刀』というてな。お主の腕を切断しようと思うとる。だから腕が無くならないよう『極硬』で強化するのじゃぞ」


「え―っ!そこまでしなくても!そんな荒療治なやり方じゃなくて、もう少し穏やかな確認方法はないですかね?せめて木刀で叩いてみるとか?」 


 すでに切断って言っちゃってるし。


「そんなことでは分かるものも分からん。儂は龍族の中で最も非力なのじゃぞ!これでも一番小さな爪切り用を使うとるのに」


 龍も爪切りするのか。

 って、そんなことに感心している場合じゃない。

 龍の爪が切り落とせる刃で俺の腕を攻撃するなんて、包丁で豆腐を切るみたいなものじゃないか。


「もう!分かりました!じゃあ、最初は触れる感じですこーしずつ強く、いや強くなくてもいいですけど。本当にそうっとお願いしますよ。そうっと!」


「了解した!」



「ぎゃーーー!!またダメか――!」


 腕を切り落とされるこの痛み。

 集術で指が折れた時もきつかったけど、そんなもの比じゃない痛さだ。何度切られても毎回吐き気を催す。


「ほれほれ。すぐに戻してやるからそんなに騒ぐな。こんなもの唾つけておけばすぐにくっつくんじゃから」


 龍の唾はどんな霊符にも優る最高の治療薬らしい。

 そもそも怪我なんかするのかとも思うが、防御力に回復力、どれをとっても最強レベル。それが龍族なのであろう。 


 結局、


 俺が龍斬刀を止められるようになるまでに要した期間は過去最長の一ヶ月と十日。


 大学の必修科目出席のため、一時的に現世へ戻った時は涙が出るほど嬉しかったものだ。

 可愛い容姿に容赦なく切り刻まれたこの期間はまさに生き地獄という言葉が相応しい。貴重で過酷な時間となった。

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