13.香子先輩と媛宮乃愛
「実はね、わたし、浮気されてたの」
香子先輩は自らの醜聞をあっさり媛宮に明かしてしまった。
「ちょ、なんで言っちゃうんですか?」
僕は媛宮に聞こえないよう小声で尋ねる。
「だって仕方ないでしょ。媛宮さんって結構グイグイ来るタイプだから、ここでごまかしたって逃げきれないもの。だったらこの場でぜんぶ話した方がいいわ」
「それはまあ、そうかもしれませんけど……」
「そういうことだから」
香子先輩は媛宮に向き直り、彼女にも聞こえるような声で言った。
「大丈夫よ、媛宮さんは人の秘密を言いふらすような無責任な子じゃないから」
「こーこ先輩……」
尊敬する先輩からの信用がよほどうれしかったのか、媛宮瞳を潤ませる。
「いや、僕だって信じてないわけじゃないですけど」
「歯切れが悪いわね、用心深さも度が過ぎれば臆病者よ?」
ニヤリと口元を上げてからかってくる香子先輩。
媛宮もそれに乗っかって、ジトッとした目を向けてくる。
「……わかりましたよ。どうぞ好きにしてください」
「よし、じゃあいつもの場所、行きましょうか」
「え?」
「お腹もすいたし、モーニングでも食べながら話しましょ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
いつもの場所――すなわち香子先輩の恋愛相談に乗っていた喫茶店へとやってきた。
ただし、今日は二人ではなく三人だ。
メイド服の店員さんが、僕たちを見てわずかに目を丸くした。
いつも二人で利用していたのが、急に一人増えたものだから、どういう関係なのかと思われているのかもしれない。
――端的に言って邪魔者だ。
聞かれていないが心の中で愚痴をこぼす。
僕にとってこの喫茶店は、香子先輩とのつながりの象徴。秘密の場所だった。
それが今は、媛宮乃愛という異分子に侵食されている。
「ねえ島津」
「何?」
「いつもの場所って言ってたけど、ここ、よく二人で来るの?」
「別に」
「……なんか怒ってる?」
「別に。疲れてるだけ」
「あっそ」
ケンカ腰で応じてしまったことへの当てつけか、媛宮は香子先輩の隣にほとんど密着するように座り、得意げな笑みを向けてくる。
少しイラっとしたが、こんなことで取り乱すのは格好悪いと感情を抑えて、反対側の席の、香子先輩の正面に腰を下ろした。
「さてと、それじゃあ島津君、説明お願い」
「何も言わない方がいいと思いますけど……」
「わたしが許可します。今回の一件を客観的に見たのはキミだけだから」
「……わかりました」
昨日と今日で起こったことは、誰にも話したくなかった。
香子先輩たちにとってあまりに個人的な事柄、しかもスキャンダルのたぐいだ。
本人の許しがあったとしても、この手の話を口外したくはない。
――というのは建前である。
香子先輩の秘密を独占している優越感が、薄れてしまうのが嫌なだけだ。
しかし、他でもない本人の指示ならばもう逃げられない。
どこを語り、どこを語らないのか。
少し考えてから、話を始めた。
「倉知先輩が浮気してたなんて……」
高明先輩のアパートを訪問、そして浮気発覚まで進んだところで、いったん話を止めた。
敬愛する香子先輩が付き合っている相手から軽んじられていた事実に、媛宮はショックを受けている様子だ。
その気持ちはわかる。僕もショックだった。
しかし同時に、今が話を終えるチャンスだとも思っていた。
浮気に関する情報は、ここまでで十分に伝えられた。媛宮がショックを受けている今ならば、話を打ち切っても不自然に思うような余裕はないだろう。
というか続きの展開が危険すぎるのだ。『トラブルで列車が止まって帰れなくなりホテルで一泊の件』は絶対に話せない。
僕たちがモーニングセットを食べているあいだ、媛宮は難しい顔でテーブルを見つめていたが、
「……あのっ!」
香子先輩が食後のコーヒーを口にしたところで、我慢の限界がきたのか顔を上げた。
対する先輩はカップを持ったまま、優雅に顔をかたむける。
「どうしたの?」
「その……、大丈夫ですか?」
彼氏の浮気にショックを受けてないですか? という意味の問いかけを、直接的な単語を使わずに行うあたりに媛宮の気づかいがうかがえる。
「あたし、いつもこーこ先輩にアドバイスをもらったりして、助けられてきました。だから、今度はこっちが先輩を助ける番です。あたしなんかじゃ頼りないかもしれないですけど、力になれることがあったら、なんでも言ってください」
「ありがとう、その気持ちだけで充分うれしいわ。それに、あまりショックは受けてないから」
「そう……ですか」
実質的な拒絶の言葉にしょんぼりする媛宮。
香子先輩はそれに追い打ちをかけるようなことを言う。
「だって、島津君にいっぱい慰めてもらったから♪」
「♪じゃないですよ何言ってるんですか!?」
反射的にでかい声を出してしまった。
が、香子先輩はまるで気にせず、おかしなノリで続ける。
「えー? あの熱い夜を忘れちゃったの?」
「ちょ、捏造しないでください」
「――あの熱い夜って何」
媛宮がすごい形相で割り込んでくる。
「なんでもないって、先輩の冗談だから」
「ずるい、あたしそんな冗談言ってもらったことない」
「そっちはなんで張り合ってんの?」
「ふふっ、媛宮さんそういうキャラだったのね」
「先輩も面白がらないでください」
ノリの異なる女子二人を相手にすることの忙しなさよ。
しかし、そんなバタバタとした状況は、そう長くは続かなかった。
「さて、と。そろそろ部活に行く準備をしないと」
香子先輩がそう言って立ち上がったからだ。
もともと部活へ行く途中だった媛宮も席を立つ。
「あっ、あたしも一緒に……」
「あら? いいの?」
そこでまた香子先輩が余計なことを言う。
僕の方を指さして、
「島津君の話、まだ続きがあるのに」
「ないですよ」
「あるんだ……」
香子先輩が通路へ出ると、媛宮はそれに続かずにまた座り直した。
テーブルの上に身を乗り出して、じっと視線で圧をかけてくる。
「というわけで先輩命令ね。媛宮さんにちゃーんと全部、話すこと」
「全部といいますと……?」
「もちろんあの熱い夜のことも、よ」
「だから言い方……」
「支払いは済ませておくから」
先輩は注文伝票をひらひらさせながら去っていく。その後ろ姿や足取りだけでも、僕たちをからかって楽しんでいるのがわかった。
「まったく……」
ため息をついて視線を戻すと、媛宮がジトッとした目でこちらを見ていた。
「女子に払わせるなんてダサ」
「いや、半分はこれからの労働への対価だから」
「へーあたしと話をするのは島津にとって労働なんだ」
「もう半分は、先輩が自分の心を満たすために払ってる」
一般的に、先輩風や先輩
しかし香子先輩のそれらは違う。
香子先輩の先輩風はさわやかな風量とフローラルな香りで僕の心を癒してくれるし、香子先輩の先輩面は美しいだけではなく茶目っ気もたっぷりで僕の心を満たしてくれる。
「なんかムカつく」
「今日は当たりが強くない?」
「こーこ先輩、あたしたちの前じゃあんな風に〝自分が先輩〟って態度を取ってくれないのに、なんで島津に対してだけ……」
媛宮はぶつくさ文句を言っている。
しかし、その気持ちはよくわかった。
イメージがまるで違うのだ。
女子バスケ部における香子先輩は、孤高のイメージが強い。
後輩の指導には消極的だし、人前でみんなをまとめるタイプでもない。人を動かすのは試合の中だけだが、そのプレースタイルだって協調というより唯我独尊。つまり自分の好きなようにやっていて、それでも確かな実力ゆえに一目置かれている。
ところが今日の香子先輩ときたら、後輩をからかって楽しむお茶目なキャラだったものだから、そのギャップに媛宮は戸惑っているのだろう。
「瀬川先輩にも羽を伸ばしたい気分のときがあるんだよ、きっと」
なんとなく話がまとまった雰囲気を出しつつ、席を立とうとする。
「……ちょっと、なに帰ろうとしてんの」
――しかし回り込まれてしまった!
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