第6話 陰陽反転

 試験官の説明によると、選考はさっき聞いた通り第一に幽世への移動、第二に幽世内での耐久性確認の二段階になるそうだ。

 

 とにもかくにも、まずは自力で幽世に入らなければ話にならない。


 実は幽世に入ることのできる時間というのは日没から夜明けまでと決まっている。


 今日でいうと日の入りの午後四時四十四分から明日の午前六時五十一分まで。

これは試験だからそうなのではなく常に変わることのない自然律だそうだ。


 世の中にはプラスとマイナス、表と裏など相反する関係のものが多く存在している。

   

 これらの関係性を陰と陽で認識するのが陰陽道の基本的な考え方で、今回の場合それが昼と夜の切り替わりということになるらしい。


 それが何を意味するのかというと切り替わりのタイミングが最も二つの世界の関係性が不安定になるということだ。


 言ってみれば、幽世に移動できる時間帯の中で『陰陽反転』の成功率が一番高くなるのが日の入りの時間なのである。


 すでに他の受験生達は一様に各自の方法で準備に取り掛かっていた。


 方法については他者からの援助がなければ自由。

 逆にやり方を指定してくれたほうが努力の方向性が定まるのだが、自由とのことなので何かしら自分なりの手段を即興で考えなければならない。


 試験だから無闇に教えられなかったのかもしれないが、この辺もさっき田沼さんに聞いておけば良かった。


 周りを見渡すと、早速何かの呪文を唱えるもの、床に簡易的な方位陣の準備をするものなど様々だ。


 正座美女は目を閉じたままさっきから全く動かない。特に詠唱しているわけでもなく瞑想中といった感じ。

 

 三十路男性も同じくさきほどと変わることなく腕を組み、準備体操なのか首をゴキゴキと鳴らしている。


 現在の時刻は午後四時四十三分。

 日の入りまであと一分。


 地下なので実際の太陽の動きは分からないが、外ではすでに太陽は見えず、空がオレンジや赤、紫のグラデーションに染まっている頃だろう。


 すると、その時


 横目でチラチラ観察していた正座美女と三十路の体が急激に薄くなっていく。

 一瞬目の錯覚かと思ったが、二人はそのまますぐに見えなくなってしまった。時間にしたらおそらく一秒もかかっていないだろう。


 今のが『陰陽反転』?


 まだ日の入りから十秒も経ってないというのに。

 二人とも呪文の詠唱や道具などを使うことなく、さきほど見ていたままの状態で消えていった。


 そうか。慣れると何も使うことなく幽世に入れるんだな。


「五番と三十六番、移動確認しました」


 内容を説明してくれていた試験官が誰かに連絡をとる。


「引き続き耐久性試験に入ります」


 目の前に立っていたもう一人の試験官らしき人物はそう言い残し二人と同じく消えて行った。


 開始から五分。

 俺を含めた残り六名のうち二名の姿も見えなくなっている。


 確か彼らは床に胡座をかくような姿勢で座り、両手で印を結びながら聞いたことのない呪文を唱えていたが。


 俺もその方法でやってみようかな。


 方位陣なんて描けないし、数珠すら持っていない俺ができることといったらそのくらいだろう。


 でも、印ってどんなふうに結べばいいんだ?


 手を合わせるだけでもいいのかな。

 素人丸出しで恥ずかしいけど。

 そういえば時間は平気だろうか?


「あの?すみません。この試験に時間制限はありますか?」


 俺は恥を忍んで試験官に尋ねる。


「特に決まってないよ。ただ、時間が経つに連れて現世と幽世の関係性が明確になるから、どんどん成功しづらくなってしまうね。こちらでこれ以上無理だと判断した場合は中止させてもらうこともありうるよ」


「分かりました」


 制限がないのはとりあえず安心したけど、確かにおっしゃる通り。

今入れなければもう無理だろう。


 他の受験生がニヤついてこっちを見ている。俺だって出来るなんて思っちゃいないさ!


「まぁ、今日がダメでも一次試験は一年間免除されるから。自分なりの手法を模索して再度受験するといいよ。あまり気を落とさないで」


「はい。有難うございます」


 今日がダメでも次があるか。


 毎月受け続ければそのうち努力が実る日があるかもしれないけど、せっかくここまで来たんだし、諦めたくはないな。


 とりあえず他の受験生がやっていたように印を結びながら知ってる呪文でも唱えてみるか。


 試験官の言葉で少し肩の荷が降りた俺は、やるだけのことはやってみようと気を取り直し、見よう見まねで試行錯誤してみることにした。


 そうこうしている間にも他の受験生は一人また一人と成功していく。


 えーと、まずは


(急急如律令、急急如律令、急急如律令)


 んー、変化なしか。

 じゃあ次。


(臨兵闘者皆陣烈在前、臨兵闘者皆陣烈在前)


 俺はなんちゃって印を結びながら、ひたすら知ってる呪文を繰り返す。


 これもダメか。

 そりゃこんなデタラメで成功するんだったら苦労しないよね。


 呪文ってあと何があったっけか。

 えー、呪文呪文。


(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)


 俺は知っている呪文を組み合わせ、抑揚をつけたり、速度を落としたりと考えられることを試す。


(南妙法蓮華経、南妙法蓮華経)


 くそ〜、なんでうんともすんともいかないんだ。

 気が付くと日の入りからすでに三十分が経過している。

 最初に成功した二人はその後の耐久性試験なるものもクリアし、すでに合格者となったらしい。


 やばいやばい。早くしないとどんどん入れなくなる。


そして、とうとう残りは俺一人になった。


「十九番の人。そんなに大きな声を出さなくても大丈夫だよ」


「あ、すいません」


 焦りのあまりつい声が大きくなってしまっていた。


 もう呪文も思い付かない。道具なんて持ってないし。出直して誰かに教えを請うしかないか。


「どうする?今回はここまでにしておくかい?」


 試験官が若干憐れみの表情で提案する。


「もう少しだけ、やらせてください」


「陰陽反転は霊力を感じることが重要だよ。他の人のような霊気のこもった道具は持ってきてない?」


「道具は何も持ってきていなくて、、ん?」


 そういえば俺が持っている霊気を帯びたものと言ったら一つしかない。


 俺はポケットに手を突っ込み念じる。


(頼む。迦具夜。力を貸してくれ!)


 ポケットの紙切れを握りしめ先週の出来事を振り返る。

 

あの時の光景はどうだったか、

音、香り、移り行く感覚

あの時、俺は何を感じていた?

思い出せ。


 すると、重く鈍い衝撃とともに視界に映る天地が逆転していく。

 

 目に射し込むのは茜色の光


 成功したのか?

 それとも失敗?

 意識は、、ある


 体に力が入らず、視界も定まらない。

 上下の区別がつかなくなり浮遊感が俺を包み込む。


 やっぱりダメか?!


 しかし…


 微かに聞こえたのは試験官の掠れゆく「おめでとう」の言葉だった。

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