14.香子先輩の信奉者
香子先輩との二人旅以降、季節は本格的に夏へと移っていった。
放課後の体育館は蒸し暑く、すべての窓を全開にして、さらに出入り口で大型扇風機をぶん回すことで、どうにか暑さをしのいでいる状況である。
そんな中でもみんな熱心に練習しているのは、インターハイの県予選が迫っているからだ。特に3年生はこの大会を最後に引退する人がほとんどなので、気合の入り方が違う。
とはいえ、この暑さの中で無理は禁物だし、練習にはメリハリが大切ということで、こまめな休憩と水分補給が推奨されていた。
休憩に入るとき、僕は男女のコートを分けるネット際へ移動するようにしている。香子先輩の勇姿がよく見えるからというのが一番の理由だけど、もうひとつ、
「あーもう、ほんと、あっつい……」
「瀬川先輩は涼しい顔してるよ」
口を半開きにしてシャツの首元をぱたぱたさせている媛宮にそう声をかけると、シュッと背筋を伸ばして表情を引き締めた。
「あたしさっき、こーこ先輩がフェイク入れたときに落ちた汗ですべっちゃった」
「それ自慢げに言うこと?」
こんなやり取りも日常的なものになっている。
香子先輩との朝帰りを目撃されたあの日。
媛宮にはかなり詳しい事情を話す羽目になったのだが、その中でひとつだけ嘘を混ぜた。〝ホテルでは別々の部屋に泊まった〟という嘘を。
同じ部屋に泊まった事実の方が嘘っぽいので、あっさり信じてくれたのだが。
事実を知られていたら、媛宮の態度はもっと攻撃的になっているだろう。
今のところ僕たちは同じ
「島津はそういうの、うれしくないの? 先輩と関わってるって実感しない?」
「僕の感性にはちょっと合わないかな……」
言葉を選んでやんわりと否定しておく。同士ではあっても同類ではないのだ。媛宮が香子先輩に向ける視線はときどきネットリしていて、大丈夫かこいつと不安になることがある。
「ふーん……。ところで、さ」
媛宮はきょろきょろと周りを見回し、他人に聞こえないよう声音を下げて問うてくる。
「こーこ先輩ってホントに別れたの?」
「うん、間違いないよ」
思い出すのはあの日の光景だ。
古びたアパートの狭い路地裏。
高明先輩がわざと軽薄な言葉を吐いて。
それに香子先輩は物理攻撃で応じた。
あのとき二人の関係は終わったのだ。
――いや、少し違うかもしれない。
彼氏彼女という関係自体は、ずいぶん前に形骸化していた。
それを物理的な距離があいまいにしていたのだ。
目を逸らしていたものが、再会によって明らかになっただけ。
あれは、たぶん駄目だろうなという予感を、やはり駄目だったと確認するための儀式だったのだ。だから――
「ヨリを戻す余地はないと思う」
「でも、それにしては全然ショック受けてないよね。喫茶店で話を聞いたときは、強がりかなって思ってたんだけど、ずっと平然としてるし。むしろ、今の方が調子よさそう」
媛宮はコート内の香子先輩に目を向けた。そのプレーはいつもどおりの女帝ぶり。パスにシュートにと縦横無尽に駆け回っている。美しい。
「だね。モヤモヤしてたのが吹っ切れたってことじゃないの」
「それだけかなぁ……」
「何かあるの?」
「先輩が言ってたじゃん。いっぱいなぐさめてもらったって」
媛宮がジトッとした目を向けてくるが、もう慣れてしまった。
「あれは先輩流の冗談だよ」
「あたしは冗談めかせた照れ隠しって思ったけど」
「僕に先輩を照れさせるほどの人間力はない」
「だよねぇ」
辛辣ぅ。
「……でも、だからなおさら気になるっていうか」
厄介な信者ゆえの執着か、媛宮の追及がしつこい。
ここは逃れるために奥の手を使おう。
「ごめん、ちょっと」
「どしたの?」
「ポカリ飲み過ぎたからトイレへ」
「なにやってんのよ……、じゃああたしも」
「えっ」
まさかトイレまでついてくる気?
「連れションとか思った?」
「女の子がそういうこと言わないでほしい……」
「おうおうシャイボーイめ」
「どういうキャラだよ……」
「島津の生理現象は関係ないの。今ちょうどこーこ先輩が休憩に入ったところだから、会いに行こうと思って」
相変わらず香子先輩のこととなると目ざとい媛宮だった。
しかしその計画は、思わぬ来客によって失敗に終わることになる。
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