29.香子先輩の違和感
香子 > キミの家の最寄り駅って〇〇駅?
島津 > はい
島津 > どうしたんですか
香子 > 明日からそこで降りるから
島津 > 歩く距離が長くなるんじゃ
香子 > いいのよ
香子 > 一緒に登校したいから
香子 > そういうの、したことなかったでしょ
島津 > そうですけど
香子 > 駄目?
香子 >〝大きな瞳を潤うるませる猫のスタンプ〟
島津 > 駄目じゃないです よろしくお願いします!
島津 >〝親指を立てるご当地ゆるキャラのスタンプ〟
香子 > じゃあ明日駅で待ってて
香子 >〝ウインクする猫のスタンプ〟
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このようなやり取りがあったのが昨日の夜のこと。
そして今朝はメッセージどおり、香子先輩と一緒に登校している。
僕は部活なのでジャージ着用。
香子先輩は夏期講習なので制服着用。
今まで一緒に下校することはあっても、登校はなかった。
朝から二人並んで歩くのは、それだけで新鮮な気分だ。
いずれ夏休みが終わって授業が始まり、憂鬱な月曜日がやってきたとしても、隣に香子先輩がいるだけで気持ちが晴れるだろう。
……そんな風に浸っていると、
「わたしと仕事、どっちが大事なの?」
突然、香子先輩が問い詰めるような口調で言った。
「えっ、それは……、比べるものじゃないのでは……」
「まあ、そういう答えになるわよね」
「どうしたんですかいきなり」
「昨日見てたドラマでそんなセリフがあったのよ」
「修羅場ですか」
「彼氏に詰め寄られたヒロインも、キミと同じことを言っていたわ」
「へえ……」
相槌を打とうとして違和感に気づく。
「……え? 彼氏が言うんですか?」
「彼氏はダメ男で、仕事のできるヒロインに養われているヒモなの」
その時点で二人の幸せな結末が想像できない……。
「ああ、でも、家事はちゃんとやるタイプなんですよね。主夫的な」
仕事はできるが私生活が壊滅的な女子を、生活力のある男子が支えていく。そういうタイプのお話なのだろう。
「そう見せかけるために家事代行を雇ってるの、しかもヒロインのお金で」
「キツめのクズですね……」
「さらにその家事代行の主婦とドロドロの不倫関係に……」
「そんなクソドラマ見てて大丈夫なんですか受験勉強は」
思わず香子先輩の現実の方を心配してしまう。
「大丈夫よ、ただの息抜きだから」
「そうですか……」
もしかして先輩は疲れているのかもしれない。
疲れていると無為に時間を過ごしてしまうことはよくある。
「話の中身は割とどうでもいいのよ」
香子先輩が笑う。こちらの心配を払拭するように。
「どうでもいい話をキミとしながら登校するこの時間に、わたしは価値を見出しているんだから」
時々投げ込まれる、まっすぐで強めのパスに、僕はまだ上手く反応できない。
こんなうれしいものに慣れる日が来るのだろうか。
「えっ、と……、僕もこの時間は、うれしいです。時は金なり……じゃ足りない、金より高価な何かだと思います」
「何そのぎこちない日本語」
また香子先輩は笑う。
楽しそうなら何よりだ。
そして楽しい時間は過ぎるのが早い。
もう学校についてしまった。
夏休みという時節柄、生徒の数はそう多くないが、香子先輩を見かけた生徒――特に3年の男子――がこちらに注目しているのを感じる。
「じゃあ部活がんばってね」
「はい、香子先輩も」
「ええ。……その前に、はいこれ」
校庭の中ほどで声を掛け合っての別れ際。
香子先輩がカバンをごそごそとまさぐって巾着袋を取り出した。
それを震える手で受け取る僕。
「……これは、まさか」
「そのまさかよ。しっかり味わって食べなさい」
◆◇◆◇◆◇◆◇
夏休みの男バスは、基本的には気温があまり上がらない午前中のみ。
午後からは自主練となっている。
今は昼休みで、体育館の隅で弁当を食べているところだ。
「あれ、今日は弁当なんだな」
いつもはコンビニのパンで済ませている僕が弁当なのに気づいて、粟木が声をかけてきた。
「そういう日もある」
僕は内心の喜びをそっと抑え、落ち着き払って返事をする。
なんといっても香子先輩の手作り弁当だ。
まず喜びが先に立つのは当然だが……。
少しばかり戸惑っている部分も、正直ある。
一緒に登校したいからと降りる駅を変えたり。
朝から忙しいだろうに手作り弁当を用意してくれたり。
香子先輩がこんなに彼女っぽいことに積極的だとは思わなかった。
「そうか、島津お前……、その弁当、彼女が作ってきてくれたのか」
「えっ」
粟木のいたわるような言葉に驚く。
香子先輩の手作り弁当からは〝彼女が頑張って作りました〟的なイメージはあまり感じられない。若い子が気にするであろう華やかさや
だから、シンプルイズベストというか質実剛健というか。
家事に慣れた母親が毎日作っているかのような安定感があるのだ。
そんな母親感のある弁当を見て、彼女の手作りと看破するとは。
まさか、登校中の先輩とのやり取りを見られていたのだろうか。
警戒する僕に対して、粟木は目を細め、ゆっくりと首を左右に振った。
「悲しいな……」
「なんでちょっと瞳が潤んでるの」
「彼女が自分のためにがんばって早起きして用意してくれた手作り弁当――そういう
「あっ、ええと、……まあ、うん」
粟木の言っていることは的外れな上に腹立たしい。
だが今は事実を明かすのも面倒だ。嫌々ながらうなずくと、
「空想の上に設定を重ねて、自分をなぐさめてるなんて……」
「そうか、その手があったか……」
「大丈夫っすよ副部長、いつか出来ますよ、彼女!」
などと周りの部員や後輩たちが憐れみの視線を向けてくる。
副部長に就任して一週間も経たないうちに、妙なキャラ付けがされつつあることに危機感を覚えた。
しかし、本当のことを言うとちょっとした騒ぎになるので黙っているしかない。
瀬川香子という名前は、この学校においてそれだけのブランド力があるのだ。
あと、たぶん言っても信じてくれないだろうし。
「……でも、手作り弁当とか、尽くす彼女っぽくていいな」
「憧れるよな実際」
やがて話題はそれぞれの理想の彼女像へと移っていく。独り身の男子ばかりだと、どうしてもそういう話になる。
まあ、僕は違うのだが。
そういう話を高みから聞く立場なのだが。
「みんな、そんなに尽くされたいわけ?」
高みにいる僕は下々の者にさり気なくアンケートを取ってみたりする。
「当たり前だろ。でも俺は手作り弁当なんて高望みはしない。練習が終わったあと、お疲れさまって言ってタオルを手渡してくれればいい」
「それはマネージャーでいいんじゃないか?」
「確かに、単に尽くしてくれる相手をを求めるなら……」
「彼女よりマネージャーの方が現実的だよな……」
徐々にみんなのトーンが下がってくる。諦めが早い連中である。
だけど、誰もが尽くされることに対しては抵抗がないらしい。
そうしてくれる相手がいないだけで。
みんなのバカ話を聞いていて、僕は思うことがあった。
「……尽くされるのって、プレッシャーじゃない?」
そう呟くと、みんなはきょとんとした顔になる。
「どういう意味だ?」
「誰かのために尽くすのって、その誰かへの敬意とか、その誰かからの対価とか……、何かしら見返りや理由があるものだと思うんだけど」
首をかしげるみんなに向けて、僕はゆっくりと思考を言葉にしていく。
「僕は誰かに尽くされるとき、自分はそれにふさわしい人間なんだろうか、って考えてしまうから……」
「……すげえな島津お前」
粟木が目を見開いてつぶやいた。
「え?」
他の部員たちからも感嘆の声が上がる。
「ただの妄想をそこまでリアルに考えるとは……」
「さすが副部長! 俺らとは妄想のレベルが違うっす!」
「その圧倒的な妄想力でバスケ部を引っ張って行ってくれよな!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「さっき男バス、バカな話してたでしょ」
午後の練習の準備をしていると、媛宮に声をかけられた。
「男子はいつもバカ話に花を咲かせる生き物なので……」
「そういう子供っぽいピュアさじゃなくて、尽くされたいとかマネージャー欲しいとか、欲望丸出しのちょっと哀れな感じの話だった」
そこまで聞かれていたとは……。
「哀れと思うなら女バス一同、次の練習試合で男バスを応援してやってよ。少しは気合が入ると思うから」
「えー……、ま、気が向いたらね」
媛宮は話をしつつも手元ではバスケットボールを操っている。軽くドリブルをしたり、腕の上で転がしたり。日常的に触れることで、
「……ちょっと、変なこと聞いていい?」
「どーぞ」
「女子が相手に尽くすときって、どんなことを考えてるの?」
「わあ、なんか必死な質問」
言いながら媛宮は片手でワンバウンドのパスを出す。
「あたしは彼氏のために何かするとか、そういう経験ないんだけど」
「友達の話でもいいから」
パスを右手で受けてドリブル、合間に左手に持ち替えて、そのまま媛宮へ返す。
「相手に尽くすって……、運動部の彼に弁当を手作りしたり、赤点ギリギリの彼に勉強を教えたりするやつでしょ」
「そうそう」
「そーゆーのって、やっぱり単純に、好きな相手のためになることがしたい、っていう理由が一番だと思う」
媛宮の速いパス。わざと遠めに出されたそれを、腕を伸ばして受ける。
「あとは……、相手にいろいろ与えて、恩を売ってるとか」
こちらのリターンも、媛宮の身体の中心からやや離れた位置へ。
「自分から離れていかないように?」
立ったままのパスから、動きながらのパスへと強度を上げていく。
「さあ? でも、自分の価値をアピールする意味もあるんじゃないかなぁ」
「打算的なんだな」
「そりゃそうでしょ。もう高校生だし、ピュアな少女じゃいられない――って」
不意に媛宮の動きが鈍った。
そのせいでパスの位置が想定よりもズレて、足元への取りにくいボールになる。
「……ひゃあ!?」
――結果、媛宮はボールを避けようとして、しりもちをついてしまった。
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄り、手を差し出す。
その手を取った媛宮は、思い切り僕に体重をあずけてきたので、こちらも全力で引っ張り起こさなければならなかった。
「ん、ありがと」
「今よそ見してなかった?」
「だってこーこ先輩がいたから」
媛宮は照れくさそうにつぶやきながら、体育館入り口を見やる。
「え……」
その視線の先、渡り廊下の真ん中で、香子先輩が立ち尽くしていた。
僕はまだ媛宮の手を握っている。
香子先輩がそれを見つめている。
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