19.香子先輩の情報収集

「最近の島津って、ちょっと調子に乗ってるんじゃない?」


 OG襲来から数日が過ぎた、ある日の昼休み。

 媛宮に呼び出された僕は、いきなりそんなことを言われた。


 しかし心当たりがないので首をかしげるしかない。


「調子に乗るなんて、謙虚、堅実がモットーの僕の辞書にはない言葉だよ。石の裏のダンゴムシみたいに平穏な生活が望みです」


「そこまで卑屈になんなくても……」


「というか、なんで僕はそんな因縁をつけられてるの?」


「だって最近、こーこ先輩と距離が近いじゃない」


 媛宮はキュッと唇をかむ。


「そう?」


「偶然とはいえ一泊したり、佐木たん先輩たちから助けたりして……、そういうイベントのせいかもだけど、距離が縮まってる感じがする」


「縮まってるってことは、僕だけが一方的に近寄ってるんじゃなくて、瀬川先輩の方からも近づいてるように見えるってこと?」


 そう尋ねると、媛宮の不満げに膨らんでいた頬が、ぷふーっ、とパンクした。

 そしてジトッとした視線を向けてくる。


「……そーよ」


 なるほど。ずっとケンカ腰だった理由がわかった。


 敬愛する神が俗世に堕ちたかもしれない。ならばその堕落をもたらした敵を断罪せねばと、媛宮は義憤に駆られているのだろう。つまり嫉妬だ。


 しかし、そうか。

 先輩との距離が近くなっていると感じていたのは、僕だけじゃなかったのか。

 独りよがりのイタい勘違いでないのなら、それはとてもいいことだ。


「何ニヤニヤしてんの」

「してないよ」

「してる。超してる。いやらしい顔。よこしまな妄想で頭がいっぱいの顔。あー、あたしもこーこ先輩に近づきたいー」


 天井を見上げて邪まな願望を垂れ流す媛宮。

 内容がアレだし声も大きいので、もう少し控えてほしい。


「……ん? 何してんだお前ら」


 そのせいで、通りがかった粟木がこちらに気づいてしまった。


「ただの雑談だけど」

「そうか? 最近お前ら、なんか距離が近いんだよな……」


 さっき因縁を吹っ掛けてきた媛宮と同じようなことを言われてしまう。

 もしそう見えるなら、それは香子先輩かみが僕たちを近づけたのだろう。


「気のせいじゃないの」

「……まさか島津」


 粟木が真顔でずいっと近づいてくる。


「島津まさか……」


 そしてがく然とした表情で、僕と媛宮を交互に見た。


「この前ホテルに泊まったのって、媛宮と一緒だったのか……?」

「バカなこと言わないで!」


 媛宮の否定は速かった。

 速いし、強い。

 割と本気で嫌がっているトーンだった。

 香子先輩一筋の僕でもちょっと傷つくくらいに。


「そ、そこまで苛烈に否定すんなよ……」


 粟木も恐れおののいている。


「まあ落ち着きなよ」


 ゴタついてきた場を収めるために二人をなだめる。


 この話題が続いたら僕の心の傷が広がりそうだったし、そもそも、媛宮には聞きたいことがあったのだ。顔が広い粟木が加わってくれたのも都合がいい。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 と話を変えると、二人ともホッとした様子でこちらを向いた。


「その……、最近、瀬川先輩ってどんな様子?」


「それは島津の方がよく知ってるんじゃないのぉ?」


 まだ不満があるのか、媛宮の言い方はねちっこい。


「いや、先輩個人じゃなくて、周りとの関係が知りたくて。女バスで練習してるとき、他の部員とどんな感じで接しているのか、とか」


「あー。そーゆーのって外からじゃ見えづらいもんね」


 と媛宮がうなずく。


「あとは、普段の学校生活についても」


 香子先輩が彼氏と別れたことが広まって、変化が一番大きいのは3年生だろう。そして学年がひとつ違うとその内情はさっぱりわからない。


「お前、部活中はバスケの話しかしないもんな」


 半笑いでからかってくる粟木。


「粟木なら僕と違って先輩たちとも絡みが多いから、いろいろ耳に入ってくるんじゃないかと思って」


 つまり僕がやりたかったのは情報収集だ。


 OGとの一件から、香子先輩を取り巻く状況はきっと変化しているはず。

 しかし知り合いの少ない僕では手に入る情報には限りがある。

 なので二人から色々と話を聞きたかったのだ。

 特に女バスの内部事情や、3年生の雰囲気といったものを。


「男子はまあ、やっぱりフリーになった瀬川先輩とお近づきになりたい、って話が多いよな。付き合うとか告るとか、そこまではいかなくても、ちょっと仲良くなりたいって考える先輩方はけっこういるみたいだ」


 それは想像どおりだったのであまり驚きはない。


「あと彼女持ちの先輩が言ってたのが、彼女の友達がイラついてる――だとさ」


「彼女の友達が……?」


 その原因も、少し考えたら想像がついた。


「ああ、その友達は、3年の男子に誰か好きな人がいて、でも意中の相手は別の女子――瀬川先輩の噂をしてる、ってことか」


 それは胸中おだやかではいられないだろうなと納得していると、


「それもあるけど、それだけじゃないと思う」


 と媛宮が口を出してきた。


「さあ男子ども、ウチのクラスにすごいイケメンが転校してきたと想像してみて」


 ぱんぱんと手を叩いて僕たちを急かす媛宮。


「自分、想像できました」


 と粟木。


「よーし、じゃあクラスにどんな変化が起こる?」


「女子たちが……っ、そのイケメンに夢中になってしまいます」


「そのとおりよ男子ども。休み時間もお昼休みも、なんなら授業中だってLINEを使って、そのイケメンの話題で持ちきりになっちゃうわけ」


「ちくしょう……っ」


 その光景を思い浮かべているのか、粟木が悔しそうに口元を歪めている。


「くぅ……」


 僕もいつの間にか奥歯をきつく噛みしめていた。


「というわけでもう答えは出ちゃったと思うけど、そのときの男子の心情は?」


「イケメン死すべし」

「イケメン爆散せよ」


 媛宮の質問に即答する男子ども。


 騒いでいる女子の中に、好きな子がいたとしても、いなかったとしても。

 どちらにしろイケメンへの反感は湧くだろう。

 それは自分たちが軽視されているという不満からくるものだ。


「性別が違っても、それと似たような感情は起こるってことよ」


 媛宮がまとめる。この説明はわかりやすかった。


 3年男子のあいだで香子先輩の話題が盛り上がれば、3年女子の中には、自分たちをないがしろにされたと思う者も出てくる。その思いによって間接的に、香子先輩への反感を抱く人がいるかもしれない。


「あたしもはっきり聞いたわけじゃないけど、三年生うえの雰囲気はそんな感じかな。あとは女バス内部のことだっけ」


 媛宮の問いかけに、僕はうなずきを返す。


 3年生でこれなら、もっと互いの距離が近くて狭い箱である女子バスケ部は、どんな有様なのか。聞くのが少し怖かったが、いざというとき香子先輩の助けになるためにも、聞かないわけにはいかない。


「反感っていうか、あんまり表立って何かがあるわけじゃないけど……」


 媛宮は首をかしげて黙り込んだ。

 頭の中にあるイメージをわかりやすい言葉に変換することに、少し手間取っているのだろうか。


「うーんと……、ほら、面と向かってるときは普通にしゃべってても、話が終わって、それじゃって離れていくとき、その背中に向ける視線の温度ってあるじゃん」

「視線の温度……、うん、まあ」

「それがなーんか冷めてるんだよねぇ。冷たい敵視っていうの?」

「冷たい敵視」


 と繰り返す僕に、媛宮はジトッとした視線を向ける。

 これは多湿な敵視。


「わかってないでしょ島津」

「……うん、いまいち」

「じゃあやっぱ実践ね。粟木、ちょっと手伝って」

「ん? おう」

「ほらこっち向いて……、よし」



 ――それは本当に一瞬での変化だった。



 媛宮は粟木を呼び寄せると、にこっと明るい笑顔を作った。

 その場の雰囲気が和らぎ、つられて粟木もぎこちなく笑う。


「ねっ粟木、最近どう?」

「……おぉ? どうって、まあぼちぼちだよ」

「あはは、何よ、ぼちぼちって。部活のことに決まってんじゃん。インターハイ出れそう?」

「んー、レギュラーは難しいだろうな。競争激しいポジだし」

「そっか、がんばってね、応援してる」


 和気あいあいとしたやり取りのラスト。

 媛宮にぽんと肩を叩かれて、粟木は身体を固くする。

 完全に男子が勘違いするスキンシップだ。


「お、おう……」

「ほら会話終わったんだから回れ右して離れて」


 画面の外から指示を出すアシスタントディレクターみたいに小声で命じられて、粟木はわけがわからないまま、回れ右して歩き去っていく。



 ――その瞬間、また変化が起こった。



 楽しそうに笑っていた媛宮から表情が消えた。

 スイッチで切り替えるように一瞬で真顔になる。

 その視線は冷え切っていて、遠ざかっていく背中に対して何か感情があるとすれば、それは敵意しかありえなかった。


 歩き去る粟木はその急激な変化に気づかない。

 数秒前までのなごやかな雰囲気は、今や粟木の記憶の中にしか存在しないのだ。


 それが演技だとわかっていても。

 二人を隔てる感情の落差に、息が詰まりそうになった。



『――面と向かってるときは普通にしゃべってても、話が終わって、それじゃって離れていくとき、その背中に向ける視線の温度ってあるじゃん』



『――それがなーんか冷めてるんだよねぇ。冷たい敵視っていうの?』



 媛宮の言葉を頭の中で繰り返す。そして理解した。


 香子先輩に対してこんな態度を取るチームメイトがいるのか。

 あのOGの佐木先輩たちから続く、確執めいた何かがあるのかもしれない。


「……ありがとう媛宮。よくわかった」

「じゃあ何よりね。どーよ、けっこう演技派でしょ」


 得意顔で胸を張る媛宮。

 僕はのたりとうなずいた。


「うん……、お見事だから僕にはやらないでよ。心臓に悪い」 

「ちなみに、明らかに批判的なのは数人ってところで、全員3年生。逆に1・2年はほとんどこーこ先輩派だから」


 そんな気にするほどじゃないでしょ、と媛宮は笑ったが、僕は心配だった。

 数の上では少数であっても、敵対感情が確かにあるのなら、それはどこで噴出してもおかしくない。


 

 その不安はやがて現実のものになってしまう。







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「……もう戻ってきていいか?」


 廊下の彼方で寂しそうに振り返る粟木。

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