25.香子先輩と夏祭り 前編
「その前にもう一つあるじゃないですか。祭りの夏が」
僕が反射的にそう口走ると、香子先輩がぽかんとなる。
いつも凛としている先輩にはめずらしい、無防備な表情だ。それだけ僕の発言が突拍子もなかったのだろう。
やがて、開いていた口元がきゅっと結ばれ、にやりと吊り上がる。
「それってつまり、夏祭りデートのお誘い?」
「で、いや、別に僕とじゃなくても、誰か誘って……」
口に出してから後悔する。
どうして僕はいつも反射的に引き下がってしまうのだろう。
香子先輩はつまらなそうに肩をすくめる。
「誰か、ねえ。じゃあキミはわたしが〝伯鳴高校の流川〟と夏祭りに行ってもかまわないっていうの?」
「あ、そのネタ本人が嫌がってるみたいなんでやめてあげてください」
「あんな人混みの中を一人で歩いてたら、絶対ナンパされるわ。それなら行かない方がマシね。あーあ、せっかく受験勉強前に英気を養えると思ったのに。残念だわ……」
香子先輩は頬杖をついて、窓の外を向いた。
その目は切なげに細められている。
絶対に演技だが、もはやそれに乗らないという選択肢はなかった。
「……わかりました。行きましょう、一緒に、夏祭りに」
「夏祭りデートに?」
「……はい、それに」
「じゃあ、あとで合流場所を送るから、待ち合わせしましょ」
香子先輩は荷物を持っていそいそと立ち上がると、
「それじゃお先、女子は準備に時間がかかるから」
と妙にテンション高めに去っていった。
「……夏祭りデート」
残された静けさの中で繰り返す。
ほんの数分前まで、夏祭りへ行くつもりなどなかったのに。
むしろ、あんな人混みの
香子先輩は成績上位者のはずだが、受験勉強はよほど気が重かったのだろう。
同行者なんて誰でもいいから、夏祭りでパーっと気晴らししたいくらいに。
まあ、運が良かったということで、ありがたくこの幸運を受け入れておこう。
そんな風に納得したところでスマホが鳴った。
媛宮からの電話だ。
メッセージのやり取りなしに、直に電話をかける行為、いわゆる
メッセージをこまめに確認する習慣のない僕に、媛宮がしびれを切らせただけ。
そういう単純な話である。
『今日の夕方からヒマでしょ』
「何その決めつけ」
『そんなさびしい島津に、うれしいお知らせがありまーす』
「何その押しつけ」
『女バスの綺麗どころと一緒に、な・つ・ま・つ・り、行きたくない?』
年上のお姉さんぶった口調だが、媛宮がやるとギャグでしかない。
「いや、僕はちょっと……、シューターは人混みが苦手なんだ」
『バスケ関係なくない?』
「バスケットボールは人生。プレースタイルに性格が出る」
『そう言われるとそうかも』
「というわけで、じゃあ」
『待てい!』
大声に思わずスマホを耳から遠ざける。
「……なんでそんなに誘ってくるわけ」
『だって、島津に興味があるから……』
電話口の声は控えめで、それでいて芯がはっきりしている。
秘めていた本心を打ち明けようと、勇気を振り絞ったことが感じられるような
『女バスの子たちがね』
気が一瞬だけしたが勘違いだった。
「どういうこと」
『男バスの新副部長を色仕掛けで
言われてみれば、媛宮の後ろでは女子の騒がしい声が聞こえる。
響き方からして室内のようだ。まさか女子更衣室……?
『で、どうなの?』
「その裏話を聞いて、じゃあ行こうかって言えるタフな男ではないので……」
『そんな気はしてた』
「だいたい媛宮は瀬川先輩と行きたいんじゃないの」
『誘ったけど、用事があるからって断られたの』
「へえ……」
『で、どーすんの結局』
香子先輩は媛宮の誘いを断った。
そのあとで僕の誘いは受けてくれたのか。
……あれを誘ったと言っていいのかわからないが。
ということは、用事よりも僕との夏祭りを優先してくれたのか。
それとも、最初から僕と一緒に夏祭りへ行くつもりだったのか。
仮にその気があったとしても、先輩から切り出していたとは思えない。
こういうことは先に誘った方の負けだ。
香子先輩はそう考えるに違いない。
ゆえに、向こうから誘ってくることはなかっただろう。
誘うか誘われるかのチキンレース。
相手が何も言いださなければ、最悪の場合、夏祭りの話そのものが流れていたかもしれない。そんなダメ元で構わないという、軽い気持ちだったのだろうか?
そうは思いたくないが、そうとしか考えられない。
だって、僕が夏祭りの話を出したのは、香子先輩を励まそうとしたからだ。
そんな偶然に頼るわけがない。
……いや、偶然ではなかったとしたら?
思い返してみよう。
『自分は次は受験の夏だ』と言って落ち込んでみせる香子先輩。
それに慌ててフォローを入れる僕。
ここで夏祭りの話をしたから今の流れになっている。
では、仮に夏祭りの話をしなかった場合はどうか。
香子先輩は、何か気晴らしがしたい、とでも返すのだろう。
言われてまた僕は考える。沈んだ気分を変えられるような〝何か〟はないか。
――そうだ、今日は夏祭りじゃないか、と思い至る僕。
結局、どちらにしても夏祭りへと誘導されていたわけだ。
香子先輩の手のひらの上で踊らされていた事実に、しばし呆然となる。
『おーい返事しろー』
◆◇◆◇◆◇◆◇
待ち合わせ場所は、夏祭り会場である神社の最寄り駅だった。
香子先輩を乗せた列車が到着するまでの、あと数分がとても待ち遠しい。
夏祭りデートが楽しみだという気持ちはある。
が、それだけではない。
下剋上の予感だ。
これまで僕たちの力関係は、完全に香子先輩が上だった。
しかし、今、ここからは違う。
なんだ香子先輩実はむちゃくちゃ夏祭り行きたかったんじゃないですかー、自分から誘うのは負けた気がして嫌だからって、そんな回りくどいことをして、こっちの誘いを引き出そうとするなんて、駆け引き上手っていうか、可愛いところありますよねー、と。
要するに、先輩の狙いを見破って、気が大きくなっていた。
どれだけきれいに着飾った服を見せられようが。
こちらの動揺を誘うために身体を密着させられようが。
甘い言葉で僕の心のやわらかい場所を締め付けてこようが。
すべて耐えられる自信があった。なんなら反撃もできそうだ。
ガードレールに腰かけて香子先輩を待ち構えていると、やがて甲高いブレーキ音とともに列車が到着する。
駅舎からぞろぞろと吐き出される乗客たち。
たくさんの人混みの中から香子先輩を探した。
――これは見つけるのに骨が折れそうだ。
その予想に反して、香子先輩はあっさりと見つかった。
夜の闇は光を際立たせる。
そんな当たり前のことを忘れていたせいだ。
闇夜に咲く花。
浴衣姿の香子先輩は、その一言だった。
白の下地に、紫色の朝顔が咲き乱れている。
華やかなデザインと、落ち着いた色合い。
その絶妙なバランスによって、上品な色気が成り立っている。
色白の肌は薄闇のなかでぼんやり光っているかのようだった。
ひときわ目立つのが唇だ。
昼間とは違う色合い。
口紅が塗られているのが暗がりでもはっきりわかった。
髪型にも変化をつけていた。
和装でよくあるように、髪の毛は後ろで束ねて持ち上げてある。
流れるような後れ毛と、露わになったうなじのコントラスト。
そこを見せつけるように横を向けていた顔を、正面へと戻す香子先輩。
いつの間にか目の前までやってきていた。
「けっこう気合入れたんだけど。……その、どうかしら」
こちらの反応を探るような上目遣い。
その瞳には、いつもの自信に満ちた力強さはなく。
不安をたたえて弱々しく揺らめいている。
いろいろなところが、普段とはあまりにも違いすぎて。
僕はしばらく目の前の綺麗なひとに反応できなかった。
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